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☆期日/(天気)/山行形式: 2021年12月28日(晴)/2022年1月5日(晴) 単独日帰り2回
☆地形図
1/25,000: 戸塚(東京8号-4)、 鎌倉(横須賀5号-3)
1/10,000: 大船(東京8-4-4)、鎌倉(横須賀5-3-3-4)
☆まえがき
年末の運動不足を埋め合わすウオーキングと、新年の初詣を兼ねた遠足と、六国見山に二度の山行を行ったところ、ふたつの無名の切り通しと出遭いました。
鎌倉七口として知られている朝夷奈切通や名越切通のように、尾根を掘り切って軍事都市の防衛装置にしたものではなく、谷戸と高台上の緩傾斜地とを繋ぐ小尾根の背を溝状に掘り下げることによって傾斜を均し、路面を平坦にするのとあわせ、風雨にさらされることなく通行できるようにした生活道路のようでした。
今でも地元住民が日常的に利用している "現役古道" です。
三等三角点のある六国見山の頂上は、藪の間をすり抜けてゆく山道の脇に山名板が置かれているだけでまわりの展望もえられず、まったく面白くない所でしたがその北西300m
ほどの尾根の背にある富士塚に設置された展望台では富士山、丹沢、箱根、相模湾、伊豆半島、大島などが一望で、広大な展望が得られました。
展望台の背後からは、横浜市街地も見られ、周囲の山林は六国見山森林公園として綺麗に整備されていて、近所の住民や飼い犬達にも親しまれている様でした。
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六国見山展望台の眺め (画像をクリックすると拡大スクロール)
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☆ルートの概要
ルートマップを拡大表示
★ルート線は携帯端末内蔵 GPSで記録した実際の行動軌跡です。
主なマーカは、クリックするとその地点で撮った写真の縮小画像を表示できます。
ほとんどのポイントマーカーは現地で位置を確認し、補正してありますが GPS 自体のエラーは排除できません。
ルートマップ復元用 kml
★何らかの原因によって上の Google Map へアクセスできなくなったときは、このリンクから kml ファイル(ZIP書庫)をダウンロードし、ご自分用に作成した空白
MyMap に読み込めば復元することができます。 |
☆12月28日(晴): 常楽寺-長窪切通-六国見山-円覚寺-北鎌倉駅
この前の秋、大人の休日クラブの浄智寺と円覚寺を拝観するツアーにさんかしたとき、円覚寺の境内が収まっている谷戸は六国見山南西面の谷であることに気が着きました。
鎌倉・逗子あたりの山は手近なウオーキング・フィールドとして何度も訪ね、あらかたはカバーしていると思っていたのに六国見山は、鎌倉アルプスのメインルートから外れたところにあるためか、山の名はお馴染みなのに登りに行ったことがありません。
今回はまず手始めとして、ごく一般的な常楽寺から長窪切通し、展望台を経て登頂するが、下山路では僅かなバリエーションとして、円覚寺鎮守弁天堂脇の洪鐘へ下降する、非正規ルートを試してみました。
☆行動時間
宮崎台[9:11]=溝の口=[9:32]武蔵小杉[9:40]=(湘南新宿ライン国府津行)=[10:12]大船/東口交通広場5番乗場[10:28]=(江ノ電バス
鎌倉湖循環)=[10:32]常楽寺バス停(10:39)-常楽寺(10:42/11:06)-甘粕屋敷(11:20)-長窪切通(11:28/32)-六国見山森林公園入口(11:53/12:05)-富士塚利用展望台(12:14/30)-稚児の墓(12:32)-展望鞍部(12:28)-六国見山(12:40/42)-明月院ルート分岐(12:50)-円覚寺・長窪分岐(12:55)-北鎌倉駅・円覚寺分岐(13:09)-鎮守弁天堂(13:10/16)-円覚寺山門(13:23)-仏殿(13:25)-円覚寺総門(13:28)-(13:30)北鎌倉駅[13:41]=(湘南新宿ライン宇都宮行)=[14:15]武蔵小杉[14:30]=溝の口=[14:52]宮崎台
☆ルートの概況
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JR大船駅の東口交通広場バスターミナル(モノレール駅の下) の 5番乗り場から毎時6便あまり出ている鎌倉湖循環または鎌倉駅行に乗ったところ、4分あまりで常楽寺前に着きました。
バスを降りて 50m ほど駅の方向に戻ると常楽寺参道の入口で、黒松の脇に左のような道標が立っていました。
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参道の奥にある山門は柵で遮られていて右横の脇戸を通って境内に入るようになっていました。
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北条泰時ゆかりの古刹の本堂はこぢんまりした造りですが山を背にした端正な姿が良い感じです。
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(画像をクリックすると拡大)
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お堂の中では作務衣の住職がで年末の掃除をしていました。
