奥武蔵 横隈山から住居野、今里へ (2015.4.12)


☆期日/天気/山行形式: 2015年4月12日 公共交通機関利用日帰りハイキング
☆地形図(2万5千分1): 鬼石(宇都宮16号-3)
☆まえがき
    横隈山(593.6m)は、奥武蔵の山並みの背後、埼玉県と群馬県の境にある山です。
交通が不便で行き難い地味な山でよく「寂峰」 という枕詞を付けて呼ばれます。

  この春は桜が咲いたあと曇と雨が続きましたが、ようやく晴れ間が訪れると言う予報が出たので急遽計画を立て、長年の間行きそびれていたこの山に行ってみました。

  爽やかな風が吹き渡る好天に恵まれ、芽吹きの山の眺めを独り占めで楽しむことができました。
下山はもとに戻るルートでなく、住居野峠から山の西麓を洗っている神流川への下降を試みました。
国土地理院地形図を見ているうちに、頂上南西の中腹にある集落に 「住居野」 と言う魅力的な名が書き込まれているのに気がついたからです。

  小さな山のささやかなバリエーションでしたが、住居野の里では桜や菜の花など、春の花が満開になっていて、山上の別天地でした。

横隈山西峰の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)
☆行動時間
    渋谷[7:32]=(湘南新宿ライン)=[8:48]熊谷[8:52]=(秩父鉄道)=[9:47]皆野駅/バスターミナル[10:20]=(皆野町営バス)=[10:48]いろは橋バス折返場(10:50)-登山口(11:20/25)-平沢峠(11:45/50)-水場標識(11:59/12:01)-車道脇(12:06)-西肩展望所(12:10/17)-横隈山(12:17/35)-平沢峠(12:52)-2番目の鉄塔(13:11)-住居野峠(13:18/19)-住居野バス停(13:35)-丹生神社(13:45/47)-住居野入口バス停(東屋 13:53/14:00)-鳥羽川橋(331号線 14:37/38)-登仙橋(=県境14:46/48)-(14:57)今里バス停[15:27]=(神川町営バス)=[15:31]支所前[15:52]=(朝日バス)=[16:37]本庄駅[16:45]=(快速アーバン)=[17:31]上尾[17:43]=(上野東京ライン)=[18:07]赤羽=(埼京線)=新宿=渋谷

☆ルートの概況
   横隈山へのアプローチ・ルートとしては、秩父鉄道野上駅から出牛峠を越えてゆくのと、皆野から町営バスで秩父児玉線を北上していろは橋折返場に入るのと、ふたつの選択肢がありました。
様子が良く分からない神流川谷への下降路に備えて、老化で衰えた体力をなるべく温存しておけるよう、いろは橋から歩き出すアプローチ・ルートを選びました。

  山の入口となる皆野は、多摩川の西から見るとかなり遠い町です。
従来は、東急電車で渋谷に出たあと池袋にまわり、西武池袋線、あるいは東武東上線から秩父鉄道に乗り継いで行く長いアプローチが必要でした。
最近は、副都心線ができて幾らか便利になっていますが、今回は渋谷から湘南新宿ラインを利用して熊谷へまわる、もっとも乗り継ぎが少ないルートを試してみました。
  熊谷で秩父鉄道電車に乗り継いで皆野へ向かいましたが、長瀞で春のイベントがあったため、途中まで満席でした。

長瀞から先はガラ空きになり、皆野ではごく僅かな人数が降りただけでした。
皆野はずいぶん久し振りだったため、駅から少し離れた所にバスの発着場があることも忘れかけていました。
駅前でウロウロしているうちにふと思い出し、バスが出る時間の前に三叉路のコーナーにあるバスターミナルに行き着くことができました。
  この日は近くの蓑山で桜まつりが行われ、花を見に来た客を送迎する臨時バスが運行されていました。
待合室の建物の二階では地元の山屋系ボランティアが案内所を開き、いろいろな資料を展示したり、配布したりしていました。

