西上州、鍬柄岳-大桁山(2008.12.12) |
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☆期日/山行形式: 2008年12月12日 単独日帰り ☆地形図(2万5千分1): 下仁田(長野3号-4)、荒船山(長野7号-2) ☆まえがき 雨のため11月の中旬に鍬柄岳・大桁山に登り損ねたのが気に懸かっていた。 年の暮れが近付き、まとまった時間が作り難くなったので日帰りで登りに行ってみた。 西上州の山は交通が不便で、日帰りでは登り難い山が多いのだが、上信電鉄千平駅から直接登降できる鍬柄岳・大桁山は、数少ない例外のひとつだ。 |
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大桁山頂上の展望 (画像をクリックすると拡大スクロールします) |
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☆行動記録とルートの状況 <タイム記録> 宮崎台[6:59]=大手町=東京[8:16]=(アサマ#663)=[9:10]高崎[9:18]=(上信電鉄)=[10:14]千平(10:35)-鍬柄岳登山口(10:55)-鍬柄岳取付(11:20)-鍬柄岳頂上手前30mの石祠(11:35/40)-鍬柄岳取付(11:50/12:05)-切通し(12:20)-古い林道(12:45)-川後石峠分岐(12:50)-大桁山(13:15/13:40)-川後石峠(14:10)-やすらぎの森入口(14:25)-(15:00)千平駅[15:32]=[16:24]高崎[16:47]=(在来線)=[18:35]上野=三越前=二子玉川=宮崎台 |
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◆極端な早起きを避けるため、往路は高崎まで新幹線を利用した。 高崎で上信電鉄に乗り継ぐと、1時間弱で千平駅に着く。 小屋掛けの待合室と名所案内の看板が立つプラットホームがあるだけの無人駅だった。 高崎を出たときの乗客は、ほぼ7分の入りだったが途中の駅でみな降りて行き、この駅では他に下りた者はいなかった。 待合室のベンチで足拵えをして下の道に降り、高崎の方に向かって100m ほど戻った角を左に折れると踏切があって、道の脇に道標が立っている。 |
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道なりに進んで行くと穏やかな谷間の山村風景が広がって来た。 谷の奥手に鍬柄岳と思われる岩峰が突っ立っている。 岩峰の後になだらかなスカイラインを描いているのが大桁山と思った。 |
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集落を通り過ぎ、やや細まった舗装路を進んで行くと杉林の間に入った。 路面が苔むしていた。 交通量が少なく年中湿っているせいだろう。 坂をひと登りした所に鍬柄岳への入口を示す道標が立っていた。 |
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入口から僅か登った所に社殿が立っていた。 社殿と言うより小屋掛けと言った方が良いくらいの建物だったが庇の下に "阿夫利神社鍬柄岳大権現" と墨書きした看板が掛かり、その横手には大天狗・小天狗の文字も見えた。 大岩のある所は古来、山岳信仰の場になっていることが多いものだが、ここもそのひとつだ、と思った。 賽銭箱にコインを投げ入れて拝み、今日の山歩きの安全を祈って社殿の横手に回りこんだ。 社殿の後を進むとすぐに、尾根の裾に取り付き、杉林の中を折れ登って行く道になった。 |
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早めに来た冬寒と運動不足とのため、身体が冷えて風邪気味になっていたのが、徐々に温まって来た。 背中のシャツがうっすら汗で湿ってきた頃、尾根の背に上がった。 山の裏側には下仁田の、四つ又山や桧沢岳あたりではないかと思われる山並みが見えていた。 |
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右に折れて尾根上を進んで行くとすぐ、岩峰の裾に突き当たった。 杉林の背後に岩壁が立ちはだかっている。 |
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岩壁の裾を右手にトラバースして行くと鎖場の取付があった。 鎖は右に斜上して行く岩棚状の地形に沿って取り付けられていた。 足場には不自由しないので危険とは思わなかったが足許がスッパリ切れ落ちていて、高度感があった。 鎖場から頂稜に上がると幅の狭い岩稜に乗った。 薄い岩の板を垂直に立てたような感じの山で、頂稜の幅は精々、2~3m ほどしかない。 |
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若い頃はいくらかは岩登りもやっていたからこの位の所はどうという事もなく通っていたのだが、年取ると筋肉や関節がこわばり、平衡感覚も衰えて、高度感のある岩場で恐怖を感じるようになる。 手近な潅木や岩角に掴まって進んでいったが、小さな石祠がある高みで行き詰まった。 頂上に立っている竹竿の幟が真近かで(左)、もうひと頑張りすれば頂上と思ったのだが、その先にある短いナイフリッジは、70過ぎの老い耄れジイさんが単独で突っ込むのは無謀だと思った。 幟の写真を撮ったカメラをザックに仕舞ってもとに戻り、慎重に鎖場を下った。 あとでGPSトラックでチェックし、頂上の手前30m 足らずの地点まで到達しことが確認できた。 |
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取り付きまで戻ったあと、しばらく休憩して緊張を解した。 大桁山へは岩峰の左裾を巻いてゆく。 道標はないが踏跡は明瞭で、入口の横の木の枝にテープが巻きつけられている。 さらに入口から数m 先の立木の根方に小さなプレートが取り付けてあり、 "大桁山へ50分" と記してあった。 岩峰の裾を巻いてゆくルートは、やや崩れ気味の所を横切るので足場が良くない。 しかし、立ち木の枝や根に掴まることはできるので危険という感じはでない。 |
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岩峰の裏側に回り込むと平らな尾根の背に乗る。 そこから先は少々藪っぽいが普通の踏跡になる。 |
