深山から沼尾川谷を遡って赤城大沼・覚満淵へ (2015.6.29-30)


☆期日/山行形式: 2015年6月29日-30日 山中旅館泊2日
☆まえがき
    昨年の夏、沼尾川谷まわりで鈴ヶ岳に登ってみようと思って大沼湖畔の旅館に前夜泊したものの、新坂平から大ダオ経由、尾根ルートを往復しただけで終りました。
今回はその埋め合わせを兼ね、鈴ヶ岳北面、西面の登山口の状況を確認しながら北面から赤城大沼に登り上げるルートを歩いてみました。

  北麓の深山まで渋川から運行されている路線バスでアプローチしました。
赤城キャンプ場を経て沼尾川谷を遡上、谷詰めにある出張峠を越えて大沼沼尻へ到達。
この川の水源になっている覚満淵を訪ねようというアイデアでした。

  さわやかな梅雨の晴れ間に恵まれ、ポピュラーな山の裏側にある美しく静かな森の景色を存分に楽しみました。
久し振りに大登降差のロングルートを歩いたせいか、出張峠の直下で局部熱中症になって脹脛が痙攣し、脚が動かなくなるトラブルに遭いました。

  日帰の計画でしたが無理に帰宅するのは止めて赤城大洞の旅館に宿泊。
二日目に覚満淵を周回して帰りました。

朝の赤城大沼    (画像をクリックすると拡大スクロール)
☆6月29日(晴れのち霧): 深山-赤城キャンプ場-沼尾川谷-出張峠-大沼沼尻-大洞
<2万5千分1地形図>
    鯉沢(宇都宮13号-4)、赤城山(宇都宮13号-2)
<行動時間>
    宮崎台[5:39]=大手町=[6:21]東京[6:36]=(Maxタニガワ401号)=[7:34]髙崎[7:45]=[8:10]渋川[8:17]=(関越交通バス 570円)=[8:55]深山(9:00)-関東ふれあいの道石標(9:32)-十二社(10:22)-赤城キャンプ場(10:33/50)-鈴ヶ岳分岐(11:13)-希望の丘(11:18/21)-沼尾川谷入口(11:33/45)-林道分岐(12:11)-広場/鈴ヶ岳登山口(12:15/20)-沼尾川橋(12:27/45)-厚生団地入口バス停へ2.7Km道標(12:55)-上部木橋(13:08/20)-厚生団地入口バス停へ2.2Km道標(13:25)-大沼まで1Km標識(13:49)-出張峠(13:54/14:05)-沼尻(14:25)-(14:56)赤城大洞{青木別館泊}

<ルートの概況>
    北面から赤城山大沼こ到達するルートは、かれこれ65年もの大昔の中学生時代に歩いたことがあります。
赤城大沼湖畔で生まれて初めてのテン泊をした翌朝の下降ルートでした。
朝のうちは涼しい谷間の道を気分よく歩いたものの、後半の津久田原で炎暑に痛めつけられ、へとへとになって津久田駅に辿り着いたのを覚えています。

  いまは、渋川駅から敷島駅前を通って深山まで、週日7往復の路線バスが運行されているのでアプローチの前半でこの便を利用することができます。
  沼尾川の谷は欧州内陸部などで見る氷蝕谷と似通ったU字形断面の谷になっています。
谷底が広いので、山中にもかかわらず多くの人家があり、そのおかげでバス路線が維持されているようです。

  ほかに客がなかったのでドライバーと話しながら谷奥に進みました。
このルートを歩きにきてバスに乗る者は年に2、3人しかいないと言うことでした。

  深山でバスを降りると頭の上に青空が広がっていて、さわやかな風が吹きわたり、まるで初秋の山に来たような雰囲気でした。

  深山バス停から赤城キャンプ場まで、距離約5Km 高度差 380m の舗装路は、2万5千分1地形図に 「関東ふれあいの道」と書き込まれています。

  所々に 「赤城キャンプ場」 へのルートを表示する標識や 「関東ふれあいの道」 の標石などが頻繁に見えて、迷いようもない道でした。

  均一で穏やかな登りなので高を括っていましたが、山行間隔が開いたせいか脚の動きが渋く、嫌な感じがしました。

  1時間あまり歩いてそろそろキャンプ場に着くはずと思われるようになったあたりの道端にこじんまりした石鳥居が立っていました。

  「十二社」 と記した扁額が架けられた鳥居の先に石畳の参道が延び、その奥に小振りながら立派な社殿がありました。





  十二社の先に立っている大きな石碑の先で右手に回りこんでゆくと舗装路がY字形に分岐している所に着きました。
  鋭角に左折したあと、また右手にまわり登ってゆくと赤城キャンプ場の入口がありました。

