![]() 柏原新道-爺ヶ岳-鹿島槍-赤岩尾根[1] (2006.9.28-30) ![]() |
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☆期日/山行形式: 2006年9月28日−30日 営業小屋利用2泊3日 ☆地形図(2万5千分1): 十字峡(高山5号-1)、黒部湖(高山5号-2)、神城(高山1号-3)、 大町(高山1号-4) ☆まえがき 夏山行のメインに予定していた後立山縦走に家の事情で行き損ねてしまったのがどうも気に掛かる。 白馬から後立山全山縦走を目指したものの針の木まで行き着けず、種池でポシャッて終わった駆け出し時代の大バテ事件。 痛快な記憶が残っている残雪期の鹿島槍東尾根と天狗尾根。 食べ盛りの腹を壊してしまうほど美味しかった鹿島部落、狩野さんちのオバァちゃん手打ちの蕎麦。 思い出が一杯詰まっている爺ヶ岳から鹿島槍だけでも早いとこ登ってしまいたいと、秋の長雨の隙間を狙う短期決戦プランを組み立てた。 扇沢(1360)から歩き出す時間をできるだけ早くするため、長野新幹線を利用し、長野駅から出ている扇沢行き高速バスでアプローチすることにした。 これなら歩き出しが午前11時過ぎ、柏原新道の標準タイムが約4時間だから、年寄りでも程よい時間に種池山荘(2455)に登りつけそうだ。 久し振りの1100m あまりの大登りのあと、2400m 台の高所に泊まって体調がどうなるか、慢性貧血の不安はあるが、特に不調とならなければ、爺ヶ岳(2669.8)、冷池小屋(2430)、布引山(2683)と尾根を伝わって鹿島槍南峰(2889.1)に登頂。 状況が良ったら、さらに北峰(2842)へもピストンしたあと、冷池小屋(2430)に戻って宿泊。 三日目は昔、定番の鼻歌下山ルートだった赤岩尾根を、冷池乗越(2445)から下って大谷原(1080)へ。 タクシーに乗って半世紀振りの鹿島の村の様子を見ながら大町温泉郷(825)に出て入浴。 大町駅から大糸・中央線経由で帰る、という計画だった。 青春時代にお世話になった山々の筆頭格のひとつに登って昔を偲び、お別れの挨拶をして来ようという主旨の山行である。 |
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爺ヶ岳頂上の展望、右から針ノ木岳、蓮華岳、遠く槍ヶ岳、表銀座連峰 (クリックすると拡大します) |
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☆行動記録とルートの状況 9月28日 <タイム記録> 宮崎台[6:25]=大手町=東京[7:28]=(アサマ#505)=[8:53]長野[9:30]=(東口5番乗場 川中島特急バス \2300)=[11:15-10]扇沢(11:10)-登山口(11:25/35)-八ッ見ベンチ(12:25/30)-ケルン(12:55/13:00)-推定2000m 超(13:30/50)-推定2100m(13:50/14:00)-2218標高点付近(15:05/10)-ガレ場手前(15:33/36)-(16:10)種池山荘 ☆扇沢は "北" では最もアプローチが便利な所のひとつだが、交通機関が基本的に黒部観光用に運行されているため、夏山の盛期が終わると山屋にとっては意外に不便な状態となる。 早く歩けなくなっている年寄りは、ウッカリすると秋の日が暮れる前に種池まで登りつけないおそれがある。 長野新幹線と長野駅から出ている高速バスを利用して歩き出しの時間を早めることにした。 交通費が幾分嵩むが、差額をジパングクラブの割引で埋め合わせれば辻褄は合う。 長野駅では30分あまりの待ち合わせ時間があった。 車中で食べる握り飯などを調達しあと東口のバス乗り場をブラブラしているうちに、扇沢だけでなく白馬乗鞍行きのバスも出ている事を知った。 "北" の北部へのアプローチでは、長野経由ルートが意外に利用価値があるかもしれない。 バスの乗客の大部分は黒部観光客で数人がビジネス客、"山屋" はひとりだけだった。 長野の町から出外れると犀川谷を遡った。 低い峠を越して美麻に出るともう大町市内になる。 長野から約1時間で大町駅に着いた。 大町駅から先は、通い慣れたルートで、川向こうの大町温泉郷から篭川谷に入り、約40分で扇沢に着いた。 |
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扇沢ターミナルでトイレを使い、飲み水を汲んで柏原新道入口に向った。 車道を歩いてゆくと尾根の高い所に道が見え、鉄橋の上からは稜線上の小屋も見えた。 1150m ほどもの高度差を登るのは久し振りだ。 どうにかしてバテずに小屋まで辿り着きたい。 登山口付近には全部で4、50台もの車が停めてあった。 久し振りの好天に合わせて大勢が入山したようだ。 小屋の混雑が気に掛かる。 |
