![]() 荒川左岸、陣見山-虎ヶ岡城址-鐘撞堂山 (2009.12.25) ![]() |
|
☆期日/天気/山行形式: 2009年12月27日(快晴) 単独日帰り ☆地形図(2万5千分1): 寄居(宇都宮16号-1) ☆まえがき 荒川左岸稜線への2回目の山行で、前回歩き終えた榎峠の東に続く尾根筋にあたる、榎峠-陣見山-虎ヶ岡城址-円良田-鐘撞堂山ルートをトレースした。 山行日は西から進んでくる低気圧の影響で西高東低の冬型気圧配置が一時的に緩んだ。 そのお蔭で静穏な好天に恵まれたのだが、あまりの好天に気が緩んでルートミスを連発し、遠回りをしたり行ったり来たり、薮を漕いだりなど、日だまり低山へのノンビリハイクだった筈がちょっとしたトレーニング山行になった。 しかし、山歩きの常で、苦あれば楽あり。 この年最後のピークとなった鐘撞堂山頂上では素晴らしい展望を楽しんだ。 |
|
![]() 鐘撞堂山頂上の展望 (クリックすると拡大スクロールします) |
|
☆行動記録とルートの状況 <行動時間> 宮崎台[6:25]=渋谷=池袋[7:18]=(東上線急行)=[8:30]小川町=[8:49]寄居[9:06]=(秩父鉄道)=[9:16]樋口(9:25)-陽光の家(10:20/30)-榎峠(10:40/45)-陣見山東口(11:20)-陣見山(11:25)-大槻峠(12:05)-虎ヶ岡城跡(12:25/40)-円良田車道(13:00)-薮尾根の背(11:40)-鐘撞堂山(14:05/25)-大正池(14:47)-(15:20)寄居[15:40]=小川町=[16:55]和光市[17:04]=(メトロ副都心線)=[17:33]渋谷=宮崎台 <概要> 樋口駅前から東へ700m あまり進んだ所で秩父鉄道の踏切を渡って国道に上がり、少し先で左折して榎峠へ向かう道に入った所には国内最大と言う青石塔婆が立っている。(下の写真) 戦国時代に討ち死にした郷士を弔うために建立されたものと言われ、2万5千分1地形図にも野上下郷石塔婆と記入されている。 |
|
![]() |
石塔婆の先の道からは行く手左上に雨乞山が見える。 山地に珍しい瀟洒な集合住宅の前を通り過ぎて山間に入り、右に曲がり登った所に峠への歩道の入口がある。 道標は立っていないが目印のレジ袋が立ち木に縛り付けられているので容易に見分けられる。 ただ、前回降りてきたときに、出口のすぐ上で道がふた手に分岐していた記憶があった。 今回、そちらがどうなっているかチェックして見ようと先に進んでみたのだが、当てにした入口は見つからず、さらにその上のショートカットの入口も見落としたため、峠直下の最後のショートカット入口の脇にある建物(陽光の家)まで車道を大回りして行くこととなった。 穏やかな冬晴れの朝、ノンビリ車道を歩くのも悪くはなかったが予定の時間より20分ほど余計に掛かって峠に着くこととなった 榎峠は前回通ってから18日しか経っていないのだが様子が変わっていた。 登山道の入口の電柱に括り付けてあった "ハイキングルート" のプレートが取り外され、その横に、"北武蔵ハイキングコース" と記した標柱が立てられていた。 |
![]() 12月25日の榎峠 |
![]() 12月7日の榎峠 |
![]() |
標柱の脇から山道に入り、檜と自然林の境を15分ほど歩いたあと長い固定ロープが張ってある斜面を下るとY字状になっている舗装車道の二又の付け根に降り立った。 荒川谷の眺めの良いところで、道端に長瀞八景と記した案内看板が立っている。 三又路の向かい側に陣見山への入口があったのだが地形図では車道が頂稜に絡んでいるのでもう少し先から尾根に上がれるだろうと思って車道を進んだのだが、この予想は間違っていた。 入口が見つかないまま陣見山の東の鞍部まで進んでしまったあとようやく頂上に向かうこととなった。 |
![]() |
鞍部から折り返して登ってゆく山道に入り、7~8分ほど掛かって陣見山頂上の三角点標石に着いた。 三角点標石の後は埼玉テレビのアンテナ施設で、まわりが檜の林に囲まれている。 ここには珍しく人が居た。 近在から来た熟年ハイカーで、今日の天気は最高だけどこの頂上は殺風景でつまらないですねぇー、と話し合った。 ひと息入れただけでもとに戻り、鞍部の道の向かい側に立っている "大槻峠" の道標の脇からまた山に入った。 |
![]() |
大槻峠へは登りはあまりなく、やや急な下りが2箇所あって高度を下げる。 大槻峠の鞍部は林道が通っていないため工事の影響を免れ、昔のままの地形が残っていた。 狭い鞍部に青石の石碑がふたつ立ち、一方には如意輪観世音、もう一方には馬頭観音と刻んであった。 鞍部の向かい側の急な斜面を登り上げて穏やかな尾根に乗ってわずか進むと尾根を切り欠いて作った堀跡が残っていた。 堀跡先の高みが虎ヶ岡城址で東屋が立っていた。 |