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山門の前まで戻って境内左脇の生け垣に沿う小道を進み、最奥の人家の角を左折して山道を折れ登ると石祠があって、姫宮の墓と記した立て札が立っています。
姫宮とは、北条泰時の長女大姫とのことです。
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山道を登ったところにある台地に木曽義高の墓があるというので右手の墓地の中を探し回って見ましたが要領を得ず、墓地の中を行ったり来たりして時間を費やしたただけで終わりました。
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墓地の横手の住宅の間を通って切通し状の車道に降り、緩く坂を下ってゆくとバス停近くの十字路に着きました。
ここにも常楽寺入口と同じような道標が立ってます。
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道標に従って左折。 少し先でT字路に突き当たった所を所を右折。 すぐ先で左折してゆくと甘粕屋敷の門前に出ました。
白壁が綺麗な屋敷門を左手に見て進んでゆくとT字路に突き当たり、手前側の角に、高野経由と長窪経由と、六国見山へのふたつのルートの分岐点であることを示す標柱が立っていました。
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左折して長窪ルートへ進み、パットしない感じの高野公園の右脇を通り過ぎると左の写真のような分かれ道に着きました。
スマフォの GPS アプリで地図を参照すると、長窪切通はこのすぐ先にある筈です。
たまたま、右手の人家の脇の道から人が出てきたので通ってきた道の様子を尋ねてみたら "切り通しになってますよ" と、事も無げな返事でした。
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右側の道に上がり、人家の門前を通り過ぎると塀の向こうから始まっている切通しが見えました。
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左は分け入ってすぐのところから見た前途です。
幅2m あまり、、壁の高さは左が 2m、右が 3m ほどで長い廊下状になっています。
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中ほどまで進むと壁が高くなって3~4m 位になり、左へ緩やかにカーブしています。
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先の方に出口が見えてきました。
この切通しは、谷戸の奥から台地の上の緩傾斜地に上がる小尾根の背の道でした。
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出口の先で建物に突き当って右折しましたが、その手前の左側は深い窪地に臨む急な崖で、金網柵越しに覗き込むと底に遊水池があるのが見えました。
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切通しから出た所は高台の一角にある小広場で、遠くに丹沢が見えました。
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道路に出た所で左折し、行く手に見える山に向かって坂を登りました。
住宅街の中のルートファインディングは意外に難しく、少々右往左往したあと正しい道に乗って進むと右横の高みに大きな老人ホーム(SOMPOケア ラヴィーレ北鎌倉)がありました。
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家並みが途切れた先の山裾に園地がありました。
舗装路に面した入り口の右脇に看板が立っていて、ここが六国見山森林公園の南口(北鎌口)であることを表す案内地図が描かれていました。
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園地の中の陽だまりに野外ベンチがあってなかなか気分の良い休憩ができました。
登山道は左のように、ベンチの脇からはじまる細丸太柵に沿って登る階段道でした。
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丸太階段道を登り始めるとすぐ笹薮の間に入り、やがて行く手が明るくなってきました。
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尾根の背に登りあげた所には大きな白塗りの案内板が立っていて、その背後の高みに手すりのついた展望台ががありました。
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(画像をクリックすると拡大)
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高みの裾を右手に回り込んでみたら左のようになっていて土盛り富士塚の典型的な形をしています。