  それらの中に最新版のハイキングのルート地図があったのでありがたくいただきました。
駅からいろは橋折返場バス停まで30分近くかかりました。
発車したときには5、6人の乗客があったのですが途中でみな降りて行き、ここまできた者はほかに居ませんでした。

  山里は季節が遅く、ようやく桜が咲き揃おうかという位の早春の景色になった所でした。

  谷の中ほどにある平沢の集落では色々とりどりの花が咲きいていて綺麗でした。

  人家が途絶えると道幅が狭まり、やがて給水タンクの脇で車道が尽きました。
その先は山畑の石垣にそって谷に入ってゆく山道になりますが入口の脇に本庄山岳会が立てた標柱が立っていました。

  ひと休みしたあと山道に踏み込むとすぐの所に立っている杉の木に白塗りのプレートが取付けてありました。
「横隅山」 と誤字になっているのを 「隈」 と訂正しているのはご愛嬌でした。

  程々に踏み固められて歩きやすい道を進んで谷の中に分け入ってゆくと行く手を倒木に塞がれていて、その手前から右手の斜面に折れ登るところがありました。

  一段高い所に上がって二股の右手に入り、さらに進んで行くあたりから山深い感じになってきましたが道はよく整備され、歩きにくい所はありませんでした。

  やがて左折してやや急な谷奥の斜面を斜めに上ってゆくと頭の上が開け、行く手に林が明るくなってきました。
 
  まもなく平沢峠の鞍部に上がりました。
横隈山頂上へは鋭角に折り返し、尾根の背を進んでゆきます。
 
  峠の鞍部の向こう側へ降りてゆく道は消えてほとんど見えなくなっていましたが石造りの立派な道標が立っていて、昔は頻繁な人通りがあった峠の名残を留めています。

  右折して尾根の背を進んでゆくと明るい自然林の中に入りました。
右手に送電線巡視路を見送って左折し、小ピークを乗り越えました。

  浅い鞍部を渡った先から緩やかに登って行くと岩群が見えてきました。
大岩の脇に古い木柱が立っていたので近寄ってよく見たら 「水場」 と刻まれていました。

  右下の窪地の中を覗いてみると小さな湧水池のようなものが見え、昔から利用されている水場のように思われました。


  登りがやや急になっている所に固定ロープが取付けてありました。
登ってゆく時には 「なぜこんな所にロープ?」と思いましたが、あとで降りきたときに、雨などで道がぬかっていれば必要になるロープだと、いうことが分かりました。

  さらにひと登りしたところへ下から登ってきた林道が接近していました。

  林道の脇から斜面が急になって少し山っぽくなり、少々足場が悪い所を2、3回折れ登りました。

  急斜面を抜けると前途が開け、頂稜の一角の高みに丸太の手摺が設けられている所に上がりました。


 (画像をクリックすると拡大) 

  この高みは横隈山の西峰とも言うべき所でした。
丸太手摺に近寄ると山の裏側を流れている神流川の谷が一望でした。

  遠くの方には上越から上信国境、浅間山や榛名山あたりが見えるはずですが前日までの雨が大気に持ち込んだ水分が淀んで濃い霞のカーテンになっていました。
ページ冒頭のパノラマ写真もこの頂上で撮ったものですがせいぜい左手近くの雨降山・御荷鉾山あたりまでしか見えません。

  見晴らしの良いこの高みはかつて信仰登山の祭祀場だったようで、途中で折れた三波石の石碑に 「御嶽・・・・・大権現」 と刻んだ文字が見えました。

  右折して本峰に向かおうとする所にはもうひとつ 「武尊大神」 と刻んだ石碑が立っていました。

  ほとんど平坦な頂稜を僅か進んだ所が頂上で、平らに広がった尾根の背の切り開きに三角点標石と山名標柱とがありました。


  至極パッとしない頂上で、まわりを疎林に囲まれ、展望も捗々しくないものの、わずかに南の方が開けて山並みが見られました。
右の端の方の高い所に電波塔が立っているのは城峰山のようでした。

横隈山頂上の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール) 

