![]() 本栖湖周辺 仏峠-雨ヶ岳-端足峠-竜ヶ岳-本栖 (2011.11.4-5) ![]() |
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☆期日/天気/山行形式: 2011年11月4-5日 民宿泊単独行 ☆地形図(2万5千分1): 精進(甲府8号-3) ☆まえがき 富士五湖地方を取り巻いている尾根筋のうち、パノラマ台付近から中之倉峠を経て本栖湖西の雨ヶ岳までの部分はこれという目立った山がないのと、アプローチが不便なのとで足が向かわず、空白のままになっていた。 このままで終わるのは気分が良くないので6月から7月にかけて2度の偵察山行をしてパノラマ台北の始点から中之倉峠を経て仏峠までを歩いてみたところ、やや藪っぽいが明瞭な踏跡が通っている綺麗な尾根筋であることが分かった。 下部温泉に通じている国道300号線の中之倉トンネル付近から西のあたりは富士五湖のうちでは最も自然が残されており、1000円札の富士山の図案のもとになった写真が撮影された展望所もあったりして景色が良い。 秋になったら、一泊二日で残りの区間 仏峠-雨ヶ岳-端足峠-竜ヶ岳-本栖を踏破する積もりでいたところ、10月下旬に風邪を引いて家に引き篭りがちとなり、足腰の衰弱が懸念される状態になった。 南高尾あたりでトレーニングをしたあとにすべき、とも思ったのだが、日毎に日暮れが早まっているのに気が急かれ、名残りの紅葉見を兼ね、ブッツケ本番の山行をすることにした。 とは言え、風邪で発熱が続いたあとの山では足腰の筋肉が痙攣しやすいことが、これまでの経験で分かっている。 幾らかでも身体を慣らすため、未知の部分が多くて雨ヶ岳北尾根の厳しい登りもある佛峠-雨ヶ岳-端足峠の行程を2日目にまわし、以前登ったことがあってアルバイトが軽い端足峠-竜ヶ岳-本栖を初日に歩くことにした。 |
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![]() 竜ヶ岳、雨ヶ岳から仏峠への稜線 (クリックすると拡大) |
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実際に歩いて分かったのは、風邪の影響は想定していた以上に大きかった事だった。 初日は下山の後半で膝に軽い痛みが出た程度で済んだのだが、二日目は雨ヶ岳北尾根の中ほどから痙攣が連発、久しぶりに厳しい登降を強いられた。 天気も下り坂だったが雨になる所まで行かなかったのは幸いで、幾種類かの薬の助けを得てどうにか足の痛みを和らげ、名残りの紅葉が美しい山を歩き切ることができた。 |
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☆行動記録 11月4日(晴) 端足峠-竜ヶ岳-石仏の休場-本栖 <行動時間> 宮崎台[6:38]=長津田=八王子[8:03]=(アズサ#3)=[8:31]大月[8:35]=(富士急)=[9:26]河口湖[9:40]=(富士急山梨バス 富士宮/新富士行)=[10:12]県境バス停(10:30)-水場(11:16)-端足峠入口(11:22/30)-端足峠(12:00/05)-小休止(12:20/30)-竜ヶ岳(12:58/13:10)-分岐(13:25)-石仏休憩所(13:45)-登山口(14:20)-青少年スポーツセンター(14:30)-本栖湖畔(14:37/45)-(14:55)本栖湖バス停[15:19+7]=(富士急山梨バス 下部行)=[15:26+7]浩庵入口-(15:40)民宿浩庵荘{泊} <概況> 6時半頃家を出て、中央線-富士急線-バスを乗り継ぎ、10時過ぎに富士パノラマラインの県境バス停に着いた。 "コーヒ" と記した看板が出ていなければただの民家にしか見えない店の向かい側に東海自然歩道の入り口がある。 支度を整えて歩き出して3~4分進んだ所に立派なトイレを備えた広場があった。 広場の先は山裾を緩やかに登ってゆく歩道になり、一部荒れた所もあったものの、幅が広くて歩きやすく、体調に不安を抱えていた病み上がりの年寄りの気分をチョッピリ明るくしてくれた。 細い沢溝を流れている水流を横切った所から5分あまりで端足峠への登り口に着いた。 分岐でひと休みしたあと、ワンピッチで上がった端足峠は明るい潅木林の尾根だった。 右折して1272m のジャンクションピークに向けて穏やかに登ってゆく所では右横に富士山、左下に本栖湖が見え、気分爽快だった。 |
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地形図に 1272m と書きこまれているジャンクションピークの肩で直角に左折して行くと急な熊笹の斜面をジグザグに折れ登る道になった。 このジグザグ道は2000年の辰年にあわせて整備されたもので、1999年の4月に来た時には胸ほどの熊笹の中を直登する厳しい登りだった。 昔の道の痕跡は今も残っていて、ジグザグ道が右端で折り返すあたりで何度か、笹の隙間に朽ちた丸太階段の残骸が見えた。 |