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塚の上に上がってみると右肩が欠けているものの、"浅間大神" 大きな文字が刻まれた石碑が立っています。
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富士塚の西肩、鎌倉・逗子に面した所に展望台が設けられていて、その手前には展望盤が置かれています。
下は展望台で撮ったパノラマ写真です。
左手に逗子・鎌倉の市街、その先の相模湾の海の彼方に大島らしい島影、手前右手へ広がっている湘南丘陵の先に箱根から丹沢の山並み、右手の林の先に富士山が見えました。
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六国見山展望台の眺め (画像をクリックすると拡大スクロール)
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左は逗子鎌倉方面のズームアップです。
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(画像をクリックすると拡大)
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こちらは富士山のズームアップです。
うっかりしてオートフォーカスのまま撮ったため、手前の木の枝に焦点が合ってしまい、肝心の富士山がボケてしまいました。
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展望台と反対側、東に面して設置された野外ベンチの脇に立つと湘南丘陵の先に横浜の市街が見えました。
久しぶりに山の天辺の景色に接して気持ちが良くなり、長い休憩を楽しみました。
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存分に休んだあと先に進むとすぐ、稚児の墓に着きました。
大木の袂に置かれている寸詰まりの宝篋印塔は、鎌倉の開拓者染谷時忠の子の墓と言われています。
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(画像をクリックすると拡大)
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笹藪の多い暖地林の中を進んでゆくと尾根筋が僅かに凹んだ小鞍部がありました。
左側の樹木が刈り払われて横浜方面への視界が開け、ランドマークタワーが聳え立っているのが分かります。
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鞍部からわずか登った道の真ん中に三等三角点標石が地面から突き出していました。
刈払われた広場もなく、頂上らしい雰囲気はまったくありませんが標石の数m 先の木立の根もとに "六国見山" と記した板が゙置かれていました。
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六国見山の先は笹薮の間を急下降しました。
交通事故で怪我をしたあと、一年近くの間リハビリに努めた結果、日常生活には問題ないレベルまで回復したものの、老化の影響をキャンセルすることはできず、脚の筋力は以前の水準に戻れていません。
下降路では注意しないと転倒しやすく、思わぬ怪我をする恐れがあります。
ひと下りした所にT字路があり、道の真ん中に突き出している境界標石から右手へ道が分岐していました。
直進して明月院方面に行く道なので今回は見送り。
右折すると谷奥の斜面を横切ってゆく道になりました。
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谷窪を渡りきって隣の小尾根の背に上がると青色の金網柵が現れ、その角から左手に下ってゆく道が分岐しています。
柵の角の柱に架けられた小さな板に直進すると長窪方面に、左折すると北鎌倉駅方面に行けると記されていましたが、"北鎌倉駅"
の方には "円覚寺" と書いたのを消した跡があります。
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左折すると笹薮の間の急降下になりましたが、ひと下りすると右下の林の隙間を通して円覚寺の堂塔の屋根が見えました。
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更に下ってゆくと先の方に人家が見えてきました。
ルートは左手すぐ下に見える道路に降りてゆくのでしたが右手を見ると尾根の背に向かう踏み跡が見えました。
そちらに進んで尾根の背に上がった所で左折するとすぐ、中世山城の土橋のように、両側が削られて幅が1m 位になった長さ10m 程の細尾根を渡りました。
細尾根の先は背の高い笹薮に覆われた土塁状の小平地でした。
物好きなハイカーが時たま通っている痕跡と思われる細やかな笹の隙間があったので、笹藪を押し分けて進むとすぐ崖の縁に出て、下の方に弁天堂の前庭が見えました。
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木の根を足がかりとし、立木に掴まって崖を下ると左の写真の隠居居士の墓石としゃもじ願掛け板の間に降り立ちました。
弁天堂の前庭から振り返ってみた所ではなんの変哲もない土崖で、知らない者がみてもルートであることは分からでしょう。
