西吾妻山、一切経山・東吾妻山(2010.8.1-4)


☆期日/天気/山行形式: 2010年8月1-4日 民宿ホテル泊 単独
☆地形図(2万5千分1): 吾妻山(福島14号-2)、天元台(福島14号-1)、
☆まえがき
    雄国沼周辺を歩いた2日間で、痙攣問題がほぼ解消したことが分かったので計画通り西吾妻山を越えて吾妻連峰に移動することにした。
この山行の計画に着手したときは、弥兵衛平にある名月荘避難小屋での宿泊を中継ぎとして、吾妻連峰の主稜を縦走して浄土平へ入りたいと思っていたが、体調にもうひとつ自信が持てなかったので取り止め、天元台から白布に降りたあと、米沢からJR線で福島にまわってホテルに宿泊し、翌朝のスカイラインバスで浄土平に上がるよう変更した。

吾妻 浄土平と吾妻小富士    
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☆行動記録

8月1日(曇一時小雨) デコ平-西大巓-西吾妻山-天狗岩-北望台-天元台
<行動時間>

    宿舎(8:00)=[送迎車]=(8:20)グランデコ・ゴンドラ乗場(8:35)=[パノラマ ゴンドラ]=(8:45)山頂駅ー1770m地点(9:40/45)-1900m地点(10:40/45)-西大巓(11:00/10)-西吾妻小屋(11:50/12:00)-西吾妻山(12:25/12:55)-天狗岩(13:10/25)-水場(14:05/10)-人形石分岐(14:25)-かもしか展望台(14:35)-(15:00)北望台リフト乗り場[15:10]=(リフト3本乗継)=[15:35]天元台高原駅[15:40]=(天元台ロープウエイ)=[15:50]湯元駅[16:35]=(山交バス)=[17:19]米沢駅[17:45]=(奥羽山形線)=[18:30]福島駅-(18:40)福島駅西口前 福島ビューホテル

<概要>
    西吾妻山では昔、危うく命拾いをした。
11月のはじめ、スキー縦走の下見をしようと白布峠から入山したが、峠から歩きだした時に降り始めた冷雨が途中で霙から雪に変わり、稜線は吹雪状態になっていた。
膝ほどまで積もった新雪を単独でラッセルし、上着やザックがバリバリ凍った状態になってどうにか西吾妻避難小屋に逃げ込んだ。
  強力な MSR製のストーブを持っていたものの限られた量の燃料しか携帯していたのだが、小屋の中にポリタン入りの灯油が残置してあったお蔭でひと晩暖を取りながら、濡れた着物を乾かすことができ、翌朝、若女平を経て白布に脱出することに成功した。

  今回はデコ平スキー場のゴンドラを利用して西大巓の中腹まで上がるのだがそこから頂上まで約600m。 さらに西吾妻から中大巓肩の北望台までの登降をあわせると累計登高差 800m あまりを消化しなければならない。
この山行における体力測定日とも言うべき行程だったが少々時間がかかったほかは別段の問題はなく、無事に歩ききれた。
天気はもうひとつで、終始霧の中。 展望は得られなかったが随所にある湿原に咲いていた色々な花が綺麗だった。
<ルートの状況>
    ルートの詳細な状況は、下のサムネイルのような GPS スライドショー・アルバム、およびFlickr 画像共有サイトを利用した元画像スライドショーで見ていただきたい。


西大巓・西吾妻山の GPS アルバム


元画像のスライドショー

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8月2日(曇) 福島-吾妻小舎-浄土平-酸ヶ平小屋一切経山-吾妻小舎
<行動時間>

    福島駅西口[9:20]=(福島交通バス)=[10:44]兎平-吾妻小舎(10:50/11:40)-浄土平(11:55/12:00)-酸ヶ平小屋(12:45/55)-一切経山(13:30/45)-浄土平(14:50/15:05)-(15:25)吾妻小舎

<概要>
    前日米沢から福島にまわり、駅前のビジネスホテルに宿泊した。
ホテルでは宅配便で送ってあったサブノートPCを使って GPS トラックデータを整理し、衣食品を補給した。
PCと汚れた衣類は送り返したものの、少し重くなったザックを持って朝のスカイラインバスに乗り、浄土平に上がった。
今年から兎平にバス停が新設されていて、バスを降りた所から僅か5分ほどで吾妻小舎に着いた。

  ひと休みのあとサブザックを背負って小屋を出発。 10数年振りの浄土平に廻ってあたりの様子を見たあと、酸ヶ平小屋を経て一切経山に登った。
浄土平にはビジターセンターと天文台ができていた。
酸ヶ平小屋も建て換えられて立派になり、トイレ棟もできていた。
一切経山頂上は霧の中で、吾妻主稜はおろか五色沼もまったく見えなかったが中腹の大口と呼ばれる噴気孔から轟音とともに火山ガスが噴出しているのを見て地球の威力を感じた。

吾妻 一切経山と大穴    (画像をクリックすると拡大、スクロール)
<ルートの状況>
    ルートの詳細な状況は、下のサムネイルのような GPS スライドショー・アルバム、およびFlickr 画像共有サイトを利用した元画像スライドショーで見ていただきたい。



