桐生 吾妻山-鳴神山(2019.5.4-5)
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☆期日/(天気)/山行形式: 2019年5月4-5日 市内ホテル利用1泊2日低山尾根伝い ☆地形図(2万5千分1): 大間々(宇都宮10号-3N) ☆まえがき ☆5月4日(晴のち俄雨天気): |
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岡平沢の頭南肩から吾妻山方面の眺め (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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☆行動時間
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手入れの良い杉林の中を進んでゆき、金沢峠が間近と言う感じになった所でフッと気配を感じたので行く手左寄りの林の中を見るとカモシカがいてこちらを見ていました。 若いカモシカは好奇心が強いものですが、こいつもなかなか逃げずこちらを眺めています。 標準の3倍ズームレンズ最大80mm 相当までしか延ばせないので目一杯引き寄せても大写しができませんでした。 |
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カモシカの下を通り過ぎると間もなく行く手の上の方に峠の切り通しが見えてきました。 |
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金沢峠の鞍部は落ち着いた雰囲気のこじんまりした切り通しになっていました。 鳴神山と吾妻山を結ぶ尾根筋の道と、金沢から川内町五丁目へ乗り越えてゆく峠道の交点であることを示す道標が立っています。 |
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左折して吾妻山の方に向かうとすぐ大形山への登りが始まりました。 木の根が這っているほっそりした尾根を高距 100m ほど登ると、大杉山の南北に細長い頂稜の北の端に上がりました。 |
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急登から抜けだしたあとは、綺麗な新緑の山林に覆われた穏やかな尾根の背にのりました。 やがて登り着いた大形山頂上は、左の寫眞のように穏やかな雰囲気の広場になっていました。 吾妻山へ5Km 2時間20分と記した腕木を付けた道標と、三角点標石( 681.6m) がありました。 |
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大形山の先は新緑に囲まれた穏やかな尾根道が続きました。 |
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緩やかに上下しながら進んでゆくと尾根の幅が広がり、やがて右側が疎林になってきました。 突然前方がパッと開けました。 右手に周ってゆく尾根道の下が杉の幼木畑になっていて、人の背丈ほどの幼木の先に広大な視界が広がっていました。 吾妻山方面へ延びている尾根を縦観し、まだかなり先が長いことを知りました。 |
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左手に曲がっている尾根なりに進んで行ったのがまた右手に曲がって南北方向に戻ろうとする所に岡平沢の頭の道標が立っていました。 |
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写真の説明 (画像をクリックすると拡大) |
やや急にひと下りした尾根がまた平らになった所で振り返ると南に面した広大な斜面が一面、杉の幼木畑になっているのが見えました。 |
ふたたび平になった尾根に沿って僅か進んだ所に西方寺沢の頭の道標が立っていました。 |
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尾根の背を乗り越えたら林道と出合いました。 |
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暫くの間平坦な林道を進んだあと、ふたたび山道に戻り、稜線の西側を進んでゆくと右下に降りてゆく道が分岐し、入口に自然観察の森への道標が立っていました。 |
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分岐を見送って尾根沿いに直進してゆくとまわりが開け、明るい尾根の背に出ました。 |
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道端にカタバミの黄色い可愛らしい花が咲いていました。 70年近く続いたカメラ弄りもそろそろ終わりになりそうです。 小学校生のときに出会った戦前モデルのベスト半裁版 "金鵄カメラ" から始まっておそらく30台超のカメラを弄ってきましたが、最後のステージでは "これなら" と思えるまともなデジカメを使って終わりたいと思い、この3月に FujiFilm製ミラーレス X-T3 を入手しました。 小さな花にピッタリ焦点を合わせ、適正な露出を設定することができるようになったのは、銀塩時代の末期に使った中版一眼レフ以来のことでした。 |
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萱野沢の頭の南肩の開けた所に手作り野外テーブルとベンチが置かれていました。 時々ここに来て景色を肴に一杯やっている人がいるようです。 |
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568.3m 三角点標石の前に "吾妻山から自然観察の森への関東ふれあいの道" の解説板が立っていました。 |
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自然観察の森への道を見送って進むと山林の中に掲示板が外された看板支柱が立っていました。 |
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浅い鞍部に左下は宮本町、右下は川内町へ行けることを示す標識が立っていて、その先から徐々に登りになりました。 |
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雌吾妻山への登高は、途中からかなりの急登になり、丸太階段が続きました。 久し振りの山道をそこそこの距離歩いてきたあとで足腰の筋肉に疲労素が溜まっていたのと、関節の可動域が狭まって歩幅を階段の段差に合わせるのが難しくなっているのとで、なかなか厳しい登りとなりました。 |
