ダイヤモンド・トレイル南部縦走(2010.10.15-17)


☆期日/天気/山行形式: 2010年10月15-17日 市中ホテル・公設山荘利用 単独縦走
☆地形図(2万5千分1): 五条(和歌山6号-2)、岩湧山(和歌山6号-4)、富田林(和歌山6号-3)
☆まえがき
    ダイヤモンド・トレイルは、二上山から葛城山・金剛山までの北半分を5月にトレースした。
京都同窓会のついで山行で大文字山と御破裂山に登った山旅の仕上げとして、金剛山肩の香楠荘を起点に、中葛城山、紀見峠を経て岩湧山までの南半部をカバーすることにした。

岩湧山頂上の展望   
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☆行動記録とルートの状況
10月15日(曇)
<行動時間>

   午前 談山神社-談山-御破裂山-気都和既神社-飛鳥石舞台 ⇒ 樫原神宮駅[13:04]=(近鉄南大阪線)=[13:23]古市[13:25]=(近鉄長野線)=[13:43]河内長野[13:57]=(南海バス)=[14:32]ロープウエイ前(14:40-0:05)-(14:45)ロープウエイ千早駅[15:00]=(金剛山ロープウェイ)=[15:06]金剛山駅-(15:15)香楠荘

<概況>
    御破裂山から飛鳥 石舞台に下山したあと、樫原神宮前でお昼を食べ、近鉄・南海電鉄を乗り継いで河内長野にまわり、バスとロープウエイを利用して午後遅く金剛山の肩に上がった。
朝の御破裂山では俄か雨に遭ったが時間の経過とともに天気が良くなり、青空も広がってきた。
あたりを歩きまわってみようかとも思ったが、ひと山登ってきたあとだし、先が長いので、風呂に入ったり昼寝をしたりしてゆっくり時間を過ごし、休養に務めた。

金剛山肩香楠荘客室の眺め   
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10月16日(曇ときどき晴)
<行動時間>
    香楠荘(7:05)-ダイトレ分岐(7:27)-葛木神社(7:34/40)-転法輪寺(7:45/50)-展望台(8:12/15)-(8:20)香楠荘(9:29)-伏見峠キャンプ場(9:35)-久留野峠(10:05/10)-中葛城山(10:20)-高谷山(10:38/40)-千早峠(11:05/15)-神福山(11:33/35)-行者杉(12:00/10)-杉尾峠(12:25)-西ノ行者(12:55/13:10)-山ノ神(13:50/55)-紀見峠(14:10)-(14:50)紀伊見荘

<概況>
  香楠荘は山の上にある泊まり場としては朝食が遅く、8時からだった。
朝飯前の散歩がてら金剛山まで行ってくることにした。
デジカメだけの軽装で縦走路に出たらもう人が歩いていた。
踏み固められた土道を30分ほど歩くと金剛山の頂にある葛木神社に着いた。
修験道創始者である役の行者の本拠と言う本殿の横手には三十柱を越す脇社の祠が並んでいる。
一段下った所に転法輪寺のお堂がある。
建物はパッとしないが広々した前庭に護摩を焚く祈祷所、牛の青銅像、宝匡印塔など、いくつもの宗教シンボルが設けられ、早朝から多くの人が来ていた。
 
金剛山 転法輪寺    (クリックすると拡大スクロール)
  ひとわたり見まわったあと香楠荘へ帰った。
空身だったし道は車が走れるほど良く整備されていたので、ブラブラ朝の散歩と言う感じになった。
もうすぐ香楠荘、と言うあたりの尾根上に展望台があった。
鉄骨で組まれた広いプラットフォームの上からは、すぐ下に香楠荘が見え、その先に紀見峠方面から岩湧山あたりへの長大な尾根の連なりを縦観できた。
雲が多くてパッとしない眺めだったが、低山ながら前途の長さに気後れを感じた。 

金剛山展望台の眺め   
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  香楠荘に戻ったあと、山歩きにしては異常に遅い朝食をして出発した。
キャンプ場のある伏見峠までは車が通れる道だったが、そこを過ぎると山道に変わった。
ルートの詳しい様子は GPS トラック付きスライドショー・アルバムで見て頂きたいが、中葛城山の頂上付近では左下の大和側への視界が広がり、五条あたりの屋並みが間近に見えた。

中葛城山頂上付近から五条方面の眺め   
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  ルートは葛城山以北と同じ様に、杉・桧の植林の中が多くて展望には恵まれず、やや単調に傾く感はあったが、楠正成の砦跡、天誅組が越えた杉尾峠、役の行者所縁の神福山など、次々に史跡が現れ、歴史の道としては楽しめるものだった。
ただ、この日の行程の最後の部分だった紀見峠から紀伊見山荘への里道が意外に長く、分かり難かった。
紀伊見山荘は南海電鉄高野線紀見峠駅のすぐ近くだった。
場所が便利なこと、週末だったことが重なったせいか泊まり客が多く、久しぶりに賑やかな泊まり場だった。