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弁天度の向かい側にある国宝洪鐘(おおがね)は、鎌倉三名鍾のひとつで、北条貞時が寄進したものだそうです。
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江ノ島から分祀された鎮守弁天は参詣者もなく、横手にある茶店もコロナ休業になっていて、ひっそりしていましたが、年末年始の参詣者のためのライトアップ工事が行われていました。
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(画像をクリックすると拡大)
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弁天堂前庭の北寄りの柵の縁はなかなかの展望スポットで、湘南丘陵の先に富士山と丹沢が見えました。
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弁天堂の前庭の先から急な石段を降りると、すぐ先が山門内側の広場で、左手に山門、右手に仏殿がの大きな建物がありました。
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久しぶりの山歩きが無事に終わりました。
ルートの最後の部分ではささやかなバリエーションも無事に消化できたことに感謝し、来る年の平安を祈願しました。
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北鎌倉駅に向かうと山門の中に北条の家紋 ミツウロコのマークの大提灯が吊り下げられていました。
フッと思い出したのは、半世紀以上もの昔、冬の暖房の主役だったこたつの燃料として愛用された煉炭のトレードマークがミツウロコだったことでした。
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総門の脇にある木戸口で "逆入場" したことを告げて拝観料を払い、門を潜って石段を下るとすぐJR線路を渡りました。
右折して進むとすぐ北鎌倉駅に着きましたが、当てにしていた駅前の蕎麦屋をがコロナのせいか休店だったのでガッカリしました。
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☆ルートの詳細
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詳細ルートマップ
(下の縮小画像をクリックすると元図が表示されます)
★このルートマップは Windows アプリの "カシミール3D" に国土地理院新版淡色レベル16 を読み込んで作成しました。
GPS軌跡の記録とマーカー座標の補正には Android アプリ "山旅ロガー"、"地図ロイド" および
Windows アプリ "カシミール 3D" を使用しました。
ルートの詳細を伝達するため元図は大サイズになっています。
ダウンロードしたら適宜縮小するか要所を切り出して印刷、利用してください。
縦横比は維持していますが縮尺は不定です。
国土地理院の紙地図を参照するなどで推定してください。
GPS軌跡・地点マークのダウンロード
★上のルート図の GPS 軌跡と地点マーク
情報で作成した Google MyMap から
地図全体を kml 形式ファイルにダウン
ロードし、ZIP アーカイブにしたものです。
要すればルート図の復元にご利用下さい。
Googleフォトアルバム
★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。
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☆1月5日(晴): 常楽寺-高野切通-六国見山-散在ガ池-白山神社
年明け早々、六国見山への二度目の山行を行いました。
前回は長窪切通しからアプローチしましたが、今回は高野の切通しから鎌倉高校の脇を通り、森林公園北口から登頂しました。
富士塚展望台から頂上を経て境界標石の分岐までは前回と同じルートをなぞりましたが下降路では前回通った北鎌倉駅(円覚寺)ルートを見送って直進。 明月院ルートの方に下降したあと、今泉台の住宅地を経て散在ガ池に下山。
森林公園公園として保護されている池の周りの山林の中に整備されている遊歩道ウオークを楽しんだあと、砂押川谷筋の白山神社に参詣して帰りました。
アプローチでは、高野切通しの前に熊野神社に参詣できたので、この日は一度にふたつの神社に初詣をする事ができました。
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六国見山頂上西鞍部から横浜方面の展望 (画像をクリックすると拡大スクロール)
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☆行動時間
宮崎台[8:13]=溝の口=武蔵小杉[8:41]=(横須賀線久里浜行)=[9:11]大船/東口交通広場#5乗場[9:28]=(江ノ電バス
