下北半島、恐山-釜臥山-大湊(2012.9.24)



☆期日/天気/山行形式:
2012.9.24 雨のち晴 山巡り宿舎より単独日帰り山行
☆地形図(2万5千分1): むつ(野辺地13号-1)、恐山(野辺地13号-3)
☆まえがき
    異常に暑く長かった今年の夏は天命を全うした老父の法事や旧居の片付けなどに追われているうちに通りすぎて行きました。
秋の気配が感じられるようになるとともにようやく身辺も落ち着いてきたので数日の山旅に出ることにしました。

  ここ数年の夏は、北日本中央分水嶺の山巡りに出るのが慣わしになっていましたが、八甲田から那須・日光あたりまでの、これはと思われる山はあらかたカバーして、ひと区切りついた形になっています。

  これまで通っていた山並みの外側でも、百名山クラスはすでに訪ねています。
それらのほかにどんな山があるのか?  とりあえず八甲田より北の状況をチェックしてみようと地形図を引っ張り出し、ローカルな山のガイドブックやインターネットに出ている情報を参照してみました。

大きく湾入した陸奥湾の東側から北側を下北半島、そして西側を津軽半島が囲んでいますが、双方に幾つか面白そうな山があることが分かりました。
それぞれに個性豊かで展望に恵まれた山のようですが、海に近いため登り口が低く、山の高さの割に登りでがあります。  アプローチが不便なことも相まって時間もそれなりにかかりそうです。

  はじめ、一度の山旅で下北と津軽と両方の山を巡る計画を組もうとしたのですが大きな陸奥湾の周辺に散在している山から山への移動に時間が掛かるため、体力切れにならないで済む一週間内の日程ではカバーしきれないと言う結論に達し、今回は下北半島に的を絞ることにしました。

  交通機関と泊場と、あれこれ調べて組み立てた手作り山巡りの旅は、マサカリ形の半島をグルリ、ひと回りながら目ぼしい山を登り歩く5泊6日の日程となりました。
そろそろ台風シーズンにかかるので悪天候に捕まる心配もありましたが、結果的には秋の気象の周期変化との回り合わせが最高で、狙った山のあらかたに登れ、随所で最果ての山と海の展望を楽しみました。

以下、最初に歩いた恐山-釜臥山-大湊の概況を。

窯臥スカイラインから見えた窯臥山、むつ湾、むつ市街と太平洋の眺め  
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☆行動記録
<行動時間>
    下北駅[9:00]=(下北交通バス)=[9:43]恐山→本堂→奥の院不動明王→賽の河原・地獄→蓮華庵休憩所(11:35)-山門(12:08)-釜伏パノラマライン入口(12:15/20)-恐山展望台(13:03/20)-むつ展望台(13:23)-屏風山ヒュッテ(13:35/40)-恐山歩道分岐(13:52)-大湊分屯基地ゲート(14:17)-釜臥山展望台(14:29/41)-釜臥山(14:55/15:05)-アンテナ台地(15:29)-七面山(15:58)-展望台(16:15)-第1リフト乗り場(16:30)-第2リフト乗場(16:47)-(17:02)海上自衛隊前バス停[17:04+]=(JRバス)=[17:25]市立図書館前-(17:35)宿舎{泊}

<概要>
  山旅の初日は、早朝から午後遅くまで掛かって東北新幹線-青い森鉄道-大湊線と乗り継ぎ、下北にアプローチしておわりました。

  下北駅近くのホテルに泊まった翌朝は小雨模様でした。
恐山までは下北駅前から毎日4~5往復のバスが運行されているので参詣だけなら晴雨の如何ににかかわらず問題なくできますがそこから釜臥山まで行くには、距離で約10Km、高低差で650m ほどの車道歩きをする必要があります。
最悪恐山に参詣しただけでお終いになるかも、と言うくらいの気持ちで朝一番のバスで出発しました。

