![]() 丹沢、ヤビツ峠-大山-日向薬師(2008.6.7) ![]() |
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☆期日/山行形式: 2008年6月7日 日帰り、単独、軽ハイク ☆地形図(2万5千分1): 大山(東京16号-1)、厚木(東京12号-3) ☆まえがき 今年の春はいろいろと問題が多かった。 2月に腸閉塞で入院したあと、リハビリ・トレーニングを行ってゴールデイウイーク明けに伊勢路の初めの部分を3泊4日行程で歩いたところまでは良かったのだが、そのあと始末も早々に、以前から滞っていた頼まれ仕事を片付けようと頑張って疲れ、風邪を引いた。 高熱が出て動けない、と言うほどではなかったのだが、意外に治りずらい風邪で、5下旬一杯の春山のハイシーズンを家に篭ったままで過ごすこととなった。 例年より早まった梅雨が本格化する前にいくらかは山を歩ける身体に戻しておかないと夏山シーズンに満足な山行ができなくなる。 まずは、手近な丹沢でもっとも安直と思われるヤビツ峠-大山-日向薬師のハーフデイ ルートを歩きに行ってみた。 大山は何度も登っておなじみだが、日向薬師へ下ったことはない。 谷底に降りついたところに入浴と食事ができるクアハウス山小屋がある。 |
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![]() 見晴台から見た大山三峰は大峰の大普賢岳を髣髴させた。 |
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山行日は梅雨の晴れ間が来ると予報されていたのだが雲が多く、昼近くから薄日が射すようになったくらいだった。 暑い目に遭わず、日にも焼けずに済んだが展望はもうひとつでパッとしなかった。 大山は大勢が登るポピュラーな山だがルートの手入れが良くて歩きやすく、ルート沿いの新緑も綺麗だった。 あちこちで鳥の啼き声が聞こえた。 ホホトギスが多い時季のようだった。 日向薬師の温泉(?)はぬる目で、ユックリ浸かって疲れを癒すのに良かった。 この谷の中ほどにある石雲寺が大山信仰の元祖だということを知った。 |
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☆行動記録とルートの状況 <タイム記録> 宮崎台[7:02]=中央林間=相模大野[7:40]=[8:10]秦野[8:18]=(神奈中バス)=[9:06-0:10]ヤビツ峠(9:00)-小休止(10:00/05)-大山(10:20/35)-見晴台(11:35/45)-クアハウス山小屋(12:40/入浴・食事/14:05)-(14:40)日向薬師[14:45]=(神奈中バス)=[15:03]伊勢原[15:14]=相模大野=中央林間=[16:31]宮崎台 ◆土曜日が雨でないのは2ヶ月ぶり、と言うことで大勢のハイカーが繰り出し、秦野駅前バス停には長蛇の列ができていた。 ヤビツ峠も、次々に臨時バスが運んくる人で見たこともない賑わいになっていた。 これでは山道は行列かと思ったが、大部分は表尾根の方に行ったようで、大山の登路はパラパラ程度。 意外に静かだった。 |
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曇りでパッとしない空模様だったが道の両側の新緑が綺麗だった。 時々鳥の声が聞こえてきた。 なかでもホトトギスの美声が目立った。 春岳山を越した所から、やや急にひと登りしたところで振り返ると表尾根から主脈方面への視界が広がっていた。 |
![]() 晴れていれば富士が綺麗に見える所なのだが、丹沢の稜線さえ雲の中で、あたり一帯ボンヤリ霞んでいた。 最近剣北方稜線で亡くなったMMLメンバーの追悼山行の日で、何人かが主脈を縦走している筈だった。 峠から1時間歩いた道端にザックをおろして休んだ。 峠から頂上までのあらかたは登りあげたようだが標準タイムで頂上に届なかった。 |
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歩き出して約5分で下社からの道が合流し、その先から石段になった。 長くはないが結構きつい登りだ。 若い母親に連れられてきた小さい女の子が腰ほどもある段々を登るのに苦しんでいた。 やがて霧が去来する中に石造りの鳥居が見えてきた。 |
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鳥居の先で右手に折れるとすぐに頂上の茶店の前に出た。 大山積神社奥の院はその裏手にある。 こじんまりした社殿で、いま少しのあいだ山歩きができるよう、山の神に祈った。 まわりには結構な数の人がいたが、どういうものかみな行儀がよく、静かだった。 社殿の脇に腰を下ろし、少々の飲み物と僅かな食べ物とを口に入れた。 |
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日向薬師への下山ルートの入り口には "不動尻、見晴台" と記した明瞭な道標が立っていた。 やや急な下りを降りて行くと間もなく右膝が痛くなってきた。 この数年なかったので油断し、膝の手入れを怠っていたのは失敗だったが、この期におよんではどうしようもない。 |
