大房岬-崖観音-那古寺 (2018.2.5) |
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☆期日/天気/山行形式: 2018年2月5日(曇一時風花、のち晴天気) 単独日帰りハイキング ☆地形図(2万5千分1): 那古(横須賀2号-4) ☆まえがき 南房総の西岸部、岩井と富浦の間の山地を越える所にあるふたつの古道峠 南無谷峠と木之根峠に興味を持ちました。 ネットで最近の状況を調べてみると峠道は双方とも廃道になっていてちょっとした藪ルートになっているようです。 いきなり本番をやるのは止め、予め周辺の様子見をした方が良いかも、と思いました。 また、富浦と館山との間にある大房岬や、館山北部の海沿いにある崖観音と那古寺にも興味を持ちました。 そこで、この一帯の土地勘を得ることも兼ねた偵察山行を行うことにしました。 山行日が強い寒波の南下にあたり、南房総でも風花が舞うほどの寒い日になったのですが、午後からは穏やかな冬晴れになりました。 江戸時代以来、時代ごとに築かれた砲台/要塞の遺跡がある大房岬の三つの展望台と、堂山の中腹の崖に懸けられた崖観音のお堂と、那古寺観音堂の後の山の上にある潮音台からの、海と山の広大な展望を楽しんだ海辺の遠足となりました。 |
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☆ルートの概要 Google マイマップへ |
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☆行動時間 宮崎台[6:56]=錦糸町[8:10]=(JR総武線快速君津行)=[9:29]君津[9:31]=(JR内房線)=[10:23]富浦(10:30)-原岡海岸(10:40/44)-富浦漁港(11:03/05)-大房岬レストハウス(11:25/30)-大房岬自然の家(11:43)-大房岬ビジターセンター(11:46/56)-旧要塞探照灯跡(11:58/12:06)-第2展望台(12:09/12)-第1展望台(12:18/23)-旧要塞第2発電所跡(12:26)-展望塔(12:30/35)-大房岬レストハウス(12:42/55)-(13:25)大房岬入口バス停[13:29+3]=(館山日東バス 210円)=[14:32+3]崖観音前バス停(13:35)-大福寺(13:42)-崖ノ観音(13:47/55)-崖観音前バス停(14:00)-長寿庵(14:06)-那古観音(14:38/48)-潮音台展望台(14:53/15:01)-那古山(15:07)-那古山東口(15:17)-那古寺本堂(15:22/24)-(15:28)那古バス停[15:37]=(館山日東バス)=[15:50]館山駅[16:17]=(JR内房線)=千葉=(JR総武線快速)=[18:52]錦糸町=(メトロ・東急線)=[19:57]宮崎台 ☆ルートの概況 富浦の駅前通りから国道を渡って海岸に向かい、浜沿いの遊歩道に出たら相模湾の向こうに富士山が意外な大きさに見えました。 |
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原岡海岸の眺め、大房岬-富士山-法華崎 (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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左折して浜沿いの遊歩道を進んでゆくと要所に古い道標が立っていて、20分弱で富浦漁港に着きました。 こじんまりした漁港の埠頭に面して漁協直営の食堂や直売所がありましたがシーズンオフの月曜日のためか、どちらも閉まっていました。 港の背後の山に突き当たった所で左折し、大房岬に向かって進みました。 |
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少し先で右手へ曲がり、駒沢大学セミナーハウスの前の坂道を登ったあたりから急に冷たい風が吹き募り、頭の上に黒い雲が広がってきたと思ったら風花が舞い始めました。 鞍部を渡って僅か登った所が公園の入口で、広い駐車場とレスト・ハウスがありました。 レストハウスは無人でしたが休憩室が開放され、壁に様々な掲示張り出されていました。 公園のイラスト・マップ台の上に置かれていたので1枚頂いたあと、寒さ対策として帽子・手袋を出しました。 |
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レストハウスの先300m あまりの所に大房岬自然の家、さらにその先の近道を300m ほどでビジターセンタの前に着きました。 センターには小規模な展示室があり、大房岬の自然史などを平易に解説した展示が見られました。 大房岬が今のような "半島" になる前には、地盤の隆起沈降に伴って海没したり、島になったり、大きな変化があったのだそうです。 |
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大房岬は対岸三浦半島の剱崎とともに浦賀水道の出口を扼する戦略的な岬です。 先の大戦が終わるまで、大形砲を備えた要塞地帯だったことを示す分厚いコンクリート構造物があちらこちらに残っています。 左の写真はその一例で、常時は隠しておく探照灯の格納庫でそうです。 |