鎌倉駅東口行 178円)=[9:32]常楽寺バス停-常楽寺/北条泰時墓(9:37/40)-木曾塚(伝木曽義高墓)(9:50/55)-六国見山森林公園道標(10:06)-多聞院/熊野神社(10:14/25)-高野の切通入口(10:41)-高野の切通(10:42/45)-鎌倉高校グラウンド下(10:48/52)-高野台バス停(10:56)-六国見山森林公園入口(11:02/05)-富士塚展望台(11:16/30)-稚児の墓(11:33)-展望鞍部(11:37/40)-六国見山(11:42/44)-円覚寺分岐(11:47)-明月院分岐(11:56)-吉ガ沢かえで公園(12:09/12)-散在ガ池森林公園南口(12:23/26)-鎌倉湖(13:05/13:15)-今泉不動バス停(13:29)-白山神社参道入口(13:35)-白山神社(13:40/45)-(13:51)白山神社バス停[13:53]=(江ノ電バス
鎌倉湖循環)=[14:10]大船駅東口/大船[14:26]=(東海道線宇都宮行)=[14:50]川崎=(南武線)=溝の口=(東急線)=[15:32]宮崎台
☆ルートの概況
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スタートは前回と同じ常楽寺前バス停でした。
正月早々の鎌倉と大船の境の町は静かでした
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常楽寺参道の入口には形の良い黒松が立っています。
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参道の奥に端正で美しい姿をした茅葺きの山門があります。
正面は柵で閉ざされているので脇戸を潜って境内に入りました。
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本堂の前には開基北条泰時のお手植えとも、開山退耕行勇のお手植えとも言われるイチョウの古木が立っています。
もとの幹がなくなったあとに生えてきた沢山のヒコバエで林のようになっています。
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本堂の後ろに回り込んだ所に北条泰時と退耕行勇の墓石が並んでいました。
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いったん山門の前まで戻り、寺の裏山の斜面に設けられた階段道を折れ登りました。
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斜面の上部にある姫宮の祠の脇からさらにもう一段上がると高台上の小さな園地に着きました。
立木の根方の小さな塚は木曽塚(伝木曽義高の墓)と言われています。
木曽塚に隣接した区画は野外ベンチと木馬が置いてある小公園になっています。
本堂裏の北条泰時の墓と、この木曾塚と、年末に来た時には探し当てることができなかったものです。
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高台の住宅地の中の道から下の切通しを通り抜けている車道に降りて右手に向かい。緩い坂を下って行くと常楽寺バス停近くの十字路に着きました。
道標が立っている角に昔風の和菓子屋があり、正月祝いの菓子が色々並んでいました。
懐かしいのが色々あって悩みましたが、食べ過ぎで腹痛にならぬよう、この日の行動食の足しとしてふたつだけ買いました。
十字路を左折したら前回通った道になり、僅か進んだ所で振り返ると最前バスで進んできた道を見通せました。
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まもなく突き当たったT字路では前回と反対に左折しました。
右手へ緩く曲がっている道なりに進んでゆくと前方に山が見えてきました。
やがて二叉道に着くと左手にトンネルの入口、直進するとすぐ先の左手に多聞院が見えました。
奥の方に鳥居と石階が見える熊野神社参道を横切って多聞院に向かいました。
かつてこのあたりを領していた甘粕家所縁の寺は、端正な本堂と綺麗な前庭が印象的でした。
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熊野神社は、多聞院とトンネルの間の山腹にあって、小広い境内に社殿と神楽殿がありました。
日本武尊を祀っているこの神社も甘粕家所縁で、もとは多聞院と一体だったのが明治の神仏分離令で別れたようです。
境内にいた人から声をかけられました。
境内の清掃整備をしていた近親が亡くなったあとを引き継ぎ、鶴見から時々通っているのだそうです。
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(画像をクリックすると拡大)
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社殿の前庭の端からは家並みの上に富士山が綺麗に見えました。
残念だったのは、ちょうど正面の真ん中に送電線鉄塔が立っていたことでした。
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熊野神社で初詣をしたあと、高野切通しに向かいました。
事前に国土地理院1万分1地形図をチェックし、神社脇のトンネルのあたりということまでは分かっていたのでトンネルの入口まで行ってまわりを見回したら熊野神社の方からトンネル入口の右脇に降りてくる道が見えましたが切り通しがあるようには見えません。
