御破裂山から飛鳥石舞台へ(2010.10.15)


☆期日/天気/山行形式: 2010年10月15日 俄か雨のち曇 単独、立ち寄り山行
地形図(2万5千分1): 畝傍山(和歌山2号-3)
☆まえがき
    御破裂山は飛鳥 石舞台の背後の谷の詰めにある山だ。
東麓の登山口には壮麗な談山神社があり、頂の手前のサブピーク 談山(カタライヤマ)は、中大兄皇子と藤原鎌足が大化の改新のクーデターを謀った場所と伝えられている。

  同窓生連れだって比叡山延暦寺を拝観したあと樫原神宮前まで移動してホテルに泊まったが、そのつぎの日は、夕方までに金剛山の肩にある香楠荘に行く予定だったので、昼前の空き時間を活用して、ついで山行を行った。
















飛鳥石舞台から見た御破裂山
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☆行動記録とルートの状況

<行動時間>
    樫原神宮前[7:39]=大和八木=[7:53]桜井[8:12]=(談山神社行コミュニティーバス)=[8:32]多武峰神社バス停(8:40)-談山神社(9:10)-談山(9:25)-御破裂山(9:35/40)-西口の分岐(10:00)-気都和既神社(10:25)-(11:10)石舞台古墳[11:56]=(かめバス)=[12:23]樫原神宮駅東口/樫原神宮駅 ⇒ 近鉄南大阪線で金剛山香楠荘へ

<概要>
桜井駅からコミュニティーバスで東登山口の多武(トオノ)峰まで入った。
バスを降りる頃から俄か雨が降り出したので折畳み傘をさして歩きだした。
 
  談山神社の参道は屋根付きの珍しい橋から始まる。
谷間に分け入ってゆくと大きなホテルがあり、その先で谷向かいの談山神社境内に入った。
大小さまざまな社殿が立ち並ぶ美しい神域だった。
かつては神仏混淆の寺社で、興福寺の勢力と張り合う僧兵の根城でもあったと言う。

  楼門の前から十三重塔の脇を通り、その背後から登山道に入った。

 

  大木が並び立つ森の中を登って行くうちに雨が小降りになってきた。

  談山の頂上は、ひっそりした小広場で樹木に囲まれていた。

  御破裂山の天辺は藤原鎌足を祀る陵になっていて立ち入り禁止。最高到達点は陵の左脇の展望所だった。

  大和三山、二上山から葛城山、当麻寺などを描いた展望絵図があったが、霧に視界を妨げられ、山麓の集落がぼんやり見えるだけだった。

  西に向かって山を下り、飛鳥の谷奥に降り着いた所に古びた神社があった。
気都和既神社と言い、藤原鎌足が蘇我入鹿の首を刎ねたあとこちらへ逃げてきて、ここまで来れば安心だ、と言ったと伝えられている。


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  飛鳥の山間の村の道端ではコスモス畑が満開だった。
花の先には穏やかで美しい山村風景が広がっていた。
  程なく石舞台に着いた。
前の年の春に来た時は大賑わいだったが、この日は閑散としていて、繁閑の落差の大きさに驚いた。
園地下手の芝生に遠足の小学校生達が来ていた。
芝生から谷の奥を眺めると御破裂山が高くそびえ立っていた。(冒頭写真)

  石舞台からは飛鳥駅または樫原神宮前へ、毎時1本ほどの頻度で路線バスが運行されている。
昼近くのバスで樫原神宮前駅に戻り、駅で昼食をしたあと、金剛山に向かった。

☆スライドショーアルバム




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元画像スライドショー(Flickr)

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☆おわりに
  半日の立ち寄り登山ながら静かで好ましい低山で歴史ウオークを楽しんだ。