奥三河 鳳来寺山 (2013.11.29) |
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☆期日/天気/山行形式: 2013年11月29日/晴/下山後豊川でホテル泊 ☆地形図(2万5千分1): 三河大野(豊橋7号-3) ☆まえがき 歩き漏らしたままになっていた奥三ヶ日の宇利峠から瓶割峠への尾根をトレースしに行った機会を利用して、奥三河の鳳来寺山に登りました。 ポピュラーな山の一般ルートでしたが険阻な岩山で意外に手応えがあり、好展望を楽しみました。 蓬来山一帯は有名な長篠の戦いをはじめとして、戦国時代の攻防の舞台でした。 山中には徳川家康を祀る東照宮があったりして、歴史の山としても興味深い山でした。 |
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写鳳来寺山 奥の院岩頭の展望 (画像をクリックすると拡大) |
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☆行動時間 宮崎台[5:59]=あざみ野=新横浜[6:46]=(ヒカリ#501)=[7:58]豊橋[8:10+25]=(飯田線)[9:22+13]本長篠[9:47]=(豊鉄バス)=[9:55]鳳来寺BS/三ノ門(10:15)-石段下(10:34)-仁王門(10:41)-傘杉(10:45)-宿坊廃墟(11:01/03)-鳳来寺本堂(11:15/25)-勝岳不動堂(11:49/50)-六本杉(11:55)-奥ノ院(12:03/22)-鳳来寺山(12:33/35)-天狗岩(12:56/58)-南ア展望台入口(13:02)-巫女石・高座石(13:11)-鷹打場分岐(13:20)-東照宮(13:43/50)-本堂(13:55/14:00)-仁王門(14:20)-(14:45)鳳来寺BS[15:35]=(豊鉄バス)=[16:08]新城栄町ー(16:10)新城駅[16:39]=(飯田線)=[17:03]豊川-(駅前食堂)-(18:30)宿舎{駅前ホテル} ☆ルートの概況 ふた昔近く前、大病の後のリハビリで湯谷温泉に泊まり行き、乳岩のあたりを散歩したことがありました。 その時、付近に険しい岩稜の山がいくつかあることに気が付いて興味を持ったのですが何分にも遠くて不便な山々で、なかなか足が向かわないまま年月が経ってしまいました。 せめてこの山域でもっともポピュラーな山だけでもと、蓬莱寺山を選びました。 ルートとしては表参道から鳳来寺本堂へ上がり、奥ノ院から頂上に登ったあと、 天狗岩、鷹打場を回って東照宮へ降りてくるもっとも一般的なルートを設定しました。 |
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早朝の新幹線で豊橋に行って飯田線に乗り換え、1時間半近くかかって本長篠に着きました。 駅から200m 程離れた国道の角地にあるバスターミナルからローカルバスに乗り継ぎ、8分程で鳳来寺登山口に着きました。 バス停のすぐ先に参道入口があって両側に大灯籠が立ち、三ノ門のサインがあります。 |
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古風な家が並んでいる門谷の通りを進んでゆくと紅葉の先の方に山が見えてきました。 道端に羽根を広げた鳳凰像が立っているのを見た所から表参道の石段登りが始まります。 石段入り口のまわりは紅葉が綺麗でした。 |
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石段は 1345段ありますがはじめの部分は、まわりの地形が緩やかなため、数段毎に踊り場があって楽な登りでした。 |
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杉の大木が林立している中をボツボツ登ってゆくと仁王門がありました。 谷間にひっそり立っている赤塗りの門は国の重要文化財ということでした。 |
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仁王門の先からは谷が急になり、それにともなって段差の高い石段が連続します。 膝の周りの筋肉が疲れひと汗かかされましたが石段が右手に折れるとひと登りでまわりがぱっと開け、本堂前広場に出ました。 広場を挟んで本堂と向かい合っている休憩舎に入って休憩しました。 東屋の背後の柵に寄ると門谷の谷を見下ろせました。 |
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岩山を背に堂々とした雰囲気を漂わせている本堂の左脇から頂上に向かう道に入りました。 岩山の険阻な地形を縫って行くルートですが東海自然歩道として丁寧に整備されていて安全に通れました。 |
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勝岳不動堂は、大岩から水が滴り落ちている滝の脇にありました。 不動堂の先から大岩を斜上して行く所では鉄板の踏み板に擬似木の横木を取り付けた桟道が設けられていました。 尾根の背を乗り越えると地形が緩み、隣の沢の上部を横切るように進み、宝篋印塔の裾を通過しました。 |
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さらにその先で六本杉を通過、もうひとつ尾根の背を乗り越えると稜線間近な雰囲気になりました。 まわりが開けて来た所をひと登りでほとんど瓦礫の山と言うくらいまで崩壊してしまった奥の院に登りつきました。 |
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奥の院の右手の石段を上がると細長い岩尾根の背に乗り、左手に僅か進んで岩頭に上がると、ページ冒頭のパノラマ写真のような眺めを見ることができました。 冷たい北風が吹く日でしたが、大気が澄んでくっきりした山の形が印象的でした。 |