トンネルを潜って向こう側へ行って見たら山の懐に貯水池があり、切通しとは縁がなさそうな地形になっています。
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多聞院の入口まで戻って角に立っている道標をもう一度確認したのですが切通しへの案内はありません。
まわりの地形とスマフォ GPS アプリの画面とを照合していたところへ地元の母娘らしい二人連れが歩いてきたので尋ねてみました。
お母さんの答えは道の向い側にある駐車場の向こう側を回ってゆけば良いということでしたが、娘さんの方は目の前の駐車場の柵に沿ってトンネルの手前まで行くと、柵と山の間に細い道があるので、そちらへ進めばすぐに切り通し道と出合えるから、間違いがありません、と勧めました。
左の写真は娘さんに教わった高野切通し入口です。
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柵と山の間の草むした細道を30m ほど進むと駐車場の向こう側を回ってきた道と出合い、左の写真のように、右手のすぐ先から切通しが始まっていました。
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切通しは両側の壁の高さが 2~3m ほどで明るく、威圧感がなくて気持ちの良い道になっていました。
切通しに入ってすぐ、左から別の切り通し道が合流していました。
出合い口に通せんぼの枯れ枝が置かれていて、路面には落ち葉が積もっていましたが通り抜けることはできそうでした。
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切通し道合流点のすぐ先の左側には、左の写真のように土砂と岩塊で埋まったトンネルがありました。
このトンネルは、もとは人が通れていたのをなにかの理由で塞いだようで思いました。
さきの合流と、このトンネルと、切通し道が枝別れしているのを見るのは始めてでした。
多分これは、この切通しが軍事目的でなく、集落と集落をつなぐ交通路として開かれたことによるのではないか、と思いました。
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切通しの先の方に人影が現れました。
近づいて見ると大人3人が10人ほどの幼児を連れていたのでした。
すれ違う時に聞いたら近くの幼稚園か保育所の子供達のお散歩、ということでした。
あどけなく可愛い3~4才児達でしたが生育期間の差による体力差が大きいようで、元気が余っているような子がいるかと思うと保母さんの腕にすがり、ぶら下がるようにしてどうにか歩いている子もいました。
緩やかに登って行くと右側の壁がなくなって視界が開け、下の方に多聞院の墓地と本堂が見えました。
またその少し先には、右手の山に入ってゆく道の分岐がありました。
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その先ではまた右側の壁が高くなりましたがその代わりに左側の壁が低くなって行き、終わりには左の写真のように左側に金網柵が立ち、その向こうが急斜面の谷窪になっていました。
あとで1万分1地形図をチェックしてみたら、金網柵の下の方は先刻トンネルの裏側で見た貯水池のある谷戸だった事が分かりました。
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両側の壁がなくなって普通の山道になるとすぐ、県立鎌倉高校の運動場の下の石垣の前で石垣沿いに登ってきた道とT字に出合いました。
角には、六国見山へ600m と記した白地の標柱が立っています。
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標柱の袂で左折してコンクリート階段を登り、鎌倉高校キャンパスの縁に沿って右手に回り登ってゆくと車道の末端が丸く円を描いているロータリー広場に着きました。
歩道の縁に立っているバス停ポストは "高野台" で、毎時1便ほどのバスが運行されていることを記した時刻表が取り付けてありました。
地形図には、このロータリの奥手から山に上がってゆく実線路が描かれていましたが "公式" の登山口は少し下手にあるようだったのでそちらに向かいました。
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住宅街の道路を左手に向かって100m ほど進んだ所で左折するとすぐ先で山に突き当たりました。
山に登ってゆくコンクリート階段の登り口の右脇に六国見山森林公園の案内板が立っていました。
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(画像をクリックすると拡大)
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階段を登ってゆく途中で後ろを振り返ると表丹沢の山並みと富士山が綺麗に見えました。
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尾根の背に上がった所の左側は水道の給水池で、六国見山へは右折して尾根の背を進みました。
まわりの山林は綺麗に手入れされていて、気持ちよく歩けました。