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僅か進んだ所にある鞍部を古い林道が乗り越えていた。 切通しの向かい側に鉄パイプの長い梯子が立て掛けてある。 梯子を登った先は杉林の間のガサガサした感じの登りが続いた。 |
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緩急を繰り返しながら登り続けて行く途中で後ろを振り返ったら、鍬柄岳の頂上付近が見えた。 登り損ねたばかりの山の姿は癪に障らないでもないが頂上直下まで迫ったのだからまぁ我慢かなぁ、とも思った。 |
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かなり急で足場が悪い所を登りあげて古い林道に上がったが、その向かい側に道が続いていたのでそちらへ直進した。 |
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林道からひと登りで千平駅から登ってきた一般ルートに合流した。 丸太階段をひと登りしたところに道標が立ち、大桁山へは左に進むよう指示していた。 |
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杉林の中をほぼ水平に進んで行くと左のような看板があって、その手前で右折した。 |
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僅か進んだ所に "関東ふれあいの道" の石柱が立ち、その先から断続する丸太階段で杉林の中をうねり登ってゆくようになった。 |
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まもなくあたりが明るくなってきて尾根の背に上がった。 この尾根は大桁山の頂稜で、左折して頂上に向かう。 千平駅から歩き出してから2時間半ほど。 疲れが溜まってきて、急な所を登るのが辛かった。 |
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最後の急な階段を登り上げて頂上広場の一角に出た。 明るい雰囲気の細長い頂上広場で、三角点標石、野外ベンチなどがある。 週日のせいか、ほかに誰もいない。 雲ひとつない快晴で風もなく、最高の休憩を楽しんだ。 |
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裏手真近かに表妙義白雲山が見えた。 昔、あの岩稜はを単独でトレースしたことがある。 石交じりの火山灰が押し固まったような岩で、時どきボコッとホールドが抜けるため、気が抜けなかった。 よくあんな所を独りで平気だったものだと思った。 登ってきた階段の上に立つと正面に御荷鉾山、右手に稲含山から赤久縄山への山並みが連なっていた。 |
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千平駅への下山は登ってきた階段道を下る所から始まった。 階段を下りきった所から左手へ、舗装林道が延びていた。 崩れ落ちてきた土砂でぬかっている所で靴を汚さぬよう注意した以外は至極ノンビリ歩いて川後石峠に着き、南蛇井駅の方から来た道が川後石集落へ乗り越して行く道に合流した。 出口には車止めの鎖が張ってあったが、右手に折れて下り始めるあたりは道幅が広く、かなりの台数の車が停められるようになっていた。 |
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谷の上部をぐるぐる回りこみながら下って行くと右手の歩道に入るよう指示する道標があった。 山腹の歩道をひと下りして谷底を上がってきた車道に降り立った所に大桁やすらぎの森入口を示す標識があった。 公衆トイレがあるようだったが特段の用もなかったので歩き過ぎた。 |
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左手に人家がある所で南蛇井駅の方に行く道が分岐しているのを見送って進んで行くと、右上の杉林の蔭からニョッキリ頭を出している鍬柄岳が見えた。 まわりりの穏やかな風景からかけ離れた雰囲気が漂い、"超自然的なもの" を感じさせる。 鎖を伝わって左の側壁を上がったのだが一体どこを通って稜線に達したのだろうか、と思った。 |
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朝方入って行った登山口を通り過ぎ、谷が開けてくると正面に稲含山が見えてきた。 大きくはないがピンと尖った姿が良く、周辺住民の信仰の対象になって来たのも、尤もだと思った。 |
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小倉の集落を通り過ぎ、駅が近くなった所で後ろを振り返ると、鍬柄岳と大桁山が赤みを帯びた午後の日を浴びていた。 峻険な岩峰と、穏やかな展望峰と、絶妙の組み合わせの、良い山だった。 前回の高松山の帰りの乗り物の中で起きた頚痙に懲りたので、ユックリ歩いて下ったせいで、あと僅かで駅という所で上りの電車が走って行くのを見送ることとなった。 |
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次ぎの登り電車まで30分ほどの待時間があったが、駅の周りにはジュースの自販機さえない。 ホームの待合小屋で時間を過ごすしかなかったが、幸い誰もいなかったのでベンチでお店を広げ、山支度を解いたり飲み食いをしたりした。 夏以来頻繁になった富岡への行き来きの帰路では、毎時13、4分に高崎から出る湘南新宿ラインの快速電車で渋谷に直行するのが慣わしになっているのだが、このときに乗った上信電鉄は、乗り継ぎのタイミングが悪かった。 その代わりに、程よい待ち合わせに出る上野行きがあったのでそれに乗ったら、上野駅には早く着いたものの、そこから地下鉄を乗り継いで家まで帰るのに思わぬ時間が掛かり、かえって遅くなった。 |
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☆おわりに 西上州も、上信駅からのアプローチが短い所なら片道新幹線利用で日帰り山行が可能で、冬の間は、富岡の寒い泊まり場を使わなくても登りに行けることが分かった。 鋤柄岳では何十年ぶりかで岩場で詰まって敗退し、少々悔しかったが歳のせいだから致し方ない。 安全確実に鋤柄岳頂上に到達するには単独でなく、二~三人でパーティを組み、補助ロープくらいは持参する必要がある、と思った。 |
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