伊勢路T、伊勢神宮-田丸-三瀬谷-瀧原宮-阿曽(2008.5.8-11) |
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☆期日/山行形式: 2008年5月8-11日、ホテル公営山荘利用、グループ・ウオーク ☆地形図(2万5千分1): 伊勢(伊勢6号-1)、国束山(伊勢6号-3)、横野(伊勢10号-1)、 伊勢佐原(伊勢10号-2)、古和浦(伊勢11号-1) ☆まえがき 去年早く発足したシニアの熊野古道歩きグーループは、春秋2度の "練習ツアー" で紀伊半島の地理のおおよその概念を得た。 この春から始まる "本番" でどの道筋を選ぶか? 議論の過程ではいろいろな意見が出たが、小辺路や雲取越えのように山歩きとしても中級クラスに相当する道筋を対象外とすれば、古道の面影がもっともよく残っているのは、伊勢路ではないかと考えられた。 そこで、伊勢神宮から本宮大社までの歩き継ぎをやってみようということで皆が同意し、3泊4日の歩き継ぎを3回繰り返して、全区間を踏破しよう、という計画が決まった。 今回はその最初の旅で、伊勢神宮を起点に3泊4日かけて梅ヶ谷まで歩こうという行程プランだった。 梅ヶ谷の先は、ツヅラト峠を越せば紀伊長島。 そこから先は熊野灘沿いの道だ。 ルート初めの内陸部分は今回の4日でカバーしてしまえることになる。 |
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伊勢神宮御正宮 (画像をクリックする多拡大します) |
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結果的には、雨で思うように歩けない日もあったりして、三日目の終点としていた阿曽に到達したところで最終4日目が時間切れになった。 しかし、通りがかりに立ち寄った尾崎咢堂記念館や田丸城址など、予想以上に興味深い副産物に恵まれ、楽しく充実した徒歩旅行ができた。 グループが発足したときはバラバラだったメンバーの脚力がわずか1年の間にかなり揃ってきたのが心強かった。 |
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☆行動の概要 5月8日(曇り時々晴) 【伊勢神宮-柳の渡し跡-尾崎咢堂記念館-田丸駅】 1年間の準備と練習を経てシニア熊野古道グループ本番の初日。 伊勢路歩き継ぎの起点となる伊勢神宮内宮に参詣したあと、猿田彦神社から外宮へ。 宮川対岸に渡って、尾崎咢堂記念館を見学したあと、田丸駅まで歩いた。 詳細記録 5月9日(曇り時々晴) 【田丸城址-女鬼峠-栃原-川添】 田丸からの歩きだしに北畠親房所縁の田丸城址に上がり、前途を俯瞰した。 田の中の冗長な道路から柿畑が広がる台地の上にあがるとポツポツ旧跡が現れた。 野中から女鬼峠に向かうあたりからようやく古道らしい雰囲気が感じられるようになった。 相鹿瀬で宮川に再会。 作り酒屋、茶屋の家並みが残る柳原を過ぎ、栃原の寿司屋で昼休み。 そこから川添駅までは楽勝と思ったのは早とちりで、あと2Km ばかりの茶畑で道迷い。 ギブアップして国道に出たところで、たまたま通りかかった宿の送迎車に救出された。 詳細記録 5月10日(雨) 【川添-三瀬砦跡-三瀬谷駅】 夜来の大雨は朝にはおさまってきたが、終日雨と予想された。 今回最大の難所となる三瀬坂峠越えは止め、川添駅から三瀬谷までのみを歩くことになった。 川添駅付近の旧道集落を出はずれると上三瀬までは国道沿いが多い。 車がまきあげる泥シブキを浴びながら歩くのは嬉しくなかった。 終りに近いところで三瀬砦跡を訪ね、南北朝時代に田丸城と繋がっていたことを知った。 三瀬谷付近の道の駅と旅館食堂でゆっくり飲み食いをしたあと迎えの車で宿に戻った。 詳細記録 5月11日(小雨のち曇り) 【三瀬谷-三瀬坂峠-瀧原宮-阿曽】 朝は小雨だが昼前に止むという予報になった。 三瀬坂峠を越して瀧原宮に参詣したあと、阿曽まで歩いて帰るべく宿を早く発った。 三瀬谷駅前の大黒屋旅館に荷物を預け、ほとんど空身になれたおかげで楽に峠を越せた。 瀧原宮は伊勢神宮の元宮にあたり、鬱蒼とした原生林の中に佇む古式の社殿が素晴らしかった。 正午頃阿曽駅付近に到達したが、紀勢線が不便だった。 国道を 1Km ほど戻ったバス停から松坂行きバスに乗って大台町(三瀬谷)に戻った。 詳細記録 |
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瀧原宮御本殿 (画像をクリックすると拡大します) |
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