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雌吾妻山に登り着きました。 ケルンがある頂上広場の横手に巨大な電波反射板が立っています。 少し前から日光足尾の方で鳴り始めていた雷鳴が少しずつ近づいてくるのが気になります。 朝方はきれいに晴れ上がっていた空に上昇気流の雲が出てきたのまでは良かったのですが、今は剣呑な黒雲が頭の上に被さってきています。 |
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黒雲と雷鳴に追われるような感じで先に進み、ひと下りした鞍部から登り返して雄吾妻山の頂上に登り着きました。 石祠のある頂上広場は少々岩っぽく、東寄りの山林が切り開かれていて桐生から大田へ広がっている市街地を見渡すことができました。 |
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吾妻山から桐生大田方面の展望 (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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景色を眺めているうちに大粒の雨がポツポツ落ちてくるようになりました。 大降りになる前に山道から出たいので先を急ぎ、下降路を進んでゆくとルートが二手に分かれていました。 まっすぐ岩場を下ってゆくのは男道で、疲れた年寄りには向いていなように思ったので回避し、右手を迂回する女道に入りました。 、祠の前で折り返して岩場の下まで戻ると男道と出合い、左の写真のような標識が立っていました。 |
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トンビ岩の展望 (画像をクリックすると拡大) |
わずか下った所にあるもう一つのガラ場も女道へ迂回して下るとトンビ岩に着きました。 岩頭に立つと間近になった桐生から大田へ続く市街地の家並みを見渡すことができました。 この日最後の展望スポットなのでゆっくり休みたいところだったのですが頭の上でゴロゴロ・ピカピカ。 大粒の雨もパラパラ落ちてくるのでまるで落ち着きません。 寫眞を一枚写しただけで先を急ぎました。 |
舗装車道の上に架かっている歩道橋まで来たあたりで雨が強くなったので折りたたみ傘を出しました。 まだ扱い慣れていないカメラを片手操作で使い出したとき、ウッカリミスで ISO感度ダイヤルを動かしたのに気がつかず、このあとに撮った写真はすべて極端な露出不足になりました。 事後にパソコン上で目一杯修正してここまでが限界、と言う状態でした。 |
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水道山公園の眺め (画像をクリックすると拡大) |
間もなく車道に出たので左下に吾妻公園を見下ろしながら進み、尾根の先に回り込んだら水道山公園の展望広場に着きました。 心配した雨は通り雨だったようであたりが明るくなり、平野の向かい側の山が見えるようになりました。 正面は御荷鉾山で左手は外秩父から奥武蔵。 右の方は西上州へ繋がってゆく山並みです。 公園の斜面をまっすぐ降りて市街地に入り、道を拾ってゆくと上毛電鉄西桐生駅前に着きました。 その100m あまりがJR桐生駅で、この夜の宿りは駅のすぐ後ろ側でした。 |
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詳細ルートマップ
情報をまとめて ZIP 圧縮したもの。 解凍するとそれぞれの kml ファイル が得られます。 Google maps に読み込むなどして 利用してください。 |
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Googleフォトアルバム 桐生 鳴神山-金沢峠-吾妻山[1] (2019.5.4) (全画像に撮影地点の経緯度情報が埋め込んであります) |
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☆5月5日(晴): 大滝登山口までタクシーでアプローチし、石鳥居から大滝、水場、参籠所鞍部を経て 鳴神山に登頂したあと、稜線を南下。 |
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鳴神山頂上の展望、残雪の谷側連峰、上州武尊、日光白根が見えた (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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☆行動時間
☆ルートの概況 |
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日曜日は都合の良い時間に登山口に行くバスの便がありません。 前日と同様、桐生駅前で客待ちをしていたタクシーに乗って大滝登山口へアプローチしました。 鳴神山は山の名でも分かるように古来信仰登山の山で登山口には小振りながら堅固な感じの石鳥居が立っていました。 足拵えをしたり GPS を起動したりして入山の準備をしていたら地元の人達が軽トラックなど、数台の車に分乗してやってきました。 この日は春の例大祭だそうで笹の束や幟の柱などお祭り用品をいろいろ運んで来ていました。 |
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山上の神社のお祭りの設営をするために登る人達に混じり、話をしながら大滝ルートを登りました。 鳴神山の雷神岳神社はもと、川内と梅田と、山の両側の麓の村が協力して維持していたのが人口減や高齢化のせいで川内のサポートが途絶え、今は梅田の氏子だけでお祭りをやっているのだそうです。 お祭りに必要な物を色々運んでいるので、若い人たちはともかく年配の人達は大変そうです。 薄暗い大滝の左岸を巻いて登るとしばらくで綺麗な源流の雰囲気になりました。 |
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大岩の脇に "水場" の標識が立っていました。 このくらい高い所で水が飲めれば、特に山の支度をして来なくても神社に登拝することができます。 |
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上の方に鞍部が見えてくると杉林の間の空き地に "カッコソウの復活を願って カッコソウを愛する有志一同" と記した看板が立てられてありました。 絶滅したカッコソウ群落の跡地のようですが今は杉の落ち葉が積もっているだけの何の変哲もない空き地です。 |