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岩頭でひと休みしたあと、鳳来寺山の頂上に向かいました。 東屋の脇を通り過ぎた先は灌木に覆われた岩尾根が断続します。 |
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15分足らずで鳳来寺山の頂上に着きました。 ゴツゴツした露岩の頂上で道がふた手に別れ、やや左手へ進んでゆく尾根道は棚山高原へつながっている東海自然歩道ルート、頂上広場の右下へ降りてゆく尾根道は天狗岩から鷹打場方面へ向かう自然観察路ルートです。 |
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天狗岩方面に向かって進むと岩尾根の下降や小岩峰の乗り越しが断続します。 傾斜が緩み、僅かに上下しながら進んで行った所が天狗岩で、細い岩尾根の上に瓦葺の東屋が立っています。 |
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(画像をクリックすると拡大) |
東屋の入り口には、「瓦の落下で危険!立入禁止」と書いた掲示があって通せんぼのトラロープが張ってありました。 「自己責任」で東屋の軒下に入ってみたら、左のような危険を犯す価値のある絶景を楽しむことができました。 |
天狗岩の先には「南ア展望台」、「巫女石・高座石」がありました。 久し振りの山歩きで身体が疲れただけでなく、岩尾根伝いで気分的にも疲れてきたので寄り道をせずに通過しました。 右手に向かってひと下りした所に鷹打場分岐の標識が立っていました。 鷹打場もスキップして右折し、東照宮へ向かいました。 |
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山腹をトラバースしてゆくと左のような幅の広い桟道があり、その先をやや登り気味に進んでほっそりした尾根の背に上がりました。 まもなく右折して右下の谷に下るよう指示する道標が立っていました。 沢溝の上部を横切ってゆくと左下に神社の屋根が見えてきました。 社殿の横手を回って東照宮社務所の横手に出ました。 |
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石段の上にあるこじんまりした社殿は甲信の勢力から三河の領地を防衛する拠点の精神的な象徴だったのでしょうか? 領国の最奥部の山中にある神殿、という点では日光の東照宮と共通しているところがあるように思いました。 久し振りの山歩きがあらかた無事に終了したことを感謝するとともに、翌日の尾根伝いの無事完遂を祈願しました。 |
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石段を下って鳥居の下の道に降り、右手へ5分ほどで本堂前の広場に出ました。 登ってきた時と同じように休憩舎に入ってひと休みしたあと、門谷に向かって1435段の石段を下りはじめました。 石段の上部はかなり急でうっかり踏み外すと大怪我をしかねません。 |
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集中力を切らさないよう注意して下りましたが膝に来るショックは相当のもので、足にかかる負担は登りの時より大変で、膝に来ました。 辛抱強く下り続けてゆくとようやく傾斜が緩み、下の方に仁王門が見えてきました。 |
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仁王門を過ぎると一段と傾斜が緩んで平らな踊り場が多くなり、楽に進めるようになりました。 いくらか余裕も出て、まわりを眺めながら歩けるようになると色々なものが見え、石段が終わった先で左手に少し入った所で咲いている冬桜に気が付きいました。 思ったより早い時間にバス停に戻れたので近くの茶店でそばでも食べたいなぁ、と店を覗き込んでみましたが明かりが消えて人気もなく、とてもダメそうでした。 少し手前にあった大きな店(食事・喫茶かさすぎ)に立ち寄ればよかったのに、と悔やみながら空腹は行動食で満たすことにしました。 時間が余るので道の向かい側にある蓬莱館に入ってみました。 ごく小規模な展示室があって、長篠戦前後の地域の歴史年表を地元の人がまとめたのを展示していました。 |
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長篠の戦いの際、敵方へ内通したことへの報復として殺された人質の奥平仙千代一族は、今は高崎市に入っている群馬県吉井町の奥の 「奥平」 がルーツなのだということを知り、少年時代を過ごした田舎町のことを懐かしく思い出しました。 徳川氏も群馬県の世良田村(今は桐生市)から出ているということを考えあわせると、なぜ内通が起きたか、理由が分かったような気がしました。 |
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☆ルートの詳細 GPS スライドショー Flickr の元画像スライドショー ルートマップ |
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☆おわりに 秋の行事が続いて山行間隔が開いたところへいきなり1435段の石段登りをしたあと、バランスに気を使う岩場歩きをしたので少々疲れましたがルートが東海自然歩道としてよく整備されていたお陰で何事もなく歩ききれました。 寒気が流入して風が冷たい日でしたが、大気が乾燥して透明になり、初めて見る奥三河の山岳展望を楽しみました。 |
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