玉原高原、鹿俣山 (2006.08.04) |
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☆期日/山行形式: 2006年8月4日 単独日帰り ☆地形図(2万5千分1): 藤原(日光16号-3)、後閑(日光16号-4) ☆まえがき 梅雨明けの遅れと郷里の老父の入院騒ぎとで山行間隔が開き、またまた足腰を錆付かせた。 年初の計画では、今どき、後立山の縦走路を辿りながら若き日を偲んでいる筈だったのだが、そんな事はトテモトテモという体調になってしまった。 見栄を張っても苦しく身体を傷めるだけで楽しくない。 とりあえずは、玉原高原の鹿股山に行って錆落しをすることにした。 かねてより気に掛かっていた山だったし、尾根続きの武尊岳は、大昔の残雪期に縦走したとき、湿雪ラッセルで両足がブヨブヨになった思い出のある山で、これもミニ版ながら追憶山行のひとつだった。 |
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鹿俣山頂上の展望、遠くの山は左から赤城山、小持山、榛名山 (クリックで拡大します) |
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☆行動記録とルートの状況 <タイム記録> 宮崎台[5:54]=表参道=上野[7:20]=(水上1号)=[9:25]沼田[9:35]=(7/15-8/15 関越交通ラベンダー号バス 往復\2000)=[10:25]玉原高原センターハウス手前広場-センターハウス(10:30/45)-湿原最奥休憩台(10:55/11:10)-玉原越、ぶな平道標の立つ稜線(11:20)-1302.5m三角点峰(11:45)-水源ルート分岐点(11:50)-ブナ平(12:00/10)-スキー場頂上分岐点(13:00/10)-下降路分岐点(13:25)-鹿俣山(13:35/45)-下降路分岐点(13:50)-石楠花群生地(14:00)-スキー場入口(14:15)-ラベンダー畑(14:20/30)-(14:50)リゾートセンター[15:10+10]=(関越交通バス)=[16:00+10]沼田[16:55]=(水上8号)=[18:36]大宮=渋谷=[20:03]宮崎台 |
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◆ 車を使わず玉原高原に出入するルートとしては、藤原から玉原越え、あるいは迦葉山から尾根伝いのふたつがあるが行き帰りに掛かる時間を考えると日帰りは少々厳しい。 はじめ、ほかの山と組み合わせて1泊2日の計画を立てていたのだが、7月中旬から8月中旬のラベンダーの花期に合わせて沼田駅から運行される臨時バスが上野駅から出る特急水上1号に接続して便利が良い事が分かったので、日帰りに変更した。 久し振りに沼田に行ったら駅前広場が綺麗に整備されてすっかり様変わりし、バス乗り場もわかりやすくなっていた。 尾瀬方面の乗り場にも数人いたが玉原方面には20人を越す行列ができていた。 団体観光用を転用した大形バスがほぼ満席になって発車。 |
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果樹園の多い台地を走って迦葉山入口を過ぎると谷間に分け入る。 さらに谷奥の斜面で大きくUターンを繰り返して高度を上げ、ダムの横手に上がった。 樹間にダム湖の水面を見下ろしてひと走りしてラベンダー花畑入口のリゾートセンター前に着いた。 乗客の殆んどはここで降りてゆき、湿原と山への入口になるセンターハウス近くの終点まで乗って行ったのは僅か数人だった。 バス停から200m ほど先にセンターハウスがある。 トイレを使い、簡単な支度をして湿原に向った。 湿原入口まで300m ほど舗装車道を歩く。 マイカーで玉原高原に来て湿原まで足を延ばす人は結構いるようで、三々五々人が歩いている。 |
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看板の脇から遊歩道に入り、坂を下って沢沿いを行くとまわりが開けて湿原に出た。 なだらかな稜線に囲まれた緩傾斜地で、小尾瀬とも言われているようだが、やや藪っぽくて高茎植物が優越している所は駒止湿原の上谷地に似通っている。 |
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花の盛りには少々遅すぎたようで一部でキンコウカの群落を見た以外は期待外れだったが梅雨明けの青空をバックに咲くクルマユリが綺麗だった。 爽やかな山の風に当りながら木道を歩いて奥まった所にある休憩台の野外ベンチで休憩した。 |
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足拵えを整えて歩き出すとすぐ林に入る。 まもなく旧朝日の森ロッジへの道を分けた。 木道を外れて右手の山に向う道に入ると谷窪に沿った緩やかな登りになった。 しばらく進んだ所で左手の小尾根に上がるとすぐに沼田市と水上町の境界の稜線に乗った。 2基の道標が立ち、玉原越、尼ヶ禿山方面へとブナ平、鹿俣山方面へのルートの分岐を示している。 |
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右に折れてブナ平方面に向うとすぐに濃密な濶葉樹林に入った。 視界はないが陽射しが遮られ、風が涼しい。 時折鳥が啼き交わす声が聞こえ、左手の樹間に利根川源流地帯の山並みがチラリと見えた。 緩やかに登っていった先でやや急になった所に丸太階段があり、そこを登り切ると標高1302.5m の長沢三角点峰に着いた。 狭い笹の切り開きに三角点標石と山名標柱があるだけで捗々しい日陰もない。 チョッと立ち止まっただけで歩き過ぎた。 |
