柏原新道-爺ヶ岳-鹿島槍-赤岩尾根[3] (2006.9.28-30)


月29日

<タイム記録>
    冷池小屋(6:35)-冷乗越(6:45/50)-小平地(7:15/20)-高千穂平(7:45/55)-小休止1600m 付近(8:50/55)-西沢出合(9:30/50)-取入口のある堰堤(10:30/35)-(10:45)大谷原[10:55]=(Taxi \3520)=[11:05]大町温泉郷[12:46]=[13:05]信濃大町駅[14:00]=(アズサ#24)=[17:01]八王子=長津田=宮崎台


二日の "山暮ら" しで体内時計が山モードに切り替わり、夜明けとともに目が覚めた。
明け方の冷え込みは厳しかった筈だが、種池のように隙間風が入って来なかったせいか、毛布が一枚少なかったのに寒さを感じなかった。
周りの人はまで寝ていたので迷惑にならぬようそっと起き出し、コーヒに必要な物を持って自炊室に降りた。
種池小屋ではインスタントのコーヒを買ってテルモスに詰めたがまるで美味くなかった。
自炊室は玄関ホールの横の小部屋でテーブルが2脚あるだけだったがまだ2、3人がガスストーブを焚き始めたばかりだった。
冷池山荘から望む鹿島槍東尾根    (リックすると拡大します)


  決まりの給水、1リッターの半分を沸かしてレギュラーコーヒをドリップで淹れ始めたら、その匂いを嗅いだ隣の女性二人組の片方が出て行き、ロビーでコーヒを買ってきた。
もう一人も立ち上がって買いに行こうとしたのでそれは止め、淹れ掛けのコーヒを分けてあげた。
コーヒ粉は前日使わなかったせいで余るほどあった。
残りの粉を継ぎ足してテルモスを一杯にし、余った分を飲みながら二人組と話した。

  女部屋だったが隣で大鼾をかかれ、ほとんど寝られなかったと言う。
大鼾は男の専売特許ではないことを知ったが、考えてみれば当然のことだ。
話している所へ種池の食堂で隣の席にいた中年女性が来た。
何でも病み上がりだそうで、昨日も鹿島槍に行くかどうか躊躇っているのを見かけた。
結局、登らなかったと言う。

コーヒを飲みおわり、朝食の時間も近づいたので部屋に戻った
皆起きてザックをまとめていた。
朝食も美味しく綺麗に平らげた。
部屋に戻ってパッキングをしたが下山後の入浴に備えた詰め替えに手間が掛かった。

  昨日と同様、殆どが出かけて小屋の中が静かになってきた時期にようやく玄関に下りた。
小屋の前の展望台地に上がってみると東尾根が正面だった。


   会社の "隠れ山岳会" メンバーだったS君とその友達のE君と3人で登った尾根だ。
多分、5月の連休だったと思う。
上部に急峻な痩せ尾根があって一瞬どうしようかと思ったが、取り付いてみたら意外に簡単で、アッサリ登りきった記憶がある。

東尾根下部の先の雲間に戸隠高妻、妙高などが見えた。
  小屋の玄関先から鞍部に下り、ジグザグに登り返して冷乗越に上がった。
昔は後立山で最もポピュラーな登降ルートのひとつで、東尾根の時と天狗尾根の時と、少なくとも2回は下降している筈なのだがルートの記憶はほとんどない。

  布引山を前衛に従えた鹿島槍の格好がよい。
(下左)。

  道標の脇から左に山腹をトラバースして行くと鎖の付いたバンド状の斜降下になった。
その下にも二、三箇所、手放しでは歩けない岩場の下りがある。

(リックすると拡大します)
   手掛り、足場はシッカリしているものの、雪が着いていたら結構苦労しただろうにと思うのにサッパリ記憶がない。

  ひと下りで穏やかな尾根に乗り、やがて小平地に降り着いた。
稜線から尾根の上部で冷風を防ぐために着込んでいた上着が暑くなったのでザックに仕舞い込んだ。

  すぐ前を歩いていた男女が立ち止まり、なにやら書き物をしている。
スケッチかと思って聞いたらそうではなく、国の地図作りの仕事だと言う。
では、お役人さんですか?と聞いてみたら、いいえボランティアみたいなものですという返事だった。

  降りてきた難場のことを話すと、雪が着いている時の方が歩きやすい筈ですよと言う返事で納得した。

  少し先に樹木が切れた所があった。
今降りてきた尾根を振り返ると、2486m 峰が所々にナナカマドの紅をちりばめて綺麗だった。
  高千穂平が近づいてきた。
東尾根の下部が良く見える。
ずいぶん長い尾根だ。

