五島列島の小島と教会[2] (2022.5.9)

(β版) 

☆期日/天気/山行形式: 2022年5月9日/晴/3泊4日島巡りの2日目
☆地形図(20万分1): 福江、長崎
☆まえがき
    福江港からジェットフォイル船に乗って北五島のメインアイランド中通島に渡り、南端部近くの奈良尾港で
専用バスに乗り継いで島内を探訪。 若松大橋でつながっている若松島もあわせ、6つの教会とふたつの公園などを訪ねました。

 盛り沢山な一日を過ごしたあとの夜の泊まり場は、中通島の北部にあるホテル・マルゲリータでした。
ななつ星ツアーの泊まり場になっているこのホテルのサイトは、十字架が逆立したような形をしている中通島の、北の方へ尻尾のように伸びている細長い陸地の中程にある番岳の南麓の高みで東西両側の海を見渡すことができる展望スポットでした。

 静かな入江の奥にひっそり静まり返っている集落、普通の村なら鎮守の森があるような場所に、村人の思いが凝縮されたかのような、凝った意匠の天主堂がある景色は、これまでに見たことがないものでした。

 五月晴れ青空と穏やかな南国の海の境を走ってゆくバスの車窓には、複雑に入り組んだ海と山が目まぐるしく交錯し、視覚と知覚が飽和するような感覚を味わいました。


中通島奈摩湾入口矢堅目崎  (画像をクリックすると拡大してスクロール)

☆ルートの詳細

ルート詳細図
    (縮小画像をクリックすると元図が表示されます)



★このルートマップは Windows アプリの "カシミール3D" に国土地理院新版淡色レベル16 を読み込んで作成しました。
GPS軌跡の記録とマーカー座標の補正は Android アプリ "山旅ロガー"と"地図ロイド" を使用。 トラックポイントの偽ジャンプ除去等による修正や不要部分のトリミングなどには Windows PC 上で動作する山岳景観アプリ: "カシミール 3D" を使用しました。

ルートの詳細を伝達できる解像度を確保するため元図サイズが巨大になることがあります。
ダウンロードしたら適宜縮小するか、あるいは必要部分を切り出してご自分用の画像ファイルを作り、端末で表示したり印刷してハードコピー作ったりしてご利用ください。
縦横比は維持していますが縮尺は不定です。
国土地理院の 1/25000 地形図と照合するなどによって推定してください。




 行動GPS軌跡・地点マークのダウンロード

 ★上のルート図の GPS 軌跡と地点マーク情報で作成した Google MyMap から地図全体を kml 形式ファイルにダウンロードし、ZIP アーカイブにしたものです。
 要すればルート図の復元にご利用下さい。


<行動時間>

    宿舎(8:30)-(8:40)福江港ターミナル[9:20]=(ジェットフォイル)=[9:50]中通島 奈良尾港[10:07]=(専用バス)=桐教会(10:15/50)=中ノ浦教会(11:10/30)=若松大橋公園(11:47/59)=五島 えび屋(昼食 12:17/13:05)=カトリック大曽教会(14:00/14:34)=冷水(ひやみず)教会(14:53/15:16)=矢堅目公園 展望所(15:23/35)=矢堅目の駅 塩工場(15:44/16:15)=青砂ヶ浦教会(16:30/55)=(17:07)五島列島リゾート ホテルマルゲリータ


☆ルートの詳細

朝食が済むとすぐにチェックアウト。 徒歩で福江港ターミナルに行きました。
五島列島の海の表玄関となっているターミナルビルは乗船券売り場、観光案内所、土産物店、経食堂などひと通りのものが揃っていました。

 北五島の中通島へは左のような高速ジェットフォイル船が運行されています。

 思ったより長い待ち時間があったので時間つぶしにターミナルビルの中や隣接する埠頭のあたりを見て歩きました。

 カーフェリーから漁船まで、大小様々な船がいる中に外洋ヨットがいました。

 
 ジェットフォイル船は水中翼の浮力を利用して時速40ノット超で航走し、揺れも少なくて至極爽快でした。

 福江港を出向して30分ほど経つと中通島に差し掛かり、左手に奈良尾港が見えてきました。

  奈良尾港で待っていたバスに乗り継いで島内ツアー開始。
まもなくカトリック桐教会のある岡の袂に着きました。

 桐・古里地区のキリシタンの始まりは、寛政年間(1789~1801)に外海から移住してきた人達で長い隠れキリシタンの時代を過ごしました。
 慶長元年(1865年 英公使パークス横浜着任、リンカーン大統領暗殺) に、桐古里郷のガスパル与作(本名 下村鉄之助)が病気治療のために長崎に行った際、大浦天主堂に入ってプチジャン神父を訪ねたのが、五島隠れキリシタンのカトリックへの復帰の端緒になったと言われています。

