![]() 熊野古道小辺路、高野山-伯母子岳-熊野本宮(2006.4.10-15) ![]() |
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☆期日/山行形式: 2006.4.10-15 民宿利用5泊6日、単独 ☆地形図(2万5千分1): 高野山(和歌山7号-4)、梁瀬(和歌山8号-3)、上垣内(和歌山8号-1)、 伯母子岳(和歌山8号-2)、重里(田辺5号-1)、十津川温泉(田辺1号-3)、 発心門(田辺5号-2)、伏拝(田辺1号-4)、本宮(田辺2号-3) ☆まえがき 吉野から熊野に至る紀伊山地は、国内最多の降雨が削り出した険しい地形が連続する。 厳しい自然環境なのだが、ひとり山中に身を置いていると、なんとはなしに心が安らぎ身体に力が出てくる不思議な空間でもある。 旺盛な命の力に溢れる森に覆われた山と、深く鋭く刻み込まれた峻谷、そこここの僅かな緩斜面に点在する集落に住んでいる人々の純朴な人懐こさ。 大峰奥駈道完歩を目指してこの山域に通っているうちに、これぞ "日本の山" だと惚れこんだ。 南北の奥駈を完歩したあと、あらためて情報を集め、奥駈の峰続きから外れたあちらこちちに、個性と魅力に富む多数の山があることを知った。 ただし、何分にも僻遠できわめて交通が不便な広い地域にまばらに散在しているため、首都圏から行き難いこと甚だしい。 今回は少し指向を変え、熊野古道を歩きに行ってみることにした。 目指すは熊野参詣道の中で一番の険路と言われる小辺路ルートだ。 大和の奥の高野山から熊野本宮大社まで、延長70Km あまり、標高差600m から900m の峠越え、峰越えを4度繰り返して目的地に到達する。 中世頃以来、大阪方面から熊野への最短ルートとして、おもに参詣者や商人といった庶民が利用してきた古道だ。 山登りの興味の対象としては、行程の中ほどに、伯母子岳という展望の名峰への登頂があるが、そのほかの行程の殆どは、無数の巡礼達が踏み均してきた跡を辿る、古道歩きである。 |
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伯母子岳頂上の展望 (クリックすると拡大します) |
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行程の組み立てには少々苦労した。 かつて要所に存在した茶屋や泊まり場はすべて廃墟となって、森の中に僅かな跡形を残すのみ。 山間の集落に泊まり場を求めても、労苦の多い徒歩旅行が廃れて客が減ったため、巡礼宿が廃業してしまい、ルート付近に宿舎が得られない所もあった。 ルートから離れた所に泊まる場合、宿舎とルートとの間をつなぐ交通機関をどうやって確保するか、と言う問題が出てくる。 幸い、南奥駈道の持経ノ宿小屋で知り合った豊中市のMさんから貴重な情報を提供して頂けたり、地元役場の担当者が親切に相談に乗ってくれたりしたお蔭で、年寄でも無理なく歩ける行動プランが組みたたった。 実際に歩いた4月の中旬は、この時期としても最悪の天候の回り合わせで、強風と雨で荒れた初日をはじめとして、曇りと雨の日が続き、はかばかしい展望も得られなかった。 ただ、行程の大部分が森の中で、古来の石畳が残っている部分も多かったお蔭で、靴を汚すこともなく、傘をさして歩くことができた。 不注意のため、濡れた石畳でスリップして転倒し、顔を怪我する事故にも遭ったが、行程継続に差し支えるほどにならなかったのは幸運だった。 たまたま熊野本宮大社の大祭に巡り合わせた。 図らずも、八咫烏(ヤタガラス)の元祖の大神社の祭典を参観する機会に恵まれた幸運を喜んだ。 (注) 登山としてはやや中身不足だが、そうかといって、徒歩旅行/散策としてはいささか過酷という、中途半端な山旅になるせいか、小辺路全体のルート状況と踏破計画に必要な情報を分かりやすく集成したインターネットリソースが乏しいように感じた。 今回の山行で分かった範囲の事を整理してウエブサイトに掲出し、大方の参考に供そうという考えのもとにこの山旅の記録を纏めようと考えた。 ☆行程の概要 4月10日(雨) 小辺路玄関口の高野山へアプローチ。 奥の院、壇上伽藍の根本大塔・金剛峰寺などを見学したあと宿坊泊。 |
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![]() 高野山壇上伽藍、根本大塔 |
東海道新幹線から南海電鉄高野線へ乗り継いでのアプローチだった。 九度山付近の丘陵地帯では満開の桜が美しかった。 高野山は冷たい雨だったがバスで来た大勢の観光客が歩いていて賑やかだった。 海外にも知られているようで、欧米・東洋を問わず多くの国々から来た観光客が目立った。 山上の限られた平坦地に集まっている膨大な墓所と、多数の大伽藍、宿坊の密集を見ているうちに、日本人のメンタリティーが、明治からこの方の近代化の過程で、どれほどの大激変を蒙ったか、証拠物件の数々を見せ付けられたような気がした。 ![]() |
4月11日(強風と雨) 高野山=水ヶ峰-野迫川村大股。 水ヶ峰、野迫川村総合案内所まで護摩壇山行きバス利用。 |
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![]() 水ヶ峰、野迫川村総合案内所 |