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右に富士山、左に白根三山を見ながら高度を稼ぎ続け、数本の潅木が立っている所まで登り上げると傾斜が緩んだ。 前に登ったときは、この辺から先では足が地に付かないほどの猛烈な笹薮漕ぎを強いられたのだが、今は左のように幅広く切り開かれ、至って楽チンに歩を進めることができた。 緩やかな笹原の中を進んでゆくと、やがて笹薮の向うから人声が流れて来て、広々した頂上広場の端に出た。 |
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端足峠ルートではまったく人影を見なかったのに頂上が賑わっていたので驚いた。 2000年の辰年で登山道が整備されて以来この山は、本栖の青少年スポーツセンターからピストンする軽ハイキングの対象になっているようだった。 空いた野外ベンチにザックを下ろして水分・糖分を補給したあと、広い頂上広場を囲んでいる笹薮の縁に沿って歩き、藪の先の方に見えている山々の展望を楽しんだ。 南東方間近かに立っている富士山から桂川谷を隔てて三ツ峠か御坂の連峰。 三方分山から蛭ヶ岳への連なり、西に遠く "南" の山並み。 南の方には雨ヶ岳から高デッキあたりが高く見えた。 |
![]() 竜ヶ岳頂上の展望 -御坂と富士 (クリックすると拡大してスクロール) |
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本栖への下山では石仏のある尾根から青少年スポーツセンターを経由した。 上部は笹と潅木の疎林のやや急な斜面だったが丁寧にジグザグ描いて降りてゆく所では視界が広がり、まわりの山を見渡しながら楽しく歩いた。 途中から膝に痛みが出てきたのは久しぶりのことで、長引いた風邪の影響で抗重力筋が大分衰弱した事が分かった。 次の日の雨ヶ岳北尾根の大登りにいささか不安を感じたが、時間的には割と早く本栖に降り着き、午後に一本しかない下部行きバスに悠々間に合った。 |
![]() (クリックすると拡大) |
この夜の泊場は奥本栖湖の浩庵荘だった。 二度の偵察山行の際、山から降りてきて蕎麦を食べ、今回の泊り場として適していることを確かめてあった。 写真家 岡田紅葉氏が 1000円札の富士山の図案のもとになった写真を撮影した展望点の近くで、カメラマンやウインドサーファーの常宿のようだった。 この夜は他に客がなく、静かな宿りだった。 日没時には客室の窓から赤富士が見え、暗くなったあとは、月夜の湖と富士山の眺めを楽しんだ。 |
<ルートの詳細> ![]() ![]() ![]() (電子国土1/9000図による) |
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11月5日(曇) 仏峠-御飯峠-雨ヶ岳-端足峠 |
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<行動時間> 浩庵荘(7:45)-キャンプ場管理棟(8:40/45)-稜線(9:23)-仏峠(9:29)-小休止(9:43/45)-御飯峠(10:20/25)-1393m峰(11:00)-鞍部(11:12/30)-痙攣で休憩(12:25/35)-雨ヶ岳(13:25/35)-小平地(14:15)-平坦な尾根(14:40/45)-端足峠(15:58)-東海自然歩道(15:25/40)-水場(15:45/50)-A沢貯水池(16:05)-(16:21)ゲート-(16:28)根原バス停[16:59]=(富士急山梨バス)=[17:50]河口湖[18:08]=[18:51]大月[18:56]=高尾=八王子=長津田=[21:24]宮崎台 <概況> |
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本栖湖後背稜線トレースの掉尾を飾る雨ヶ岳越えの朝は静謐で美しい曙の景色が見られた。 前の日の竜ヶ岳の下りの後半膝に痛みが出て風邪の影響で脚力が衰弱していることが分かって少々不安があった。 天気は下り坂だが急に悪くなる感じはなかったので行ける所まで行ってみて、空模様と体調が良くなかったらエスケープすれば良いと言うほどの心積りで出発した。 |
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朝日の射す湖畔の道路を進んでゆくときれいにとんがった雨ヶ岳が見えてきた。 この日の尾根伝いの起点となる仏峠へは50分ほど歩いた所にある本栖湖いこいのキャンプ場から取り付く。 管理棟の裏から山に入り、もとに折り返す方向に斜上して行く山道を登った。 数回のジグザグを交えて高度を上げ、尾根の北側を斜上して行くと谷を埋める紅葉の奥に峠の鞍部が見えてきた。 |
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やがて稜線に登り着いた所は2万5千分1地形図に "佛峠" の二文字が書きこまれているあたりだったが実際の佛峠はそれより250m ほど南の僅かな高みを乗り越えて行った鞍部にある。 そこには "佛峠 標高一一三〇米"、"釜額ニ至ル" と記した標柱が立ち、その脇から尾根の背に向けて登って行く朽ちかけた丸太階段がある。 |
