伊勢路T-1、伊勢内宮-外宮-柳の渡し跡-田丸(2008.5.8)



☆地形図(2万5千分1): 伊勢(伊勢6号-1)

☆タイム記録
    宮崎台[6:55]=鷺沼=あざみ野=新横浜[7:52]=(ヒカリ403号)=[9:21]名古屋[9:30]=(快速みえ1号)=[10:56]伊勢市-伊勢パールピアホテル=(Taxi)=(11:35)内宮門前町-おかげ横丁海老丸(11:45/12:15)-内宮(12:20/13:10)-猿田彦神社(13:25/30)-小田の橋(14:06)-外宮(14:25/14:40)-宮川堤公園/柳の渡し場跡(15:10/35)-尾崎咢堂記念館(15:50/16:30)-(17:30)JR田丸駅[17:39]=[17:52]伊勢市-宇治山田駅前/郷土料理割烹大喜(18:15/19:45)-(20:00)ホテル{泊}

◇ 伊勢行き快速みえ1号が出る名古屋駅12番線ホームに勢揃いしたあと伊勢に向った。
関西本線・伊勢鉄道・紀勢本線・参宮線と、経路は込み入っているが多気までは何度も通って沿線風景も見慣れている。
多気から伊勢市までは15分足らずだった。

  まず駅から5、6分のパールピアホテルに行って荷物を預け、タクシーに分乗して内宮に向かった。

  ドライバーの話では、ゴールデンウイーク中は大勢が押しかけ、至る所で道路が渋滞したという。

  15分ほどで参道入口に着いた。
おはらい町と呼ばれる門前町は日本一の神社にふさわしく広々としていて両側に並ぶ店の構えも立派だった。

  赤福餅本店の前から右手に入ってゆくとおかげ横丁で、昔風の建物が並んでいる。
奥の方にある海老丸に入っててこね寿司を食べた。


  店を出て神社に向い、僅か歩くと五十鈴川鳥居の前に着く。
  ここに来たのは何十年振りだろうか?
鳥居をくぐり、宇治橋を渡ると皇大神宮の境内になる。
左手突き当りに大山祗神社があった。
伊勢-熊野-瀬戸内の繋がりを暗示するものだ。

  鬱蒼とした森の間の玉砂利を踏んで御正宮に向かった。
天照大神を祭る神殿は唯一神明造と呼ばれる古代様式で、大木が林立する中に森厳な姿で立っていた。
境内は撮影禁止だったが横手の遷宮用敷地は制限がなかったのでパノラマ撮影した。(下)

  本殿横手に回り込んでゆくと板塀越しに御正殿が見えた。
木立の中に荒祭宮(あらまつりのみや)があった。
これも祭神はアマテラスだった。
荒魂・和魂という言葉があったのを思い出した。

  参道に戻りかける所に御稲御倉(みしねのみくら)という小ぶりの高床倉庫があった。
大和勢力と稲作との密接につながっていることを示しているように思った。

  宇治橋鳥居の脇で記念写真を撮ったあと、門前の通りを歩いて外宮に向かった。

  伊勢道路に突き当たって左に300m ほどの所に猿田彦神社があった。
西から進出してきた大和勢力を迎え入れた地元の頭領を祭ったものと言われている。

  お伊勢参りの旧道は猿田彦神社の横手の坂から丘陵にあがり、尾根の背を辿っていた。
雨の多い土地だから水はけが良い高燥な所を通るよう、選ばれた道筋と思った。

  丘陵から下り、山田の橋を渡ると外宮は近い。
豊受大神宮と呼ばれ、天照大神の食事を司る神社として内宮創建から500年ほど後に建立されたという。

  すぐ近くを流れる宮川対岸に広がる伊勢平野で収穫された米の集積場だったのでは、と想像した。

  こちらも内宮と同じく本殿の写真撮影は禁止で、隣接して遷宮用の敷地がある。


  左は多賀宮で、内宮の荒祭宮と同じ様に荒魂を祭っている。
また、すぐ近くに土宮、風宮があって豊作祈願との繋がりの強いことを示している。

  外宮から宮川河畔まで3Km 弱の街路歩きをした。
この時季としては暑い日で、汗は出るわ、喉は乾くわで意外に辛いウオーキングだった。

  柳の渡し跡付近の公園で休憩。
持ち合わせのものを飲み食いしたあと渡会橋を渡った。

  橋の上で振り返ると、対岸はさっきまでいた公園の草原で、その先に外宮の背後を守る丘陵が穏やかなスカイラインを描いていた。

  山続きの左端は猿田彦神社脇から登った旧道が通っている丘に違いない。
とすればその背後の奥手に内宮があるということになる。


  橋を渡って左に折れ、500m ほど進んだ道端に尾崎咢堂記念館の標柱が立っていた。
暑さ避けと勉強と、両方できるのではないかと期待して横道に入ってみたら、白壁の大きな建物があった。
中には、"憲政の神様" の出生と業績に関するさまざまな資料が展示されていた。
係員が出てきて説明してくれた。
おかげで、我が国近世の偉人についていろいろ学ぶことができた。

  最後に咢堂先生の銅像とともに記念写真を写して貰ったあと旧道に戻り、田丸駅に向かった。

  古い集落と田圃の中を5Km ほど歩いたが、徒歩旅行者に配慮した整備は行われていないようだった。
山道と違って景色の変化が緩慢なため退屈なうえ、歩道と車道が分離されていない所を走ってくる車が多く、注意が必要だった。

  退屈しのぎに道端の家の犬にちょっかいを出したりしながら歩いていたら本隊とはぐれた。
街中を遠回りしたため、少し遅れて田丸駅に着いた。

  駅前にはお伊勢参りの夫婦のリアルな像があって江戸時代の旅人の風俗を偲ばせている。
かつてここは、伊勢神宮真近かの宿場町として栄えていたらしい。

  電車で伊勢市に戻り、宇治山田駅近くにある老舗の郷土料理屋に入った。

  今回の参加は9名だった。
10人で歩く予定だったが直前に怪我をしてこれなくなった一人が気の毒だった。

  もう長い付き合いとなって、お互いの気心も知れ、賑やかで楽しい会食となった。

                                          ページ先頭へ

          翌日へ