![]() 聖林寺、仏教伝来地、三輪山から山辺の北道(2011.11.30-12.1) ![]() |
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☆期日/山行形式: 2011年11月30日-12月1日 ホテル利用グループ徒歩旅行 ☆地形図(2万5千分1): 桜井(和歌山1号-4)、大和郡山(和歌山1号-3) ☆まえがき 紅葉の多武峰に泊まったあと、山辺の北道と葛城の道をそれぞれ1日ずつで歩く計画だったが、結果的には、2日がかりで山の辺の道を歩いて終わることとなった。 二日目の朝、聖林寺に参拝したあと仏教伝来地にも立ち寄った上で三輪山に登拝したため山の辺の道を歩き出したのが昼過ぎとなった。 多くの社寺、万葉歌碑、大和盆地の景色など、道中に見るべき物が多かったのと、西ダイトレで傷めた脚が痛んでピッチが上がらなかったのとで時間がかかり、途なかばの清岳寺で日が暮れた。 三日目は予定していた葛城の道は次回に繰り延べることにして清岳寺に戻り、石上神社までの歩き残した部分を歩き切った。 天気図のパターンから気圧の谷の通過による雨の心配をしていたが朝のうち一時雲行きが怪しくなったものの、降り出すところまで行かずに済んだのは幸いだった。 |
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![]() 竹之内近くの高台の眺め (クリックすると拡大 スクロール) |
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☆行動記録 <<11月30日(晴のち曇)>> 聖林寺-仏教伝来碑-三輪山-纒向-清岳寺 |
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<行動時間> 多武峰[8:45]=(送迎車)=[8:55]聖林寺[9:35]=(Taxi)=[9:50]大和川畔仏教伝来記念碑[10:00]=(Taxi)=[10:07]三輪明神参道-大神神社(10:15/20)-狭井神社(10:30/43)-三光の滝(11:00/05)-三輪山(11:36/47)-三光の滝(12:16/24)-狭井神社(12:40/50)-茶店(13:00/14:09)-玄賓庵(14:21)-桧原神社(14:32/35)-纒向展望点(14:46)-みかん発祥の地(15:05)-神籬遺跡入口(15:15)-景行天皇陵(15:26)-休憩所(15:39/16:16)-竜王山入口(16:18)-天理市トレイルセンター(16:31)-長岳寺(16:38/53)-(17:17)柳本駅[17:32]=(JR桜井線)=[17:45]天理駅[17:47]=(送迎バス)=(18:00)奈良プラザホテル |
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<概況> |
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山辺の道歩きは三輪神社を起点する計画にしていたがそこへゆく途中、まず聖林寺に立ち寄った。 フェノロサ所縁の十一面観音(国宝)で有名なこの寺は、多武峰北麓の高台にある。 端正な貌の観音像を拝観したあと、特別展示中の曼荼羅を見学した。 住職の娘さんらしい若い尼さんが解説してくれたのだが、深遠な観念を表象する曼荼羅の絵図は俗人にとってなかなか難解だった。 寺の前庭に出ると三輪山と大和盆地が見え、山麓を辿ってゆく山辺の道筋を縦觀することができた。 |
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聖林寺参拝のあと、タクシーに分乗して三輪神社に向った。 途中、初瀬川右岸の土手に立っている仏教伝来記念碑に立ち寄った。 日本書紀に、「欽明天皇13年(552年)の冬10月に百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)という王様からの使いがきて、お釈迦様の金銅製仏像、一光三尊の阿弥陀仏、百済大仏、幡蓋(はたきぬがさ)幾つか、經論何巻かを献上した」と言う旨が記されているのを根拠に建立された石碑だ。 向かい合わせの左岸の土手には、難波津に着いた使節が外航船から川舟に乗り継いで大和川を遡り、ここに上陸したときの様子を描いた壁画があった。 |
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仏教伝来碑からひと走りで三輪神社に着いた。 大和一之宮 大神神社(おおみわじんじゃ)と称する三輪神社は、国のまほろばと称えられる大和の東南にあって三輪山を御神体とし、大物主神を祀っている。 三輪神社に参拝したあと僅か北に寄った狭井神社にまわり、三輪山登拝を行った。 鈴のついた白タスキを受け取り、山中の注意を受けた上で山道に入った。 ご神体であるこの山の中では、用便はもとより飲食・喫煙・写真撮影などは禁止である。 |