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まもなく展望台の富士塚が見えてきました。
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正月で天気も良いせいか近所の人達や犬が登ってきてこの前来たときより格段賑やかでした。
風が冷たいのと引き換えに大気が透来通っているため遠望が利き、大島までくっきり見えました。
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六国見山展望台の眺め (画像をクリックすると拡大)
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正月の富士山 (画像をクリックすると拡大)
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富士山もよく見えました。
前回の失敗を繰り返さぬようマニュアル・フォーカス・モードにして撮り直しました。
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あとから登ってきた人もいたのでひと通り景色を見たり写真を撮ったりしたところで頂上から退散。
六国見山の頂上に向かいました。
稚児の墓は今度はマニュアルフォーカスのままになっていたことを忘れ、ピントを確認せずにシャッターボタンをを押してしまったため、ピンぼけになってしまいました。
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頂上の手前の小鞍部の道端にはぶつ切りにされた樹木の幹が置いてありました。
横浜方面への視界を開くため左側の山林を伐採したときのもののようです。
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横浜方面の眺め (画像をクリックすると拡大) |
ここで見える展望はこのセクションの冒頭に出してあるスクロール・パノラマのように、空気が澄んでいたお陰で前回よりクリヤーでした。
左の写真はみなとみらいのあたりをズームアップした画像です。
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鞍部からひと登りする程のこともなく、六国見山の頂上に着きました。
道の真ん中に突き出している三等三角点標石がなければ気づかずに通り過ぎてしまい兼ねません。
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三等三角点標石の数m 先の立木の根方に山名板が置かれています。
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頂上の先は笹藪の間をやや急に降ってゆく所がありました。
、わずか100m あまりの尾根筋とは思えないワイルドな雰囲気が漂い、湘南・三浦の山としては最高に楽しい部分でした。
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ひと下りして道の真ん中に境界標石が突き出している所で北鎌倉・円覚寺方面への道が分岐しているのを右手に見送って直進すると、よく踏まれた歩きやすい尾根道になりました。
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やがて左側の視界が開け、すぐ下に今泉台の新興住宅街が広がっていました。
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やがて行く手の下に人家が見えてきて、急降下するとその家の塀の前の道に降り立ちました。
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道に降り立った所から左手へ進むとすぐ先で明月院通りへの道が分岐していました。
その道を右下に見送って直進し、住宅街と山の境を横切って行きました。
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スマフォの GPS アプリを使って住宅街の中の道を拾って行き、中間のチェックポイントにしていた吉ガ沢かえで公園で小休止しました。
このあたりまで来ると散在ガ池森林公園と住宅街の境に接しているので通りの左側の住宅のすぐ背後に山林が迫っています。
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公園から右手へ進んで行くと道の右側からはじまる緑道があり、その入口の角に天園ハイキングコースへの道標が立っていました。
このあたりはちょうど鎌倉アルプス・ルートの十王岩あたりの裏になるようです。
天園ルート入口のすぐ先の左側に散在ガ池森林公園南口の看板が立っていました。
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入口の看板の脇から丸太階段道を進んで行くと左へ分岐している道があり、入り口に "パノラマの小径" の表示がありました。
池の左右両岸に設置されている遊歩道のうち、右岸の方を歩くことにしていたので左岸側の様子も見ておこうとパノラマ小径に入ってみましたがすぐ近くの送電線鉄塔の袂に上がり、僅かにまわりの景色を見たあと呆気なく元の道に戻って終わりました。