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僅か下って行った所に水源ルート遊歩道の分岐があり、そこから先は緩やかな登りにかわる。 ブナ平は、広大な台地上の地形に大木が林立している。 関東一円では最大のブナ林だといわれている。 飯豊、杁差岳の西俣川・大熊尾根ルートのブナ林や南会津、志津倉山下降路細ヒドコースのブナ林を連想した。 |
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湿原・センターハウスに通じる遊歩道の分岐を過ぎると間もなく樹木が疎らになった。 あたりが明るくなるのは良いが熊笹の間は風通しが悪くて暑苦しい。 まわりの様子がスキー場っぽくなり、所どころで草原に出るようになった。 視界が開け、下の方に玉原湖とその向こう側に連なる尼ヶ禿山の稜線が見える。 |
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特段の大登があった訳ではないが、錆着いていた膝まわりや向こう脛あたりの筋肉が軋んで来た。 リフトの下を潜っていった所に道標の立つ木陰があったのでザックを下ろして休憩した。 運動不足でふやけた身体から大量の汗が出ていたが草原を吹き上げてくる爽やかな風が気持ち良かった。 |
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歩いて来た方を見ると谷川連峰が高く連なっていた。 谷筋には白い残雪があり、越後側から吹き上げる風で稜線に霧が湧いている。 上の林の中から10人近くの子供達が出てきて、少し先の草原に車座になった。 グループで鹿俣山に登ってきたらしい。 |
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かなり疲れたがもうひと頑張りだからと自分に言い聞かせて立ち上がり、ザックを背負いあげて鹿俣山に向った。 子供達は近在の中学生らしく、みな元気一杯で "コンニチハ" と挨拶した。 こちらは登りなのでエネルギーを節約、2、3人づつまとめて挨拶を返した。 はるか昔、中学生だった頃、夏休みになると、仲間と連れ立って赤城や尾瀬に出かけたのを思い出した。 分岐点の指導標には鹿俣山まで600m 20分と記されていたが錆付き老体にはなかなかきつい登りだった。 急斜面のジグザグ登りから境界稜線に上がり、少ピークを越した所に下降路分岐がある。 そこから頂上下の南面を斜上し、10分近く掛かって漸く山名標柱が立つ切り開きに着いた。 向う脛の筋肉が頚痙しかかったのは過熱のせいのように思ったのでスパッツを脱いだ。 |
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北から東の方向は樹木と熊笹で視界が妨げられていたが、東から南にかけては展望が得られた。 左手は尾根続きの武尊岳で、その一番手前のピーク、獅子ヶ鼻山の岩峰が真近かだった。 南方には冒頭パノラマ合成写真の様に、広大な展望が開け、赤城山、子持山、榛名山などが関東平野を背にして立ち並んでいた。 この頂上は笹に囲まれて風が通らず、日が照り付けて暑いので長休みをする気になれなかった。 水分を補給しながら向う脛をマッサージし、写真を撮ったあと早々に下山を始めた。 |
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下山路分岐点から数回のジグザグで高度を下げ、森の中に入ると暑熱から逃れることができた。 石楠花群生地になっている少ピークを越し、さらにもうひと下りするとスキー場の縁だった。 すぐ下にラベンダーのお花畑とレストハウス、先の方に尼ヶ禿山が見えた。 リフト沿いにゆるゆる歩いてラベンダー畑のすぐ上まで下り、涼しい木陰にザックを下ろした。 ラベンダーは丁度花盛りで大勢の観光客が見に来ていた。 花の上に谷川連峰が連なっていた。 頻繁に通った山なみだったが最後に歩いてから何年経っただろうか? |
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ラベンダーの青紫の花は遠くから見ると絨毯のようで綺麗に見えるが、近くで見ると疎らであまり綺麗ではない。 上はダマシのテクニックの産物である。 登りでは大分疲れたが下りはスローペースで歩き、最後にユックリ休んだお蔭で疲れが取れた。 そろそろバスの時間も近づいたので腰を上げた。 花見客で賑やかなスキー場の中をブラブラ歩きながら後を振り返るとさっきまで歩いていた稜線がなだらかな曲線を描いていた。 |
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夏山リフトの横の遊歩道をブラブラ歩いてリゾートセンター近くまで下ると、水飲み場があった。 喉を潤したあと、顔や腕の汗を濯ぎ、濡れタオルを作った。 |
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☆おわりに 距離が中途半端で交通不便のため行きそびれていた玉原高原だったが丁度よい機会が得られて訪れることができた。 山上のなだらかな地形に観光施設が整備され、無雪期にも楽しめるリゾート地として賑わっていたが湿原は割と静か、山中はさらに人気が少なく、静かな山歩きができた。 紅葉の季節に玉原越から迦葉山への尾根を辿ってみるのも一興かと思った。 錆付いた足腰への注油もいくらかはできたが、大きい山行にはまだ心許ない。 もう一度、ミニ山行をして体調・体力をチェックした上で夏のメイン山行をどうするか判断したい。 |
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