  頂上でひと休みしたあと西峰に戻り、左折して急な斜面を下ってゆくと右下に林道が見えました。

  この林道を歩いてゆけば山の中腹を横切っている林道と出合う T字路に降り着きます。
左折して南下すれば住居野へ、右折して北上すればゴルフ場の脇を通って神川町の中心街に下山できます。

  今回はできるだけ山の中を歩くことにしていたのでそのまま山道を下り続け、自然林のピークで右折したあと平沢峠を通過してさらに南下を続けました。
 
  平沢峠から僅か南下した所に送電線鉄塔が立っていました。
 
  鉄塔の足許から右手を眺めると下久保ダムの水面が見えました。
 
  わずかに下ったあと地形図上の 504m ピークに向けて登り返してゆく途中でうしろを振り返ったら今降りて来た山が見えました。
 
  491.4m 三角点はうっかりして気づかずに通過してしまいましたが一旦下ったあと登り返していった所に2番目の鉄塔が立っていました。

  鉄塔の下の切り開きに出ると右手の杉林の隙間から下久保ダムが見えました。
 
  鉄塔の先に進むと簡易舗装の車道になりました。
鉄塔建設に必要な資材を運搬するために開かれた車道と思われました。
V字に二度 折り返したあとは住居野峠に向かってまっすぐ下って行く坂になりました。 

  鎖を張った車止めの脇を通り抜けると住居野峠の舗装路に出ました。

  峠の頂上で道がV字形に折れ曲がっていますが V字の頂点にゲートがあり、その先は 「神風興業株式会社」の砕石場で、危険だから立入禁止という看板がかかっていました。

  鋭角に右折して西側の斜面を斜めに横切ってゆく道路に入り、住居野へ向かいました。
幅広の舗装路ですが砂利を満載したダンプカーの通り道になっているようで轍がくぼみ、荷台からこぼれたと思われる灰色の砂が路面を覆っています。

 (画像をクリックすると拡大)

  峠から少し進んだ所に左側が開けている所があり、下久保ダムとその先に立っている山が見えました。
これもまだ登りそこねている山のひとつ、雨降山らしく思われました。

  カーブを回りこんでゆくと桜の花が見えてきて何となく里っぽい雰囲気になってきました。

  左下に降りてゆく広い道路が分かれている所では、左のような若木の桜並木があり、その脇に神川町営バスの 「住居野」 バス停ポストが立っていました。

  週日には3本ばかりの便があるようですが山歩きに利用できる時間割ではないようです。

  やがて最奥の人家が見えてきました。
住居野は緩やかな斜面を横切ってゆく路にそって疎らに人家が並んでいる山里でした。
道端や家々の庭先に色々な花が咲いていて、とても綺麗でした。


  集落の下手に神社がありました。
狭い土地では貴重な小広い平地に赤塗の鳥居が立っていてその後ろに丹生神社の小さな社殿がありました。

  広場の脇に、「丹生神社の獅子舞」 の由来を記した看板が立っていました。

 (画像をクリックすると拡大)

  道から一段上がった所にある人家の裾の石垣の下は菜の花畑で黄色い花で覆われていました。

  奥秩父、奥武蔵、西上州あたりを歩いている時にいつも、日本の山里は綺麗だなぁ、と感じます。
どの家も建物の手入れがよく、庭先に珍しい庭木が立ち、きれいな花が咲いているだけでなく、道端に色々な花を咲かせて通りがかりの者の目を楽しませてくれます。
  集落を出外れた所にT字路があり、山裾を横切っている広い車道と出合いました。
角の向こう側に東屋があり、その脇に 「住居野入口」バス停のポストが立っていました。
ここも日に2、3便で山歩きに使いやすい時間のバスはなさそうです。

  東屋の後ろに広場があり、ちょっとした展望スポットになっていたので景色を見ながら休憩しました。

  未知数だった住居野への下降が思ったより順調にできたお陰で、神流川谷を通っている路線バスの3時過ぎの便に楽に間に合う見込みとなりました。
  とりあえず、最寄りの鳥羽川橋バス停へ向かって車道歩きを始めましたが、すぐ先に二股があってどちらに行けばよいか判断に迷いました。