遊歩道分岐の右手へ短い急降下をしたあとは急斜面を横切って行くと左下に池の水が見えるようになってきました。
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散在ガ池は明治初期に完成した農業用水池で、"大船千石" と言われたこの一帯の穀倉地帯を潤したのだそうです。
三浦半島の地形の特徴で、岸の傾斜がとても強く、崖になっているところも多いため、所々に左のような桟道が架けられています。
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やがて地形が緩んできて道幅が広がると先の方に建物が見えてきました。
地階は管理人事務所になっていて、その壁に沿う階段を下った所に公衆便所がありました。
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管理棟の道向かいにある水飲み場の石の上に腰を下ろして長目の休憩をしながら飲み食いをしました。
鎌倉湖とも呼ばれている散在ガ池は思ったより大きな貯水池で、大きな長い堰堤の上に桜並木がありました。
春に来れば静かに花見ができそうです。
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休憩のあとはこの山行の最後の行程です。
堰堤の下手の幅広い車道を行くとすぐ北口ゲートに着きました。
ゲートを出た所で左折し、100m ほど進むと砂押川谷の底を通っている道路に出合ったので、左折して白山神社に向かいました。
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白山神社は源頼朝が京都鞍馬山から勧請した毘沙門天を祀っている神社です。
もとは隣接している今泉寺と一体の神仏混淆社だったのが明治の神仏分離令で別れたようです。
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こじんまりした社殿ながら山を背に負った端正な姿が印象的でした.
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参拝を終えて石段の上に戻ってくると左のような景色が見られました。
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参道から元の車道に出るとすぐバス停ポストがありましたがこちらは反対方向の鎌倉湖方面行きの乗り場です。
大船駅方向のはもう少し先にあるT字路を左折した所でした。
幸運にも僅か3分待ちで大船行きのバスが来たお陰で寒い中を長時間待たずにすみました。
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☆ルートの詳細
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詳細ルートマップ (下の縮小画像をクリックすると元図が表示されます)
★このルートマップは Windows アプリの "カシミール3D" に国土地理院新版淡色レベル16 を読み込んで作成しました。
GPS軌跡の記録とマーカー座標の補正には Android アプリ "山旅ロガー"、"地図ロイド" および
Windows アプリ "カシミール 3D" を使用しました。
ルートの詳細を伝達するため元図は大サイズになっています。
ダウンロードしたら適宜縮小するか要所を切り出して印刷、利用してください。
縦横比は維持していますが縮尺は不定です。
国土地理院の紙地図を参照するなどで推定してください。
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GPS軌跡・地点マークのダウンロード
★上のルート図の GPS 軌跡と地点マーク情報で作成した Google MyMap から
地図全体を kml 形式ファイルにダウンロードし、ZIP アーカイブにしたものです。
要すればルート図の復元にご利用下さい。
Googleフォトアルバム
★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。
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☆おわりに
年末から年初にかけて、六国見山への山行を二度行い、東大船にあるふたつの切通しを訪ねました。
これらの切り通しは有名な鎌倉七口のよな軍事都市の防衛地点ではなく、地域の住民が日常行き来したり、物資を運んだりする生活道路として開かれたように見受けました。
鎌倉地域にはこのような生活道切り通しが沢山開かれていたのが近・現代の開発に伴う地形改変によって大部分が消滅した中で、たまたま破壊を免れて生き残り、昔日の姿を留めているふたつの切通しと出遭えたのでは、と思っています。
このような切り通しがほかにもあるかどうか? とても興味が湧いてきたのでネット検索をして見ましたが出てきたのは鎌倉七口の記事ばかりです。
昨冬の交通事故による負傷とコロナ禍とのため遠くへの山行や高度差の大きい山行が難しくなっている中で、鎌倉地域の生活道切り通しの探索という面白いテーマと出合えたのを喜んでいます。
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