  あれを登って鹿島槍北峰の頂上に達したあと、南峰と布引山を経て、この尾根を下降する大仕事を一日でやってしまった昔の自分に感心した。

  日本海に低気圧が発生したようだが、至って穏やかな秋晴れになっている。
上昇気流が出始めたようで、安曇野の上空を覆っていた雲海の所々が破れてきた。

いい山にいい調子で登っていい気分だ。

  高千穂平の頂上は露岩だった。
昔、鹿島槍積雪期登山のパイオニアワークをやった高千穂高校山岳部が根拠地にしたため、この名がついたと憶えている。

  地図調査の二人から距離が開いて、あたりに人気がなくなった。
暑くも寒くもなく、爽やかな微風で穏やかな日が当って気持ちが良い。
ノンビリ長休みを楽しんだ。


(リックすると拡大します)

  高千穂平から先は樹林帯の中の急降下になる。
ひと下りした所で東尾根上半部が真近かに見える所があった。
登攀終了点直下の急峻な岩稜に続く尾根のプロファイルが良く分かる。

  あの時はさして苦労もせずに登ったのに今日は赤岩尾根の下降で結構シゴかれている。
歳による衰えは明瞭で、現実の厳しさを謙虚に受け止めざるを得ない。


  樹木の間の急降下を続けているとまた視界が開けた。
大分霧が出ていて、頂上がその上に僅か頭を出していた。












  尾根の下半分は "普通の登山道" になる。
大部分は左のようにただ歩けるが、所々に右下のような木製階段がある。
作りは丁寧だがステップが狭くて下り難かった。



  次第に樹木が濃密になるとともに地形が険しくなったが、間もなく下の方に谷底が見えてきて元気付けられた。

  急な葛篭折れの角に "登山口へ15分" と記したコースサインを見て左折し、高度を下げて行くと西俣沢が見えてきた。

  西俣では工事が行われていた。
トンネル堰堤の中ではなく、その下手に架けられた仮橋を渡るよう誘導された。

  橋を渡った所にプレファブの休憩所、工事事務所と仮設トイレがあった。
険しい山道が終わった事にホッとして休憩。

  林檎を3/4食べたがどうも腹が重苦しい。
トイレに入ってみたが何も出てこなかった。
壊れたと言うわけではなさそうだが、久し振りに高山に登った疲れのせいか、歩きに集中した結果、血流が足腰に集中して消化器官が貧血になったのか?


  大谷原まで一時間足らずの林道は車が走って来ないため、クールダウンを兼ねたノンビリ散策になった。
山上は晩秋だったが谷底にはまだ夏の香りが残っている。

取水口のある堰堤の脇で小休止したあと、僅か歩くと車止めが見えてきた。


  車止めの脇をすり抜けるとすぐに橋があり、袂の駐車場には車が7台止めてあった。
橋の上から歩いてきた谷を眺めると湧き上がる雲の間に鹿島槍らしい山影がかすかに見えていた。

  橋を渡った所は小園地になっていて、1台のバイクと3,4台の車が止めてあった。

タクシーの予約時間まで20分ほどあったので少し飲み食いしようかと園地の石の上にザックを下ろした途端タクシーが来た。
開けかけたザックを慌てて仕舞い、大町温泉郷に向った。
鹿島部落の周りは広い蕎麦畑になっていた。
ソバ名人の狩野さんちのオバアちゃんが打って茹でたあと、庭先を流れる雪解け水で冷した半透明のソバを思い出した。


 大町温泉郷は泊り客が減って経営が大変だと言う。
車の個人客は泊まってくれないし、バスの団体客は他所に泊まってしまうのだそうだ。

  バス停近くの薬師の湯に入った。
浴場の入口で三重の御仁と出遭い、ビックリした。

  種池から下山したあと、扇沢に行ってみたのだが駐車料が高いのでそこに停まらずにここに来たと言う。
良い温泉だった。
ユックリ身体を解し、汗と垢を洗い落として外に出た。
バス停から大町行きバスが走り去るのが見えた。
次の便まで30分以上時間があるので角の蕎麦屋に入った。
シンプルなザル蕎麦だが舌触りと味は飛び切りだった。
狩野さんちのオバアちゃん直伝かも知れないと思った。

  大町駅でも1時間ほどの待ち時間があった。
駅前の売店で車中で食べる焼餅と土産のみすず飴とを買った。

  アズサは信濃森上始発だったが時間が早いせいかガラガラに空いていた。
良さそうな席に座り、コーヒーや水を飲みながら山を眺めたが、雲が多すぎてどれが何岳だか判然としなかった。


ページ先頭


☆おわりに
    秋晴れに恵まれて、思い出多い扇沢-種池-爺ヶ岳-鹿島槍-赤岩尾根ルートを楽しく歩くことができた。
久し振りの "北" の山岳展望が綺麗だった。
事務的で情緒にはやや欠けるものの、良く整備された山小屋の泊まりは快適だった。

  大登りと高所の宿泊が体調におよぼす影響が心配だったが、意外に軽微で殆んど障害にならなかった。
ルートを上手に選べば、まだ暫くは "アルプス山行" を楽しめるのではないかと思った。