<スライドショーアルバム>




金剛山-紀見峠の GPS アルバム




元画像のスライドショー(Flickr)

 
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10月17日(曇りのち晴)
<行動時間>

    紀見荘(6:50)=[送迎車]=(7:00)紀見峠(7:10)-砥谷林道造林小屋(8:05/12)-三合目(8:48)-根古峰西肩林道(9:05/10)-南葛城山分岐(9:25)-五ツ辻(9:43/45)-岩湧寺分岐(9:56)-旧展望台(10:05)--岩湧寺分岐(10:13)-トイレのある鞍部(10:17)-岩湧山(10:24/45)-扇山分岐(11:08)-カキザコ(11:45/50)-(12:15)新関屋橋 案内所(13:02)-(13:07)滝畑ダムバス停[13:19+0:05]=(日野・滝畑コミュニティーバス)=[14:04+0:04]河内長野[14:15]=(南海高野線)=[14:47]南海難波/なんば[14:56]=(地下鉄御堂筋線)=[15:11]新大阪[15:40]=(ヒカリ#478)=[18:21]新横浜=あざみ野=[19:07]宮崎台

<概況>
    大和周辺山巡りの旅の最終日となった。
この宿も山歩きの宿としては朝食が遅く、7時からだった。
夜までに河内長野から新大阪を経て新幹線で家に帰る予定だったので長途をアクセク歩かずに済ますため、朝食の前に紀見峠まで宿の車で送ってもらうことにした。

  峠から先も前日と同じで展望のない杉・桧の植林の中が多かった。
地形が込み入っていて現在位置の確認が難しかったが三合目で尾根に乗るとまわりが開けた。
根古峰の肩のあたりで林道に出たらスクーターで上がってきたライダーの群れに出遭い、驚いた。

  年老いた両親を連れて天見温泉から登ってきた孝行息子と遭った。
東京で会社勤めをしていたとのことで "丹沢など色々山があるのに、なぜ態々こんな遠くの山まで出掛けてくるんですか?" と聞かれた。
"近所の山は歩き飽きたし、奥駆道を歩いて紀伊の山に興味を持ったので、このあたりをあちこち登り歩いているんですよ" と答えたらなるほど、と言う顔をした。

  孝行息子と山談義、デジカメ談義をしながら尾根伝いを続け、新しいトイレ棟のある小鞍部からひと登りすると岩湧山頂上だった。
三角点標石がある狭い萱戸の切り開きだったがその先50m 程の所に広場があって、30人ほどの老若ハイカーが来ていた。

  この山域では最も高い展望所で、周囲に高木がないため広大な視界が得られる。
晴れていれば淡路島や関西空港まで見えると言うが、この日は曇りで霞がかかり、河内平野とまわりの山が見えだけだった。

  行く手の西の方は滝畑ダムのある深い谷で、その向かい側に槇尾山の山並みが連なっている。
手前側、谷間に下ってゆく尾根上には扇山が盛り上がっている。
ダイトレは槇尾山の裏の中腹にある万願寺までとされているようだが、尾根筋は滝畑ダムの谷で途切れている。
無理やり谷向かいまで線引きを延ばしたような感もあり、そちらまで頑張って歩く意欲は湧きにくい。

岩湧山頂上の展望 扇山の先に槇尾山が見える   
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  孝行息子に別れを告げて下山路に入った。
はじめは扇山との鞍部に向かって萱戸の間を急降下する。
紀見峠からの縦走路は閑散だったが頂上のこちら側はとても賑やかで、次々に登ってくる人と忙しくすれ違った。

  2ピッチで滝畑ダムに降り着き、登山口脇の案内所の食堂で鱒のてんぷら定食を食べた。
鱒を一匹刻んもだのを高温の油で揚げたものが主菜だったが、香ばしくてうまかった。

  ダムの湖畔から始発するバスで河内長野駅に出て南海電鉄線に乗り継ぐと難波まで1時間半足らずだった。
大阪あたりの人達にとっての岩湧山は、首都圏の高尾山のような手近な山なのかも、と思った。

<スライドショーアルバム>





紀見峠-岩湧山-滝畑ダム




元画像スライドショー(Flickr)

 
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☆おわりに
    昨年の春、金剛山から水越峠への偵察山行を行ってから、3次の山行を経てダイヤモンドトレイルのほぼ全域をカバーできた。
良く整備された縦走路だったが杉・桧の人工林の中が多く、展望にはあまり恵まれていない。
その代わりに山中に史跡が多く、首都圏の尾根伝いとはまたひと味違う山歩きができた。