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第2展望台の眺め (クリックすると拡大) |
要塞跡のすぐ先に第2展望台がありました。 岬の先端にある増間島の山越えに房総半島南西部の海岸線を縦観できました。 |
第2展望台から北に向かう道端には江戸時代の砲台跡のことを記した看板が立っていました。 |
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東屋がある広い芝生を横切って行ったところに第1展望台がありました。 かつてこの付近には、ワシントン軍縮条約の結果、解体された巡洋戦艦「鞍馬」の副砲だった 20cm 45口径連装砲塔2基を据え付けた砲台があったそうです。 |
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第1展望台の眺め (クリックすると拡大スクロール) |
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公園入口に戻るため芝生広場を横切って行くと右手に展望塔が立っていました。 螺旋形の階段を登って大きなお盆のような形の展望台に上がると360度の視界が開けました。 まわりの木が育ったせいか森の梢との高度差が僅かしかなく、下の方の視界が遮られているため期待した程の景色は見れませんでした。 |
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大房岬展望塔から北方を望む (クリックすると拡大スクロール) |
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レストハウスに戻って軽い飲食をしたあと、大房岬入口バス停まで少々の車道歩きをしたあと、館山行の路線バスに乗って船形の崖ノ観音まで移動しました。 崖観音バス停は観音堂の下を通り過ぎた道の曲がり角の先でした。 館山に向かうバスが右折するT字路の残りのみ地はまっすぐ那古山に向かっていて昔からの参道だったと思われ、入口の角の電柱に "崖ノ観音 大福寺" の看板が取り付けてありました。 |
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崖ノ観音遠望 (クリックすると拡大) |
参道に入るとすぐ山の中腹の崖に懸っている観音堂が人家の屋根の上に見えました。 朝方は一時、険悪な雲行きでしたが昼を過ぎた頃から風が止んできて青空が広がり、厳冬期としては穏やかな好日になりました。 山裾に突き当たって左折するとすぐ、大福寺の本堂の下の石段がありました。 前庭に上がってみた本堂はこじんまりしたお堂ですが、山を背負って落ち着いた雰囲気が漂い、良い感じでした。 |
国土地理院地形図には、観音堂の脇から裏の堂山(107.3m 三角点峰)の頂上まで破線路が描かれているのに気がついていたのでここを通って登頂できると良いな、と思っていました。 右横の庫裏の前庭で年配の女性を掃除していたので登頂路のことを尋ねてみたら、「今は通れませんよ」と言う返事。 何年か前に、地元の子供達がここから頂上に登ったものの、道に迷って帰れなくなり、大騒ぎしたあと入口を閉ざしたのだそうです。 |
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本堂の左脇から階段を登ってゆくとオーバハングした崖に嵌め込むように造られた観音堂に登りつきました。 お堂の手前にあるトンネルが登頂路の入り口のようでしたが鉄パイプで閉鎖されて入れませんでした。 |
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お堂の前側がテラスになっていて広大な展望が得られました。 眼の前に広がる館山湾は鏡ヶ浦と言われている通り、午後の日を反射してキラキtら光っています。 足元の船形海岸から館山市街を経て対岸の西岬まで延びている長い海岸線を眺め、気宇広大な気分になりました。 |
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崖観音から鏡ヶ浦 (クリックすると拡大) |
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期待していた堂山に登れないことが分かって少々がっかりして石段を下り、船形の通りに出ました。 時間があるので船形の街中の角の少し先にある蕎麦屋を訪ねてみましたが生憎休みでした。 そこで、さらに2Km ほど南にある那古寺に立ち寄って帰ることにしました。 県道沿いに歩きだした曲がり角に、"那古船形のみち" と称するウオーキング・コースの道標が立っていて、支柱に分かりやすい案内地図が取り付けてありました。 |
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シャッターを閉ざしたお店が目立つ通りを進ん行った先で右折するT字路の角に那古寺入り口の標識が出ていました。 左折して坂を登り、石段を上がったところに仁王門がありました。 |