小雨模様の恐山  
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  下北駅前から45分足らずで着いた恐山は、最果ての山中の宇曽利湖畔に広がっている火山性の平地に堂宇が並び立っている特異な寺域でした。
地蔵菩薩を本尊とする菩提寺は貞観4年(862)に慈覚大師円仁によって創建されと伝えられ、高野山、比叡山とならぶ日本三大霊場と言われています。
パラパラと雨が降っている中、傘をさして総門と山門を潜り、本堂でこの山旅の無事を祈ったあと、まず背後の丘の中腹に不動明王を祀っている奥之院を訪ねました。
途中まで引き返した所から右手に逸れ、寺域の西側に広がっている火山性地に降りてゆくと、所々に噴気が上がっていて石積みや供養塔などが散在しています
湖畔に近く、湖水とその背後に連なっている山並を見渡す所に東日本大震災犠牲者の鎮魂碑が立てられていました。

  霊場の中を歩いているうちに次第に空が明るみ、雨が止んできました。
やがて
雲間に釜臥山も見え隠れするようになったのでとにかく行ける所まで行ってみようと思いました。
バス停前の休憩所に入り、長い車道歩きに備えて足拵えをして歩き出すとすぐ現世と零界の境と言われている太鼓橋を渡りました。

恐山 宇曽利湖と外輪山  
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    湖岸の道路を暫く進んだところでむつから登ってきた国道4号線が左に折れて薬研温泉方面へ向かってゆくところに着きました。
草生した広場の奥に湖畔遊歩道の入口を示す看板が見えましたが、歩道は藪に埋もれているようでした。

  ゆるやかに登って外輪山の尾根の背にあたる峠を越した所に「霊場 恐山」のゲートがありました。(左)
  ゲートの少し先に「かまふせパノラマライン」の入口があり、右折してゆるやかに登ってゆくと頭の上に青空が広がって来ました。
雨に濡れたまわりの森の木の葉に日があたってキラキラ輝いていました。
  恐山の湖畔から1時間半あまりで恐山展望台に着きました。
右下に宇曽利湖を見下ろし、奥手の湖岸に恐山の火山地帯も見えました。

恐山展望台の眺め  
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  展望台でしばらく休憩したあとまた車道歩きを再開。
屏風山の肩をまわりこんでゆくとすぐ行く手が開けてきて、前方間近に釜臥山が見えました。
道の左手はむつ展望台で、恐山展望台と同じような広場になっていました。
広場の縁の石垣に寄るとむつ湾、むつの市街地、下北の丘陵と太平洋が一望でした。
間近に迫ってきた釜臥山の天辺に乗っている巨大なレーダアンテナ塔が異様な感じでした。(冒頭パノラマ)
  むつ展望台から右手にゆるやかに下って15分足らずの鞍部に三角錐形のユニークな形をした山小屋がありました。
  階段を上がった所にある入口が開いていたので中に入ってみると壁に注意書きが貼ってありました。
この小屋は屏風山小屋と呼ばれ、昭和41年にむつ市の山岳会・スキー協会が協力して建てた物と言うことです。
  吹き抜け中二階構造で、一階の床の真ん中に薪ストーブが据えられ、積雪期にも快適に泊まれるよう工夫が見えました。
維持管理がしっかりしているようで、無人開放小屋によくあるゴミや埃がまったくなかったのに驚きました。

  小屋から約40分で北國山と釜臥山の鞍部にある自衛隊大湊基地のゲートに到着しました。
十字路の先は3方いずれも自衛隊専用路で、門衛の許可を得ないと立ち入れません。
釜臥山に登って大湊へ下山するために来た旨を話してゲートを通らせてもらいました。
展望台に向かった歩き出すとすぐ、"ただいま歩行者1名通過" とトランシーバで報告している声が背後から聞こえてきました。

  展望台まで約800m、左手へ斜上して行く車道は長途を歩いてきた老人には辛い登りでした。
やっとの思いで展望台に着き、屋上テラスに上がると陸奥湾が一望で、下のようなパノラマが広がりました。
テラスの下の2階はガラス戸に囲まれた展望室になっていて、天気が悪い時の休憩所にもなるよう工夫されているところはいかにも北国らしいなぁ、と思いました。
この展望台までは暗くなったあとも車で上がって来られ、陸奥湾の夜景スポットとして有名なようです。 