![]() |
城址はまばらな自然林に囲まれた広場になっていて落ち着いた雰囲気が漂い、気分の良い所だった。 北側の林の隙間に美里の谷間が見え、今降りてきた陣見山の電波塔も見ることができた。 ルートはここで直角に折れて南に向かった。 まさかこんなところでと思うほど長い急な丸太階段を下りきって平らな尾根に乗ると間もなく筑坂峠に着いた。 尾根上を直進する道はかんぽの宿を経て波久礼駅に行く下山路で、円良田へは左折して谷に入る。 |
![]() |
ひと下りして鬼野田沢橋を渡ると円良田の集落で、すぐに円良田湖から北上してきた車道に出た。 こちらから鐘撞堂山へ登る人はあまり居ないのか、あたりを見回しても道標のような物は見当たらなかった。 地形図と首っ引きで、ルートを確かめ、車道を右手に150m ほど歩いた所に架かっていた橋を渡った。 橋のすぐ先で左に分岐しているゴルフ場への舗装路を見送って谷間の人家の前を進んで行くと、橋から6、700m の所で谷底を進んでゆく道と右上に登ってゆく道が分岐していた。 ここで右手に上がって行くべきだったのだが、漠然と直進し、谷底を進んだのは誤りだった。 |
![]() |
ごく傾斜の緩い谷の中へ分け入ってゆく道は非舗装ながら幅広で歩きやすかったのだが谷の詰めが見えてきたところで突然途切れ、どっちを見ても薮ばっかり、という状態になった。 山勘で鐘撞堂山頂上の裏側のそれほど離れていない所まで到達しているように感じていた。 沢の詰めの尾根上まであまり遠くなかったので強行突破して見ようと、右手の小尾根に取り付いた。 猪と思われる獣の足跡が縦横に入り乱れている小尾根の薮を抜け、谷の詰めの急斜面に移ると伐採跡の茨の薮があって痛い目に遭わされた。 息を切らせて登りあげた尾根の背は左の写真のような所だった。 久し振りに想定外の薮潜りをやったせいで足腰の筋肉が悲鳴をあげていたので薮の間の落ち葉の上に座り込んで休憩した。 息が落ち着いたところで、GPS と磁気コンパスと地形図とを引っ張り出して現在位置を推定し、頂上への進路を定めた。 尾根の背には微かな踏跡があったのでそれを辿って行ったら間もなく、"円良田 あんずの里" と書いた道標が立っていて、そこから先は明瞭な踏跡になった。 |
![]() |
道標から僅か先の所に美里方面への分岐点があり、そこを通過すると間もなく鐘撞堂山頂上広場の一角に出た。 東屋と展望台のある広く平坦な頂上広場では数人の老ハイカーが休んでいた。 展望は素晴らしく、奥武蔵の山並みから関東平野まで、冒頭のパノラマ写真のような展望が得られた。 空気が澄んでいれば都心の高層ビルまで見えるという。 正面はこれから降ってゆく大正池のある深田谷津の谷だった。 大正池と呼ばれる貯水池のある谷戸は上から見て予想した通りの穏やかな山里だった。 |
![]() |
|
☆おわりに 鐘撞堂山で終わる荒川左岸稜線の東端部は、往古の面影を残す峠や城跡がある静かな尾根を歩いたあと、円良田の里を経て大展望の鐘撞堂山頂上に到達する変化に富んだもので、なかなか好ましいルートだった。 ただ、あまりの好天に気が緩み、ルートミスを連発したのは拙かった。 最初の榎峠へのショートカットミスと、二番目に陣見山の肩を回り込んでしまったのは、林道ならではの展望を、それぞれ15分か20分の遠回りと引き換えに楽しむことができたのだからマァマァだったが、最後の鐘撞堂山への登路のミスはあまり良くなかった。 想定外の薮潜りを強いられ、酷使された脚の筋肉が帰りの電車の中で頚痙して悩まされた。 谷間の道の分岐点で GPS を引っ張り出してルートを確認すれば、回避できた筈で、以前の高松山と似たご粗末だった。 いつまで経っても文明の利器を使いこなせない、ボケ頭が癪に障る。 歩いたルートの全般的な状況は下のリンクから EveryTrail のスライドショーを見ていただきたい。 ![]() |
|
さらに念のため、 Canmore GPS ロガーで記録した行動軌跡(と要所のウエイポイント)をカシミールで2万5千分1地形図に書き込んだルート地図、および、虎ヶ岡城址から円良田を経て鐘撞堂山までのルートの正誤を示す詳細地図とを掲出する。 (Canmore GPS ロガーは最近入手したものである。 今回はじめて持参し、既存の Garmin GPSMAP60CSx との比較テストを行なった) ☆ 全ルートの行動軌跡 |
|
![]() |
|
![]() |
![]() |