綺麗な暖地林の間のよく整備された参拝路を登降して三輪山の登拝が済んだのは昼過ぎだった。 ようやく山辺の道を歩こう、と言う段になったのだがその前に腹ごしらえと言う事で、桧原神社手前の民家カフェに立ち寄り、三輪素麺定食を食べた。 元気老人グループには三輪素麺などでは物足りない健啖家が多く、コーヒーとくず餅のセットメニューも、ということになったため、歩き出しがさらに遅れた。 桧原神社から纒向、穴師を経て古墳群を過ぎ、天理市ビジターセンターの北にある長岳寺まで進んだところで日が暮れた。 "暗闇" の山辺の道歩き、と言うのはないのでこの日はここで打ち切り、程遠くない柳本駅にエスケープ。 JR電車で天理駅まで移動し、宿の送迎車で天理の街はずれにある宿舎に入った。 この夜の宿は大規模なレジャーセンターに併設された宿泊施設だった。 多武峰のホテルとは対照的なマニュアル方式の応対だったため年寄りにはいささか違和感があったがそれなりに休息が得られた。 |
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<ルートの詳細> ![]() ![]() ![]() |
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<<12月1日(曇)>> 清岳寺-ミカン発祥地-夜都伎神社-石上神社 |
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<概況> もとの計画では葛城の道を歩く予定だったが前の日に歩き残した山の辺の道の部分のカバーを優先し、そちらは次回にまわそうと言うことになった。 天理駅から桜井行バスに乗って上長岡まで南下し、長岳寺入り口から山辺の道歩きを再開した。 弓月庵と竹之内の中間の台地の上にある休憩所で今回最後の茶会を行った。 岸田家特製の栗羊羹はこのグループ定番の茶菓子になっている。 穏やかで上品な甘味を楽しんだ。 このあたりは竜王山の麓の高台上にあたり、いにしえの大和の国の境を区切っている金剛・葛城・二上山の連なりと生駒山の山並みが一望だった(冒頭パノラマ写真)。 園原の集落から右手の山の小鞍部を越し、果樹園の間を進んで内山永久寺跡に出た。 道端に立っている絵図看板によれば、今は大きな池が残っているばかりだが、もとは石上神社を擁する大寺があったと言う。 道路の下を潜り、溜池の脇を過ぎるといよいよ石上神社の境内だ。 前の年、今度のメンバーの一人と奈良から南下してきたのだが石上神社に着いたのは日が暮れたあとだった。 参道の明かりが幻想的だったが神門は閉ざされ、参拝できなかった。 今度は昼過ぎ早くに到着したので十分な時間の余裕がある。 本殿に参拝したあと、ゆっくり境内の社殿を見学し、放し飼いの鶏と戯れた。 |
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<行動時間> 奈良プラザホテル[8:30]=(送迎バス)=[8:45]天理駅[9:15]=(奈良交通バス桜井行)=[9:29]上長岡-長岳寺入口(9:40)-柿本人麻呂歌碑(9:51)-大和神社御旅所(9:56/10:00)-萱生環濠集落(10:19)-小休止(10:25/39)-弓月庵(10:41)-休憩所(10:46/11:15)-竹之内環濠集落(11:27)-夜都伎神社(11:30/35)-内山永久寺跡(12:09/11)-石上神社(12:21/38)-天理駅前レストラン(13:20/14:15)-天理駅[14:32]=(近鉄急行)=[14:31]京都[16:29]=(ヒカリ#524 )=[18:51]新横浜[19:06]=あざみ野=[19:36]宮崎台 |
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<ルートの詳細> ![]() ![]() ![]() |
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☆あとがき 紅葉の季節に、気心知れた仲間と連れ立って国内里道ルートの白眉と言われている石舞台から山辺の北道を楽しく歩いた。 西ダイトレで傷めた脚を酷使したため、回復とリハビリにひと月あまりもかかることとなったのだが、曲りなりにも歩ききれたのは幸いだった。 |
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