日本海を東進する低気圧に吹き込む強い南風で荒れ模様になった。 予定した全行程を歩くのは厳しいと判断し、護摩壇山行きバスを利用して行程前半部をエスケープ。 水ヶ峰付近にある野迫川村総合案内所(左)から大股へ下降した。 下降路上半部の林道では想像以上の強風に曝され、ひと吹きで傘の骨をヘシ折られた。 上半身のシェルが防水布のハイキングジャケットだったのは性能不足で、下着まで濡れてしまった。 ザックカバーも背中側から侵入する水に対しては無力だった。 ![]() |
4月12日(曇) 大股-伯母子岳-三田谷大橋。 下山地に泊まり場ないため、予約十津川村営バスで川津に出て民宿泊。 |
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![]() 小辺路の秀峰、伯母子岳頂上 |
期待したほどには天気が回復せず、曇っていたが風はなく、落ち着いた空模様だった。 標高差700m 程、実働約6時間のロングルートだったが、長年踏みならされてきた古道は歩きやすく、意外に楽に伯母子岳頂上に到達した。(左) 曇天ながら冒頭写真のようなパノラマを楽しんだあと山を下ったが、行程の最後の部分の石畳道で地図を見ながら歩くという不注意を犯して転倒し、顔を負傷した。 幸い、すぐに止血でき、応急処置をして三田谷橋に下山した。 ![]() |
4月13日(曇り一時雨) 三浦口-三浦峠-西中。 村営バスで三浦口まで戻って峠を越し、西中に下山。 村営定期バスで十津川温泉まで移動して宿泊。 |
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![]() 三浦峠の東屋と案内掲示板 |
また天気が下り坂になった。 前日の負傷の影響もあって上々とは言えないコンディションだったが、この日は登高差が少なく、行程の始めの急登を乗り越したあとの登降が楽だったため、意外な楽勝に終わった。 三浦峠には、左のような立派な東屋とトイレがあった。 ただ、林道工事の際、あたりの景観が損なわれ、風情が失われていたのは残念だった。 ![]() |
4月14日(曇り一時薄日) 十津川温泉-果無峠-八木尾-熊野本宮大斎原=熊野萩。 果無峠を越え、熊野本宮大斎原を見学後、萩に戻って宿泊。 |
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![]() いにしえの雰囲気を止める果無峠 |
小辺路歩き最終日の関門は、標高差900m あまりの果無峠越えだった。 この日は、時々薄日が当たるくらいの好天だった。 傷の痛みも消え、そのお蔭で玉置山など、南奥駈の山並みを眺めつつ、山越えの古道を楽しく歩いた。 午後早く八木尾に下山できたので、熊野萩の宿にザックを置き、近所の道の駅で腹拵えをしたあと、熊野本宮まで足を延ばして大斎原(オオユノハラ)に参詣。 南奥駈の時から持ち越していた宿題を果たした。 ![]() |
4月15日(雨) 熊野萩-三軒茶屋跡-祓所王子-熊野本宮大社=新宮早玉大社。 本宮大祭祭典を参観した後バスで新宮に移動し、早玉大社に参詣して帰った。 |
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![]() 熊野本宮大社神主、雨中の大演説 |
穏やかな春雨の日になった。 小辺路ルートの最後の部分を忠実に辿り、裏口から熊野本宮大社境内に入った。 たまたま大祭の日に巡り合い、式典の終わりの部分を参観できた。 話が止まらないのは、神様に喋らさられているためだ、と言って聴衆の大笑いを誘った大神主の機知豊かな長広弁が面白かった。 新宮速玉大社参詣の目玉は神宝館だった。 数多くの遺物を非常に興味深く見学した。 ![]() |
☆おわりに 苦労して組み立てた山行プランだったが天候不良や思わぬ負傷などで楽しさが割り引かれた面は否めない。 登高差の大きい長丁場が続いたが、いにしえより数多の先蹤者達によって踏み均された古道の歩きやすさに助けられ、案外楽に踏破できた。 偶然、熊野本宮大社の大祭に回り合わせたり、早玉大社の霊宝館で多くの貴重な遺物を見られたのは良かった。 長い山旅の疲労と昂りが抜け落ちた今省みれば、気象条件は、多雨地帯の熊野としては、良くある範囲内程度だったのかも知れない。 曇りがちとは言い上、そこばくの展望も楽しんだ。 高野山、熊野本宮、早玉大社では色々なものを見学できた。 それらを考えあわせれば、なかなかに内容のある思い出深い山旅であったかと思っている。 ☆関連情報 小辺路全般の情報は、十津川村役場 観光課: Tel 07466-2-0001 Fax 07466-2-0580 URL http://www.vill.totsukawa.lg.jp E-mail kankou@vill.totsukawa.lg.jp 詳細ルートマップ: 世界遺産熊野参詣登山マップ "熊野参詣道小辺路" のダウンロードも可能 http://www.vill.totsukawa.lg.jp/static/koheti_map.htm |
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