  上の路を少し進んでみたのですが、どうもこれは先刻通った桜並木の上で別れていたバイパス道らしいと思えたのであともどり。
落石多しと記した注意看板とゲートがある方の下の道に入り直しました。
  こちらは県道289号線で、 もとは幹線だったものの、今はあまり使われなくなったような感じの道路です。
  途中に右側が開け、神流川谷が見渡せるところがありました。

住居野の下手から神流川谷    (画像をクリックすると拡大)
 
 
(画像をクリックすると拡大) 

  もう少し進んで行ったところにまた開けた所があり、今度は住居野の方への視界が開け、さっき休んだばかりのバス停の東屋が見えました。

  左手にまわり下ってゆくと車の音が聞こえてくるようになりました。
やがて鳥羽川橋に着き、神流湖の南岸を通ってきた331号線とT字に出合って右折しました。

  古くなって文字が読み取り難くなった関東ふれあいの道の道標(蜘蛛淵?)を見たりしながら坂を下ってゆくと赤塗のトラス橋が見えてきました。

神流川に架かっている登仙橋で、埼玉県神川町と群馬県藤岡市の境界であることを示す看板がかけられていました。

  橋を渡って群馬県に入るとすぐダムサイトから降りて来た道と出合いました。
その角の近くに「三波石峡」と刻んだ石柱が立っていましたがダムの影響で水流が細まり、今は見に来る人がいるのかどうか?


  石標のすぐ下手に 「譲原地すべり対策事業」 というタイトルの説明看板が立っていました。
この辺りの急傾斜地は割れ目の多い複雑な地質になっていて大規模な地すべりが起こる恐れがあるので、それを防ぐため地下に水抜きトンネルが張り巡らされているのだそうです。
看板のすぐ脇に左のような出入口がありました。

 (画像をクリックすると拡大) 

  満開になっている道端の桜を見ながら歩いてゆくと、まもなく今里に着きました。
歩いてきた道の上の緩斜面に集落があり、その上の山裾を国道462号線(十国峠街道)が通っています。

  ひと登りして国道に上がれば鬼石経由、新町行き中央バスに間に合うタイミングだったのですが、それより少し遅い時間に県道を通って神川町に行く町営バスを利用。
神泉支所前で朝日バスに乗り継いで本庄に出てみることにしました。

  中央交通バスはこの前の御嶽-子王山を含めて何度か利用しているお馴染みのルートであるのに対し、神川町から本庄に出るルートは、鬼石の桜山に来た時に一度通ったことがあるだけだったからです。

  乗り継ぎ地点の神川支所前バス停は向かい側にあるお店で何か仕入れることができそう、と期待していたのですが日曜日は休店。 おまけに自販機が壊れていて500円玉を入れたのに全く反応せず!
お金を取られただけで終わりました。
  そのかわり、バス停の公衆トイレと給水場は立派で、蛇口から流れ出す豊富な山の水で顔を洗い、喉を潤すことができました。

☆ルートの詳細



  ルートマップ
     地図アプリ カシミール使用し、
   国土地理院地形図に GPS記録
   を記入して作成したものです。
   始点赤丸は皆野町営バスの
   いろは橋折返点、
   終点赤丸は神川町営バスの
   今里バス停を示します。





  元画像のスライドショー
      写真共有サイト Flickr の
      スライドショーです。




  Yamareco の山行報告

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☆おわりに

   皆野起点で奥武蔵の寂峰 横隈山に登ったあと山の裏側の神流川谷へ下山しました。
頂上南西の中腹にある山上集落 「住居野」 の名に惹かれて試みた山越えでした。
住居野は素晴らしい展望スポットに恵まれた期待通りの山上の別天地で、色とりどりの春の花が咲き、とても楽しい「バリエーション・ルート」 でした。
入山時に利用した皆野町営バスと、下山時の神川町営バスと、日頃山間地の交通弱者を助ける仕事をしている若者たちの優しい接客態度が印象に残りました。

  なお、住居野峠から鳥羽川橋を経て今里へのルートは静かな車道歩きに終始しましたが週日にはダンプカーが多いと聞くので要注意です。