  入口広場の縁に並んでいる野外ベンチのひとつにザックを下ろして休憩、調子の良くない脚を休ませました。

  広場の先の管理棟を見に行ってみたら、7月から8月は毎日営業と記した張り紙がありました。

  近年、各地にあるキャンプ場が荒廃したまま放置されているのを見ていますが、ここはまだ現役のようで、きちんと整備されており、営業期間に来れば快適なキャンプができそうです。

  キャンプ場からひと登りした所に鈴ヶ岳北登山口がありました。
真新しい案内看板が立っていて、ルートの整備も行われているようでした。

1002.1m三角点峰    (クリックすると拡大)

  左手にまわり登って行き、鈴ヶ岳から北に派生している尾根を乗り越えました。
尾根の背に上がった所で左手の藪の間に入ってゆく道が分岐していました。
分岐からわずか進んだ所に 1002.1m 三角点峰があったので立ち寄ってみました。

  キャンプ場からここまで登っただけで帰っても良いかも、と思ったほどの良い所でしたが先が長いので長居は無用。
すぐ元の道に戻りました。

鈴ヶ岳北面    (クリックすると拡大)

  車道に戻って歩いてきた方を見ると、道の上に鈴ヶ岳がすくっと立っていました。
綺麗な三角形はまるでお握りを立てたような形でした。

  尾根の裏側に入り、ゆるやかに下ってゆくと沼尾川に架かっている橋に着きました。

  山行の前に行った調査ではこのルート歩いた記録はごく僅かしか見つかりませんでした。
廃道寸前のルートを歩いて倒木や藪が多かったというのがある一方、何も問題なく歩いて出張峠に到達した報告もありました。

  多分、この橋の両側にある入口のどちらを選択したかによる相違ではないか、と思っていたので橋のまわりを念入りに調べました。

  橋の手前(左岸)側には渋川市が設置した 「これより大沼まで ?.?K」 と記したプレートがあって砂利の林道が分岐しています。
橋を渡った所(右岸)には、関東ふれあいの道の道標が立っていて、草生した幅広の道が始まっています。
  どちらを進んでも行けそうに見受けましたが最新の2万5千分1地形図に書き込まれている破線ルートは橋の手前側からふたつのUターンをしたあとで左岸の斜面を横切って谷奥に向かっています。
  地形図に従って左岸の砂利道を選択。
2度のUターンを繰り返して高度を上げたあと左手へまわって左下に沢を見下ろしながら進むようになりました。

  やがて右手に分岐している道があって、直進するか、分岐に入るか、ということになりましたが GPSで現在位置を確認してみるともうすぐ鈴ヶ岳西登山口という地点まで来ていることが分かりました。 
  登山口を確認するには右手に上がった方が良いだろうと考え、そちらへ進むとすぐ、林道末端の広場に着きました。

  広場の左端に下から登ってきた歩道の出口があって先刻橋の袂で見たのと同じ関東ふれあいの道の道標が立っていました。
これを見ると、沼尾川の橋のどちら側から入っても、また、途中の林道分岐をどちらへ進んでも、すべてこの広場で合流するようでした。

  広場の向かい側には鈴ヶ岳西登山口があるのも確認しました。

  丸太を立て並べた車止めを過ぎると火山性の崩壊地を横断しました。
その先から左下へ下って行くと沼尾川に架かっている橋が見えてきました。

  橋を渡ったところに関東ふれあいの道の石標があり、その先の木の枝に標識札が取付けてありましたが、地形図に描かれている右岸沿い破線路は見あたりませんでした。

  行動食を食べながら休憩したあと出張峠への登りに掛かりました。
開けた感じの沢窪を僅か進んだ所で右手へ誘導しているロープに従って右折。
枝沢状の溝に沿って登りました。

  穏やかに登って行くルートのまわりは美しい森で、マイナールート歩きの醍醐味を味わえる所でしたが、最前から動きが渋くなっていた脚の調子がさらに悪くなってきて、ちょっとした力加減ですぐ、キュッと痙攣しそうになってきました。
  登路が穏やかなので騙し運転モードで進んで行ったのですが、谷奥の小さな沢溝に架かっている橋を渡った所で騙しが効かなくなりました。
  このまま進むのは無理な状態になったので道端にザックを下ろして座り込みました。

  パンツを捲り上げてみると脹脛の表面がとても熱く、凸凹がピクピク動きまわっています。
十年ほどもの昔、鹿俣山の尾根筋でなったことがあるのと同じ局部熱中症になっていることが分かりました。
鎮静剤と消炎剤とを多目のイオン水で服んだあと、足を冷やしながら暫く休んでいたら幾分か落ち着いてきたので立ち上がり、そろそろと歩き出しました。

  休憩地点から出張峠まで距離 500m、標高差 100m です。
やや急な斜面を斜上していったあと小尾根の背を登って行くのですが、不意に痙攣して転倒すれば斜面を転げ落ちる恐れもあります。