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痛みが出ない左足を頼りに下り続けたが、断続する階段を片足で下ったため、ペースが落ちた。 登山道の両側は鹿柵が続いているのだが、よく見ないと分からないくらいうまく作ってある。 大山の肩のあたりは新緑が綺麗だった。 |
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肩から僅か下ったところに不動尻へのルートの分岐があった。 不動尻から弥太郎谷経て煤ヶ谷に出る長いルートも、いつか歩こうと思った。 頂上から45分歩いた所で展望が開けた所についた。 見晴台かと思ったがそうではなく、下の尾根の上に広場と東屋が見えた。 やや急な斜面を右斜めに下降したあと、左に折り返して尾根に戻ると大山神社下社から登ってきた道が見えてきた。 |
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ごく浅い鞍部から僅かに登って行くと野外テーブルが並ぶ大きな広場があり、奥の方に東屋がたっていた。 大分足を痛めつけられていたので、空いているテーブルで長目の休憩をした。 大山頂上部には霧がかかっていたが右の方には三峰の険阻な姿が見えた。(ページトップの写真) 大峰の大普賢岳のミニ版だなぁ、と思った。 |
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見晴台から先は暫く穏やかな稜線漫歩が続いた。 右手の谷越しに下社の社殿が見えた。 大勢の人が境内を歩いている。 石地蔵の立つところから左手に下ってゆくと九十九曲になる。 おもに左足で下って行くうちに右膝の痛みは治まったが、左足は大いに疲れた。 |
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右足もいくらかは使うようにして下り続けていると林道に出た。 車道を横切った所からさらにひと下りで伊勢原市の施設裏手に着き、沢を渡るとすぐに日向薬師の林道だった。 出口に食塩らしいものが入った大きなガラス瓶が置かれていた。 なにかと思ったら出口の脇の木に "山蛭に注意" と記した看板が掛けてあった。 |
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クアハウス山小屋は小奇麗な浴場兼軽食堂だった。 普通の水湯のようだったが、谷川を見下ろしながらぬる目の湯にユックリ浸かり、汗と疲れを流した。 風呂から上がったあと食べた蕎麦が美味しかった。 足は過労気味だったが時間が短かかったので胃腸にダメージが及ぶまでとはならなかった。 ゆっくり食休みをしていると、前の道を山から下りてきた人が次々に歩いて行くのが見えた。 |
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日向薬師バス停までゆっくり歩いて30分と計算し、程よい時間に山小屋を出た。 すぐ下手の道端に、浄発願寺旧本堂跡と刻んだ石柱が立っていた。 そのもう少し先に、"雨降山"、"石雲寺" 刻んだ門柱のたつ山寺があった。 もともと、この寺が大山山岳信仰の基だったのが、江戸時代に表側の大山積神社との勢力争いがあって本堂を焼かれた、と記した立て札があった。 |
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石雲寺の上手と下手には鱒釣り場があり、大勢の家族連れが遊びに来ていた。 谷が開けてきたところに現代の浄発願寺があった。 不動尻の山並みをバックに立派な三重塔が立ち、美しい寺だった。 |
寺を過ぎると間もなく家並みが見えてきた。 集落の中のT字路の右角がバスの発着場だった。 朝は満員のバスに立ちん坊だったが、ここからの乗客は10人足らず。 ゆったり座って伊勢原駅に戻った。 伊勢原には大正元年創業という老舗の煎餅屋がある。 バス停脇の小屋でそこの煎餅をふた袋買って家への土産にした。 小麦粉で作った生姜味と味噌味の煎餅で、昔の駄菓子の味がした。 |
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☆おわりに 風邪で熱が出ると足腰の筋肉にダメージを与えることは、これまでの経験で分かっていたので、かなり内輪のショートコースを選んだのだが、足腰の劣化は予想以上だった。 登りでのタイムオーバーは勿論、下りはじめると間もなく右膝が痛み出したのは計算外だった。 膝の痛みはここ数年影を潜め、卒業できたかと油断していた。 また悪い癖がぶり返さぬよう養生しなければならない。 右膝を庇いながら山を下ったため、左足に負担が掛かりすぎ、山行翌日からは左足の筋肉痛が酷くなった。 家の階段を下るのも辛いほどとなったが、筋肉痛は筋肉の再編成が行われている証拠でもあるのだから、良い知らせと思うことにした。 |
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