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那古寺 多宝塔と観音堂 (クリックすると拡大) |
境内は山裾の細長い平地で、阿弥陀堂、多宝塔、観音堂が一列に並んでいました。 |
那古寺は僧行基開山と伝えられる古刹です。 観音堂は西に面して海に沈む夕日を眺め、補陀洛山の山号を持っています。 源頼朝が再興したあと、戦国時代に勢力を張った里見氏菩提の寺になったとのことで、坂東三十三観音巡り結願の札所として大いに栄えた歴史があるそうです。 |
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境内の奥手にある岩船地蔵堂は、かつて頻発していた海難事故の除災を祈願して建てられたようです。 観音堂と多宝塔の間から山に上がってゆく階段の入り口に "潮音台" への道標が立っていました。 崖に沿って設けられた段差の高い石段を登ったあと、右に曲がって山腹を斜上してゆくと頂稜を通っている道とT字路で出合いました。 |
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左折してひと登りで着いた潮音台は柵に囲まれた広々したた所で、午後の日を照り返して キラキラ輝く鏡ヶ浦と館山の市街を見渡せる素晴しい展望は崖ノ観音と双璧をなしていました。 東屋の脇には "山三" 印が刻まれた祠は、かつて盛んに行われた富士講の遺跡です。 また、広場の奥の方には、和泉式部とその娘 小式部内侍のメモリアルと言われる古い石標が並んでいました。 |
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那古寺 潮音台 (画像をクリックすると拡大) |
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存分に景色を楽しんだあと那古山の頂上に向かいました。 T字路を直進して広く緩やかな鞍部を渡ると幅広の丸太階段が整備されている緩やかな登りになりました。 |
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短い登りが終わると2基の野外ベンチが並んでいて、その先の高みに3本の鋼管電柱が立っていたのを根元で切り倒したような感じのものが並んでいました。 このあたりが那古山の頂上に違いないのですが山名標識などは見当たりませんでした。 |
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那古山頂上からの下降路はかなり急な斜面を折れ下って行く道でした。 丁寧に整備された幅広の道で擬似木のフェンスで安全を確保し、誰でも問題なく歩けるようになっていました。 |
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山道を下りきって麓の街の家並みの間を僅か歩くと那古寺本坊の横手に出ました。 このあたりで最大と言われる大蘇鉄が玄関脇に立っている本堂の前は広々した参道が延びていて、かつての繁栄が偲ばれました。 |
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本坊参道から県道に出るとすぐ、左脇に館山行のバス停ポストが立っていました。 館山駅方面へのバスは週日は毎時1~2便ですが、タイミングが良かったので10分ほど待っただけで済み、予定より1時間ほど早い千葉行電車で帰途に就く事ができました。 崖観音の堂山は登りそこねましたが那古山では素晴らしい展望と気分の良いマイクロ縦走ができて、それなりの埋め合わせとなりました。 |
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☆ルートの概況 ルート詳細図 (国土地理院地形図を利用し カシミール3D で作図) GPX ダウンロード 元画像のアルバム |
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☆おわりに 今回は山行と言うよりむしろ "海辺歩き" でしたが、展望に恵まれた変化に富む地形の中を楽しく歩くことができました。 崖ノ観音からのルートが閉鎖されていたため、堂山に登り損ねたのだけは心残りでしたが、帰宅後にあらためて調べまわったら、"房総丘陵 1000" というウエブ・サイトを見つけました。 房総の山野と歴史の総合事典と言ってもよい程の、非常に情報量の多いサイトでした。 このサイトの "那古山" のセクションに出ている情報によると、閉鎖されてしまっているルートのほか、北麓の大半津から急登するのと、西尾根末端にある瀧渕神社から西尾根を辿るのと、ふたつのルートがあることが分かりました。 次回の本番山行で南無谷峠・木ノ根峠を探訪する時にあらためて、これらのルートから堂山頂上への到達を試みようと思っています。 また、那古山の潮音台へは、今回登った観音堂脇からの中央口と下山時に通った那古寺本坊近くの東口のほか、西尾根を辿る古道ルートがあることが分かりました。 時間があったらこちらもトライしてみたいと思っています。 |
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