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頂上南肩の鞍部に上がりました。 梅田と川内から登ってきた道が出合っている北側に鳥居と一対の狛犬が居ました。 鳥居を潜って頂上に向かう道の左側に新しい作業小屋、僅か先の右側に参籠所があります。 氏子の人達は手分けして作業を始めました。 笹幟を押し立てたり、参籠所の掃除、カッコソウ復活活動募金受付テーブルの据え付けたりなどしています。 "カッコソウはどこに?" と尋ねてみたら、山の北側の "ウラの広場" の近くに群落が残っていて花が咲いてますよ、と言う返事でした。 |
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花は来年の春の楽しみとし、群落復活の活動費としてささやかな寄付をしたら、花の写真の絵葉書とキーホルダーをもらいました 鳥居を潜ってやや急な尾根を登るとすぐ小さな鞍部に着きました。 国土地理院に2万5千分1地形図ではよく分かりませんがこの山は双児峰になっていて右手が本峰の桐生岳でした。 露岩を登るのと藪尾根を登るのとふた通りのルートがあったので人が少ない藪尾根の方を登って頂上に上がりました。 |
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石祠のある頂上広場はお祭りで登ってきた地元ハイカーで賑わっていました。 石祠の脇に立つとグルリ360度の視界が得られ、北の方は上のパノラマ写真のように谷側連峰、上州武尊岳、庚申山と皇海山、奥日光の山並みが見られました。 また南の平野の方を見ると下の写真のような景色になっていて、徐々に高度を下げながら吾妻山まで繋がっている長い尾根筋を俯瞰し、その先の平野の中に八王子山から唐沢山へ連なる丘陵が横たわっているのが見えます。 |
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鳴神山頂上から南方の展望 (画像をクリックすると拡大) |
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頂上からの下降ではガラ場の方を通ってみたら、左のように露岩のガラ場でロープが固定されていました。 |
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鞍部まで下ったら参籠所で神主の祝詞奏上が終わった所でした。 賽銭箱が出ていたのでお賽銭を上げてこの山行の無事を祈り、鳥居の袂にいる狛犬(オオカミ)に挨拶して鞍部に降り、金沢峠への尾根伝いを始めました。 |
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進入した尾根は穏やかな登りですが大きな露岩が目立ちます。 ひと登りすると傾斜が緩み、綺麗な芽ぶきの林に覆われた尾根に乗りました。 |
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穏やかに上下してゆく尾根筋を辿ってゆくと "鳴神山1.4km 40分/吾妻山 7.2Km 2hr50min" と記した道標があり、その僅か先で始まる下り坂の手前に左の寫眞のように2つの三角点表石がある高みに着きました。 地形図上で 811.6m と記入されている三角点です。 |
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穏やかに下ってゆくと尾根の幅が広がってきました。 この手の小低山では珍しい地形です。 そこを通過すると、石祠と神像が並んでいる広場に出ました。 ふたつの石祠の間に立っている神像がなかなかの男前です。 |
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もうひとつ先にある石祠の先から僅か高度を下げたあたりが三峰で、ピークの東肩を乗り越え、さらに東に向かって回り下りました。 右横のピークの方に引っ張られたり、直進して西へ派生している支尾根に迷い込んだりするの防ぐためか、左のような道標が立っていました。 |
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金沢峠に向かって高度を下げてゆくところでは芽吹きの林が綺麗でした。 |
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前の日に通って見知っている金沢峠の鞍部から杉林の中へ降下をはじめました。 振り返ると杉の密林の中に峠の鞍部が見えています。 |
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前の日に歩いて様子が分かっている道なのでのんびり下って行くとやがて前のほうが開け、金沢最奥の民家が見えてきました。 庭先に引いてある冷たくて美味しい山の水で喉を潤したあと観音橋への下降を続けました。 |
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道端に植え込まれたツツジがとても綺麗で、まるで公園の遊歩道を歩いているみたいです。 |
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観音橋で県道に出会う角に左のような案内地図看板が立っていました。 |
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観音橋バス停はなにもない草原と道路の境にポストと野外ベンチがひとつあるだけのそっけない所でした。 50m ほど先の建物の軒下にジュースの自販機があり、冷たいジュースで喉を潤すことができました。 ここからJR桐生までバスで20分。 早い時間に下山できたのですぐ近くにある西桐生へゆき、上毛電鉄の電車に乗って前橋へ回りました。 同じ県内のもうひとつの私鉄電車 "上信電鉄" は子供時代から親しんでいるのですがこちらは(多分)初めてです。 赤城山の南麓を横切ってゆくにつれ徐々に変化してゆく赤城山の眺めを楽しみました。 |
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詳細ルートマップ 情報をまとめて ZIP 圧縮したもの。 解凍するとそれぞれの kml ファイル が得られます。 Google maps に読み込むなどして 利用してください。 |
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Googleフォトアルバム 桐生 鳴神山-金沢峠-吾妻山[2] (2019.5.5) https://photos.app.goo.gl/ZMFLd2cmCpthHZvU6 |
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☆おわりに |
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