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佛峠から御飯峠へは、二つ三つのコブを越したあと1333m 峰を乗り越してもう一段上がる。 程よい幅の尾根の上に微かな道形が認められ、所々に左のような "月夜の富士と雁" の図柄を描いたプレートが見えた。 1333m 峰の先にある小ピークを越し、ゆるく下ってゆくと疎らな立木のある広々した鞍部に着いた。 広場の真ん中の樹木には左下のように "御飯峠" と墨書きしたプレート、"←雨ヶ岳" と記したテープがあり、さらにその先の樹木の幹に "本栖湖30分、栃代" と記した道標のプレートが縛り付けられていた。 |
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峠歩きのエキスパートのウエブで "御飯" は "湖畔" だったのが訛って "ゴハン" に変わったのではないかと言う説を紹介しているのがあった。 山中の別天地で、ゆっくり食事をしたくなるような所だ。 風邪の影響を考えてエスケープするならここが最後の場所になるのでしばらく考えた。 ここまでの所、意外に調子よく歩けていたし、空は曇って来たがすぐに降り出す気配はない。 この機会を逃せばふたたび機会が得られないままで終わるかも、と思ったので前進することに決めた。 |
![]() (クリックすると拡大) |
御飯峠から先は道形が殆ど消え、それに代わって獣の踏み跡ばかりが目立つようになった。 御飯峠から三つ目のコブとなる1393m 峰に上がると行く手に雨が岳が障壁のように迫ってきた。 さらにもうひとつ小ピークを越して降り着いた北尾根起点の鞍部にはまだ紅葉が散り残っていてとても綺麗だった。 鞍部から雨ヶ岳頂上への北尾根の登りは高度差が450m ある。 道形はなく、足許が不安定な尾根の背をひたすら直上して行く事になったが、半分くらい登ったあたりで急にスタミナが切れた感じとなり、足が痙攣し始めた。 |
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取り敢えず小休止して水分・糖分を補給し、芍薬甘草湯と消炎鎮痛剤を服んだ。 体調がそこそこで登りが厳しくなければこの程度のことをすれば痙攣が治まるのだが、悪条件が重なっていたこの日は一時凌ぎにしかならなかった。 さらにひと登りした所からは左足の筋肉が痙攣して力が入らなくなり、片足を引きずって登り続けることとなった。 藪がないのはありがたかったのだが大石が積み重なった所や朽ちかけた倒木を乗り越してゆくのは辛い仕事だった。 ここまで登ってしまったら頂上に着くまで頑張るしかないのでしゃにむに頑張り続けていると上の方が明るくなり、やがて林床に笹が出てきた。 |
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行く手の一番高い所を目指し、膝ほどの笹藪を押し分け押分け進んでゆくと笹薮の先に雨ヶ岳頂上に立つ標柱の頭が見えてきた。 最後のひと頑張りで飛び出した雨ヶ岳頂上広場は笹と木立に囲まれた好ましい憩い場だった。 富士が正面間近かにに見える筈だがまわりに流れている霧が展望を妨げていた。 長く休んで身体が冷えてくると薬で抑えつけている痙攣が広がる。 水分と糖分を補給し、心臓の鼓動が落ち着くのを待って下山にかかった。 端足峠への下降路は歩きやすい笹尾根だったが、しばらく下ったあたりから下降時に負荷がかかる筋肉が悲鳴を上げるようになった。 |
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行く手に見える竜ヶ岳が次第に大きく高くなってくるのを励みに、あちこちに痛みが出てくる足をだましだまし下り続け、竜ヶ岳へ繋がっている尾根の最低鞍部になっている笹の平地に下り着いた。 左下間近かになった本栖湖の水面を見ながら小休止したあと、僅か登り返して端足峠へ。 峠で右に折リ返して下降路に入り、前日に登ってきた所を下って東海自然歩道に降り着いた。 右折して根原へ向かい、5分ほど歩いた所に水場があって喉を潤し、空になっていたボトルを満たすことができたのは有り難かった。 |
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朝霧高原から猪之頭の方に向かって南下する東海自然歩道からA沢貯水池の脇で別れて東に向かい、根原で国道に上がった。 右手を見上がるといま降りてきた雨ヶ岳から毛無山への山並みが雨雲を纏って高かった。 富士宮から東海道線をまわって帰る周回ルートを計画していたのだが時間が遅くなりすぎて程よい時間のバスが行ってしまったのでギブアップ。 根原分校前のバス停から河口湖に戻って、大月、八王子経由で帰った。 |
<ルートの詳細> ![]() ![]() ![]() (電子国土1/9000図による) |
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☆おわりに 風邪病み上がりの後期高齢者にとっては少々過酷に過ぎた山行だったが好天と薬の助けを得てどうにか計画通りに歩き切り、富士五湖を囲む尾根伝いがほぼ完結した。 この秋は、9月下旬に小白森山から大白森山を、今回は雨ヶ岳から竜ヶ岳をカバーし、ふたつの長年の宿題を片付けることができた。 歳には過ぎた内容充実の山歩きができ、幾つもの場所で一期一会の山岳展望を楽しむ幸せに恵まれた。 |
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