釜臥山展望台の眺め  
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  釜臥山は恐山の奥の院の山です。
この山に登った慈覚大師が山中に湖と火山地帯とを見つけたことによって恐山が開かれそうです。
地熱のせいで、春になるといち早く雪が消える宇曽利湖畔に超自然的なものを感じたのは間違いありません。

 
展望台の脇から釜臥山の頂上へは左の写真のような遊歩道が通っています。
最後の急な所を折れ登って天辺にあるレーダー塔の脇まで約20分掛かりました。

 
    釜臥山の頂上は下北半島の最高点で、天辺を巨大な防空レーダ塔が占領しています。
もとの山の主だった恐山奥の院の祠が、あとから来たレーダーアンテナ塔に押しのけられ、脇の狭苦しい所に置かれているのは佐渡の金北山とよく似ています。

  レーダアンテナを囲んでいるフェンスの脇に立つとむつ湾が一望でした。
目の下は大湊港と市街地で、陸奥湾の向かい側に下北半島のまさかりの柄の部分が延びています。

  釜臥山から大湊への下降路は、スキー場と大湊の市街を左下に見るガラ場の急下降から始まりました。
不安定に積み重なった岩塊を安定させるため隙間にモルタルを詰めた痕跡が見えましたがルートは不明瞭で至って歩きにくく、結構な難場でした。

  ガラ場の下端に立っている紅白ポールを目標に適当に下り、ブッシュの隙間に入って固定ロープのある岩場を下降。  足元に "籠山初級コース" と書いたプレートが置から、目の上にボルトが打ち込まれている壁の裾を過ぎるとまもなく八木アンテナが並んでいる下を通過して潅木帯に入りました。
灌木の間を急降下する細い道は地質のせいか妙に滑りやすく、要注意でした。

  頂上から50分ほどで露岩の多い平らな尾根に降り着きました。
七面山と呼ばれている所のようで、岩窪に祠が納められていました。
同じ名の山は大峯奥駈道や身延山にもあり、修験道と関係が深いと思われます。
釜臥山も同じように行者が歩く道場になっているようです。

  緩く登ってコブを乗り越したところに大湊湾を見下ろす展望小屋がありました。
小屋を右手に見て左手のカヤトの中に入って行った所はスキー場斜面の上端部でした。

  長いスキー場の末端の先は大湊港で、タグボートらしい小型船が2隻並んでいるのが見えました。
暫く経ってスキー場の中ほどまで下った頃、外洋から大型自衛艦が帰ってきて、タグボートが近寄ってゆくのが見えました。

  スキー場末端から山手の集落に入り、広い車道を横切ってさらにもう一段下の集落に入るとすぐ国道338号線に突き当りました。
角のすぐ右手の店の前に立っている海上自衛隊前バス停のポストの時刻表を見ると、次の下北・田名部行きが来る時刻の僅か2分前でした。
  大湊から田名部方面へは毎時1本ほどの頻度でJRバスが運行されていますが、夕方の運行頻度が高い時間帯に降り着いたお蔭ですぐにバスが来て、手早く下北駅前の宿舎に帰り着くことができました。

<ルートの詳細>



恐山-釜臥山の GPS スライドショー



Flickr の元画像スライドショー

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☆おわりに
    天気の回り合わせに恵まれたお蔭で、恐山から釜臥山までの長途を楽しく歩けました。
随所で展望を楽しんだあと程よい時間に大湊に降り着くことができました。

  屏風山の無人小屋の管理状態がとても良かったのが印象に残りました。
あとで、下北半島むつ市のあたりは戊辰戦争に敗れた会津藩の人達が移住させられた土地だったと言うことを知りました。
結束して無人の避難小屋を建設し、そのあと数十年にわたってきちんと維持管理できているのは、会津人の気質が伝わっている土地であるからこそ、と思いました。