  最大の注意をしながらゆっくり進み、30分ほどもかかってようやく峠の頂上に辿り着きました。

  出張峠までの先は既知のルートです。
穏やかな短い下りの先は沼尻の車道で、そのあとは湖の岸に沿う平坦な歩道です。

大沼と黒檜岳    (クリックすると拡大)

  薬の効き目のせいか、下りで筋肉の負担が軽くなったせいか?
峠から先は意外に楽に歩いて沼尻に降り着きました。

  大沼湖畔に出ると霧が流れている大沼の向かい側に黒檜岳が見えました。
梅雨の時期らしく霧を纏っている黒檜岳は、なかなか良い格好に見えました。

  登りの最後の部分でバテたため時間が遅くなり、覚満淵をまわって日帰りするのは無理になりましたが、3時15分にビジターセンターを出るバスが大洞を通る時間には十分間に合う見込みとなりました。

水際の遊歩道は平らなおかげで、足の調子も良くなってきて、先ほどの痙攣騒ぎはどこへやら、かなり良い調子で歩いて大洞に着きました。


  赤城大洞は何軒かの茶店と旅館が集まった集落で、その一番手前側に青木旅館別館があります。

  3時過ぎのバスには十分間に合う時間でしたがいつになく疲れていたので日帰りは止め、青木別館に泊まって帰ることにしました。

  梅雨時のためかほかに客はなく、至って静かな宿りでした。
ゆっくり風呂に入れたただけでなく、食べ物が美味しく、とても良く休まる泊まりでした。

<ルートの詳細>




  ヤマレコの山行報告




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☆6月30日(霧一時小雨、のち曇): 覚満淵を回って下山
<行動時間>

   赤城大洞(8:25)-覚満淵入口(8:32)-覚満淵末端(8:40)-覚満淵最奥部(8:54/56)-覚満淵末端(9:06)-(9:12)ビジターセンター[9:45]=(関越交通バス 1200円)=[10:30]富士見温泉[10:38]=(関越交通バス 600円)=[11:07]前橋駅[11:13]=[11:28]髙崎[13:53]=(上野東京ライン熱海行)=[14:25]籠原[14:51]=(湘南新宿ライン国府津行)=[16:05]渋谷=[16:38]宮崎台
<ルートの概況>
   山の上に泊まって存分に休んだあとの早朝は気持のよい目覚めになりました。
早い時間の山の上は割と天気が良かったので宿のまわりを散歩しました。

  ゆっくり朝食をしたあとで宿を出て、バスが出るまでの1時間半超の時間を利用して覚満淵を周ることにしました。

  梅雨空が戻ってきたのか霧が濃く霧ション状態になっていて遠くは見えません。
覚満淵入口から入ると鹿避けの柵があり、網を重ねあわせたゲートを通って中に入りました。

  すぐに流れに架かっている橋がありました。
沼から流れ出しているのが沼尾川ですからこちらの川は沼頭川とでも言えば良いのでしょうか?

  橋を渡って左折するとすぐ、沼の末端を区切っている小さな堰堤の上に上がります。
右岸に渡ると覚満淵の北側へ回りこんでゆく遊歩道がはじまり、鳥居峠への道が分れました。

  まわりは笹原になっているのですが、遊歩道の縁にはいくらか花が咲いていました。

  特別に植生を保護している区画があってその中に黄色い花が咲いていました

濃霧の覚満淵最奥部    (クリックすると拡大)

  遊歩道最奥部で沼の南側に回りこむ所では霧の中に遅咲きのヤマツツジの花が見えました。

  遊歩道の後半は沼の水面の上を渡ってゆく木道になりました。
 

  堰堤のところまで戻って左折。
ビジターセンタに向かって進むと鹿柵ドアがあり、そこを潜るとすぐ、ビジターセンター前の車道に出ました。

  ビジターセンターで銚子の伽藍付近のルートマップを貰い、隣のレストハウスの売店で土産物を買ったあとバスに乗って山を下りました。




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☆おわりに

    赤城山北面の探索は距離が長く、高度差もあって分不相応のヘビー・ルートでした。
色々なまわり合わせで長く「山登り」をしていなかったのに高を括っていたため、熱中症による脹脛の痙攣、と言う仕返しを受けることとなりました。

  臨機の判断で日帰りを止め赤城大洞で泊まったのは大正解だったことが帰り道で分かりました。
前橋へゆく途中でバスを乗り継ぐ所にある富士見温泉が改修工事中で7月末まで休業中でした。
前日、山の上に泊まらず帰ることにしたら、汗を流して着替えることができず、かなり悲惨な帰り道になるのは不可避だったことが分かりました。
山の上で泊まる決心をしたお陰で、ささやかながら良い山旅にする事ができました。
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