一切経山の GPS アルバム


元画像のスライドショー



<吾妻小舎>
  この夜、10数年振りで吾妻小舎に泊まった。
昭和9年(1934年)に国鉄仙台管理局所管の施設として開設された老舗の山小屋で、我が国スキー登山史と深いかかわりのある歴史遺産的な山小屋だ
  数年前に大規模な改修が行われたが、もとの建築様式が保存され、昔と同じ佇まいが懐かしかった。

 この夜の客は10名で、 ほとんどが常連だった。
この小屋の特徴は山屋だけでなく "星" の人も泊まることで、この夜も埼玉から大口径反射鏡を運んできた人がいた。
管理人の遠藤さんも健在で、夕方から顔を出し、昔と同じ穏やかで落ち着いた雰囲気になった。
まるでタイムマシンに入ったかのようで、居心地が良かった。
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8月3日(晴のち曇) 吾妻小舎-東吾妻山-吾妻小舎-浄土平-ぬる湯温泉
<行動時間>

    吾妻小舎(7:30)-酸ヶ平小屋分岐(8:00)-姥ヶ原 谷地平分岐(8:50/9:00)-東吾妻山(9:40/10:00)-姥ヶ原 谷地平分岐(10:35/50)-浄土平入口(11:35/40)-桶沼(12:00/05)-吾妻小舎(12:15/50)-(13:10)浄土平レストハウス(13:50)-下降路入口(14:10/15)-(15:45)ぬる湯温泉(二階堂旅館)

<概要>
    雨に降られず、体調も意外に良かったので順調に計画を消化し、お蔭で疲れがかなりたまっていた。
朝のうちにぬる湯に下り、ゆっくり湯治をしようか、とも思っていたのだが朝起きてみたら綺麗な青空が広がっていた。
入山以来、最高の天気になったのにどこにも登らずに下山してしまうのはもったいない。
昼前に東吾妻山に登り、午後になってからぬる湯に降りることにした。

  無雪期の東吾妻山は初めてだったが見た感じよりしっかり登らされた。
頂上に上がったタイミングが悪く、後からついて来たのではないかという感じで流れてきた霧が視界を遮った。
去来する霧に見え隠れしている吾妻主稜や谷地平を眺めたあと小屋に戻った。
荷物を纏めて浄土平へ行き、レストハウス2階のレストランでゆっくりお昼を食べたあと、ぬる湯に向かった。

  下山路の上部はルートが分かりにくくなっていたため、まわりを見まわしていたら台地の上で黒いものが動いているのに気がついた。
良く見ると大きな熊が走り回っているのだった。
レストハウスの残飯を漁りに来ていたようだったが、近くに来られると厄介と思ったのでスカイラインの車道に逃げた。
車道からぬる湯へのルートに入る所が分かりにくくなっていたので進入する前に携帯で確認した。
ぬる湯へのルートは上部に一部崩れた部分があったが、それ以外は穏やかで明瞭な道でゆっくり歩いて2時間足らずで着いた。

  谷間にひっそり立っている茅葺三階建ての一軒宿で、正真正銘の秘湯だった。

  ここの旅館二階堂の先代主人は、吾妻の登山ルートの開発に指導的な役割を演じた人で、吾妻小舎も早い時期に国鉄から経営を引き受けたと言う。

  ぬるい湯に浸かってゆっくり休み、久しぶりの長い山旅の疲れを癒し、湯治客用の洗濯機で汚れた着物を洗った。
自炊の湯治客はリーズナブルな料金で泊まれると言うから何年かあとにそれ式の滞在をして見たいと思った。

<ルートの状況>
    ルートの詳細な状況は、下のサムネイルのような GPS スライドショー・アルバム、および Flickr 画像共有サイトを利用した元画像スライドショーで見ていただきたい。




東吾妻山からぬる湯の GPS アルバム


元画像のスライドショー




8月4日(晴)
<行動時間>

    ぬる湯温泉[9:30]=(送迎車)=[10:40]福島駅[11:47]=(ヤマビコ#50)=[13:24]東京=大手町=宮崎台
<概要>
   朝9時半に出発する送迎バスで福島駅まで送ってもらい、午後早く帰宅した。
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☆おわりに
    裏磐梯から吾妻への6日間の山旅は降らず晴れずと言う位の天気が続いた。
展望には恵まれなかったが体調が予想外に良かったおかげで全行程を完遂できた。
春以来の体調から、思い出一杯の吾妻の山々へのサヨナラ山行になるかも、と思っていたのが、まだ暫らくは山を歩けそう、と言う嬉しい結果になった。

  久しぶりの長期山行で身体の芯まで疲れたが、年初以来悩まされていた痙攣は出ずに済んだ。
僅かに、西吾妻を越して白布湯元に下山し、米沢行きのバスを待っているうちにチョッと下肢に違和感が出てきたので鎮けい剤をひと粒服んでみた。
痙攣は起きていなかったので日光高山頂上のような顕著な変化はおこらなかったが、バスに乗ったあと少し眠くなってあくびを連発し、そのうちにいつの間にか、痙攣の前兆かと思った妙な感じが消えていた。