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登山口のベンチで支度を整えしてルートに入った。 50年程前に下ったことのある道だ。 まだ正式ルートになっていなくて踏跡に毛が生えた程度のか細い道だった。 篭川谷の道路も砂利道で黒部ダム工事のダンプしか走っていなかった。 乗せてもらった車の運転台に雪渓から取ってきた大きな雪塊が置いてあった。 その後、アルペンルートの整備に伴って利用者が急増し、ルートの整備が進んだ。 幅広で丁寧に整備され、要所に石が敷き詰められた道は、非常に歩きやすくなっている。 一見険しそうな "北" だが、一般ルートはどこもルート整備が行き届いており、その辺の無名ルートよりずっと楽に歩ける。 |
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もみじ坂の尾根は相当急だが、葛篭折れに丁寧に刻まれた道によって傾斜が緩和され、苦しまずに高度を上げてゆくことができた。 しばらく登った所で尾根の東側に出入りするあたりには石楠花の群落があった。 右下はバスできた篭川谷で、その先に安曇野が見えていた。 |
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またしばらく登った所に "八ッ見ベンチ" と記した看板があった。 "八ッ" とは多分八ヶ岳だろうと思ったのでそちらの方角を見たが雲しか見えなかった。 左下には扇沢の駐車場と建物が見えた。 |
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"八ッ見ベンチ" から大きなジグザグを登ってケルンに着いた。 もみじ坂の急登はここまでで終わる。 ケルンの先は赤い露岩に刻まれたバンド状のトラバースになっている。(左) 崩れやすい地形のせいか樹木が育たず、まわりが良く見える。 車道から見えたのは、多分この部分ではなかっただろうか? |
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また2度ばかり大きなジグザグを描いて高度を上げると尾根の左斜面を緩やかに巻き上げて行くようになる。 まわりに葉が色付いた樹木が増えてきた。 ほとんど平坦な道が続く所には、"水平道" と記したプレートがあった。(左) 左上に稜線が近づき、小屋が大分大きくなった。 |
![]() 平らな石を並べた三ッ石ベンチを過ぎると沢溝を渡り、間もなくガレ場のトラバースに掛かる。 昨冬の大雪で木が倒れて斜面が不安定になっているので一息入れたあと注意しながら一気に通過するよう記した看板があった。 心配したほどバテる前にあとひと息で稜線と言う所まで登ってこられたのは良かったが流石に足の筋肉が文句を言い出した。 通常50分の休憩間隔で歩くのだが、ここからは30分ピッチにした。 |
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ガレ場の先の尾根の裏側に回りこんで行くと石畳のジグザグ道になった。 稜線が真近かに到達したと思ったが霧の中に入ったため判然としない。 森林限界を抜けると両側が草紅葉になっていた。 |
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思う様に動かなくなってきた両脚を励ましながら進んで行くと突然、小屋の輪郭がボンヤリと霧の中に浮かび上がった。 想像していた通り、小屋には大勢の人がいて内部は賑やかだった。 "北" の小屋の常で、客あしらいが上手で、手際よく二階の大部屋に案内された。 関西から来た30人あまりの大パーティも含み、全部で7,80人ほどが泊まったようだったが、小屋は収容能力十分で、男用の大部屋では二人用布団に一人づつ寝る程度だった。 |
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寝床の右隣は浦和から来た大昔の元左翼学生。 左隣は昨日山に上がり、今日鹿島槍に行って来た松戸の在の人だった。 身体が冷えてくると高度の影響で手足の先が冷えたり軽い頭痛が起きたり、足の筋肉が頚痙しかかったり、色々と大変だったが乾いた着物に着替え、バッファリンや芍薬甘草湯を服んで何とかしのいだ。 夕食は下界の民宿なみと言って良いくらいオカズの品数が多かった。 久し振りの大登りで食欲が湧かず、僅かしか食べられなかった。 小屋のエンジン発電機が不調になり、停電が頻発する状態になった。 眠り薬を飲んで寝床に入り、ラジオを聞いていたらすぐに寝込んでしまった。 |
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