伊勢路T-4、三瀬谷-瀧原宮-阿曽(2008.5.11)



☆地形図(2万5千分1): 伊勢佐原(伊勢10号-2)、古和浦(伊勢11号-1)

☆タイム記録
    宿舎[6:40]=(送迎車)=[7:00]三瀬谷駅前大黒屋(7:05)-佐原入口(7:15/20)-三瀬川登山口(7:55)-三瀬坂峠(8:22/8:30)-三瀬坂池(8:50/55)-里登り口(8:54)-滝原宮(9:16/10:00)-道の駅 木つつ木館(10:10/10:40)-祝詞橋(10:50)-滝原駅入口(11:00/05)-大滝峡(11:30)-(12:09)阿曽バス停[12:12+3]=(三重交通バス \380)=[12:21]大台町-大黒屋(12:30/14/10)-三瀬谷[14:41]=(南紀6号)=[16:18]名古屋[16:33]=(ヒカリ378号)=[18:21]新横浜=あざみ野=[19:06]宮崎台

◇雨はまだ降り続いていたが伊勢路歩き第一回仕上げの日だ。
できるだけ楽に歩けるよう駅前大黒屋に荷物を預けて三瀬坂峠に向かった。


  線路を渡り、国道に出たところにあるガソリンスタンドの横手に三瀬坂への入口があった。
古いコンクリート橋で宮川を渡り、向こう岸の山裾を東に向かって歩く。
  1時間近く歩くと寺があり、その先に峠への入口を示す道標が立っていた。


  峠への道ははじめコンクリート舗装だが間もなく土道に代わる。
道端に篠竹の杖をどうぞ、というご接待があったのでありがたく一本拝借。

  雨は止みかかっていたので登りかけから林の中に入ると傘を閉じた。


  峠への登降差は約170m。
山屋の感覚では大した登りではないが、このメンバーではどうかなぁ、と思っていたのだが、案外楽に、全員が登りきった。

  歴史のある峠道の常で、ゆっくり登れば苦しまずに登り切れるよう道がつけられているおかげだ。

  今回の行程では最大の難所と思われていた峠の頂上に無事登りつき、安心してしばらく休憩した。


  切通しに古い石地蔵があった。
供えてある草花は新鮮だった。
今朝、麓の住民のの誰かが持ってきたのではないかと思った。


  峠から降りて行くところは浮き石が多く歩きにくかった。
女鬼峠と同じ千枚岩だった。
脆弱で浸食を受けやすい地質によってできた最低鞍部を利用して山越えをしたことになる。


  ひと下りで三瀬池と呼ばれる貯水池に着いた。
堰堤の上から見る対岸の樹木の緑と花がきれいだった。

  貯水池からひとくだりで国道が見えてきた。
道端に杖の返納所があった。
峠越を助けてくれた杖に感謝の気持ちを添えて杖立てに納めた。


  国道を渡り、民家の庭先に咲く色とりどりの花を愛でながら進み、もう一度国道を渡ると里集落の本村で、前方に瀧原宮の森が見えてくる。

  神社境内入口の角に足神の石があった。
無事越えてきた峠、これから向かおうとしている峠に対する旅人の気持ちに応えるモニュメントだ。

  皇大神宮 別宮 瀧原宮と記した標柱脇の鳥居を潜って参道に入った。

  鬱蒼とした森の中の玉砂利を踏んでゆくと右手に降りて行く道の入口に "手洗場" と記した道標が立っていた。
わずか降りたところが左の写真のようになっていて、谷川の渓流で身を清められるようになっている。
伊勢神宮の五十鈴川も同じようなアレンジになっている。

古代の参詣者は手や口だけでなく、身体全体を流水で清めた上で参拝していたのではないか、と思った。

  かつて、大峰奥駈道を歩いてきた行者が熊野本宮大社に参拝するときは、七越山の麓で熊野川を渡渉して熊野本宮大社の境内に入るのが習わしだった。
何日も山中で過ごしてきた行者は、きっと全身を水に浸して洗い清めたに違いない。
この "手洗場" もこの風習を受け継いでいるのではないか、と思った。



  瀧原宮本殿は荒御霊の社殿と並んでいた。
伊勢と違って撮影禁止でなかったおかげで、もっとも古い形態の社殿をカメラに収めることができた。

  奥手にある広場は伊勢と同じように遷宮を行うためという。

  行きには社務所の裏を通ったので気がつかなかったが、社務所に若い神職がいた。
いろいろ質問して教えてもらい、守り札を買って入口に戻った。

  三瀬坂峠越から瀧原宮まで順調に歩け、雨も上がったので阿曽までなら楽勝、という感じになった。
  頓登の集落は石垣、倉造りのクラシックな眺めが良かった。
滝原駅入口から800m ほど進んだところで旧道から外れ、大滝峡遊歩道に入った。
宮川沿いにある発電所への導水路を利用した歩道で、右下に見下ろす渓流が美しかった。

  学校の横手から旧道に戻り、牧之ゆかの地り(何もなかった?)を過ぎて神瀬の集落へ。




  さらにひと歩きで釣り人が何人もいる奥河内川を渡ると阿曽の集落に入る。






  集落に入ったところに観音堂があった。
阿曽駅近くで食事ができないかと思ったがとてもそんな店がありそうな雰囲気ではなかった。


  三瀬谷へ早く戻れないかと思って持っていた時刻表をみたら松坂行きのバスが12:12に阿曽を通ることが分かった。
道端で植木の手入れをしていたオネーさんに尋ねたら、国道に出て1Km 弱戻ったところにバス停があると言う。

  大声で先行組を呼び戻し、状況を説明してバス停に向かった。
大急ぎで歩いて定刻3分前にバス停に集合。
2分遅れで走ってきたバスに乗ったらあっという間に三瀬谷駅前の大台町バス停に戻った。

  早い時間に大黒屋に戻れたおかげで、部屋にあがって休憩しながらゆっくりお昼を食べられることとなった。
4日もの間持ち越していた "ウナギを食べたい" を、大黒屋のうなぎ定食で決着させることができた。
伊勢でうなぎ料理を食べようとした店が休みで大喜に行ってしまったため食べ損ねた。
栃原でもうなぎ屋に行かずに寿司屋に入ってしまった

天気のせいで梅ヶ谷までは行き着けず、一日分ショートの阿曽までで終わったが、最終日の行程を余裕で消化できた。
それやこれやで皆ご機嫌が良く、賑やかなお昼になった。
十分過ぎるくらいの休憩をしたあと、駅に行き、予定した紀勢本線の特急で帰途につき、名古屋でひかりに乗り継いで帰った。

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☆おわりに
    グループ発足直後はメンバーの脚力がバラバラで山越えはおろかロングルートの踏破さえ容易でないかもと心配した。
その後、わずか1年の間に見違えるほどに足が揃い、全員がロングルートを歩き切れたのは大きな収穫だった。

  リアス式海岸の入り江にある人里と人里をつなぐ峠越えを繰り返してゆく伊勢路は、ロングルートながらもっともシニア向きと思われる。
登降差800m の八鬼山越えなど、前途には2、3の難所があるが、この調子でグループの脚力が上がってゆけば、十分乗り越せるだろう。

自分としても、2月に腸閉そくで入院して以来初めての長旅だったが、特に支障なく歩けた。
今しばらくは長期の山行がやれそうな感触が得られたのは嬉しいことである。

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