  道路から石段を上がり、踊り場に立つと左手の階段の上にゴシック風の堂々とした聖堂が見えました。


 桐教会は 明治30年(1897)にパリ外国宣教会のフューゼ神父によって中五島最初の小教区として設立されましたが、現存する聖堂は 1958(昭和33)年に改築されたものです。

(画像をクリックすると拡大)

  教会堂の脇から海辺の車道に下ってゆく道が通っている斜面がお花畑になっていて、川のように狭い水道の静かな水面と両岸の新緑とが美しい景色を見せてくれました。

  島を縦断している主要道路 384号線に戻って中ノ浦教会に向かい、白魚峠を越えて西岸沿いを北上。ました。

 道路の左側の海は遣唐使が通り抜けていったと言われている海峡ですが、沢山の島が重なり合っていて外海の小島の中に居るような感じがありませんでした。

  カトリック中ノ浦教会は静かな入江の水際にある美しいお堂でした。

 1925(大正14)年に建てられた木造の聖堂で、棟梁がだれだったか分からないそうですが、今は廃墟になってしまった久賀島の細石流(ざざれ)教会とよく似ているそうです。
そちらは大正9年(1920)に鉄川与助が棟梁を務めました。

 内部は撮影禁止のため自前の写真がありませんが特徴的な天井や椿のような花の装飾が分かる画像が聖パウロ女子修道会のサイトに出ています。

 中ノ浦の信徒の祖先は、外海の黒崎村から移住してきた人たちだそうです。

 心安らぐ水辺の教会堂をあとに来た道を戻り、白魚峠の手前で右折してゆくと西隣りにある若松島に渡る若松大橋に着きました。

 この橋は遣唐使が通っていった若松瀬戸に架かっている長大なトラス橋で、橋の袂に展望園地が整備されています。

(画像をクリックすると拡大)

  園地に降りて小休止しましたが、新緑の島々に囲まれた静かな海はまるで湖のように静かでした。

  園地の花壇に咲いている黄花がとても綺麗だったのですが、この花は北アメリカ原産のオオキンケイギクという宿根草でドライフラワーに利用するため栽培されていたのが野外にまん延して問題になり、現在は栽培禁止になっているそうです。

  お昼を若松島 神戸漁港の入江の岸辺にある "えび屋" で食べました。
 メインはウニ丼で汁椀は小鯵一匹と豆腐のすまし汁。

 ウニ丼はみちのく潮風トレイルのある三陸海岸のものと思いこんでいたところ、九州の西の果てでとても濃厚な鯵のウニと出合い、びっくりしましたが、美味豪快でなかなかの昼食でした。

  昼食のあと若松大橋を渡り返してもう一度 384号線に戻り、北上を続けました。
   

 十字形をした中通島の "交差点" の西北コーナ近くに大曽教会がありました。
ここは外海地方の出津、黒崎、池島などから迫害を逃れたキリシタンが来た所です。

 現在のレンガ造りの天主堂は大正4年(1915)に五島出身の棟梁鉄川与助氏の施工によって建てられたもので聖パウロ女子修道会のウエブサイトに数駒の写真と解説があります。
 こじんまり素朴な雰囲気を持つ建物の内部は意匠を凝らした美しい宗教空間になっています。

(画像をクリックすると拡大)

  聖堂の前庭からみた入江の村の様子は左の写真のようで、水際の狭い平地に人家がひしめき合うように並んでいます。

 教会の背後、西へ2Km程野の海上には、巨大な石油備蓄基地がありました。
容量 88万Kl の洋上石油備蓄船を5隻並べて係留したもので、世界初のものだそうです。

  大曽教会から 6Km ほど北、奈摩湾を見下ろす高みにカトリック冷水教会がありました。
こじんまりした教会堂ですが、内部は至極美麗で、その様子を聖パウロ女子修道会のウエブで見る事ができます。

 下は、このページに添えられた解説をそのまま引用したものです。

 五島崩れの迫害によって信徒がいなくなっていました。迫害後、この地に平戸や下五島などから信徒が移住してきました。
 1907(明治40)年に、現在の聖堂が建てられました。設計施工は、冷水出身の鉄川与助氏でした。氏は、当時27歳。はじめて自ら設計施工した教会です。

  冷水教会の先ヘ進んでと奈摩湾入り口を扼する矢堅目崎に着きました。

 航海の目印になっている巨大な三角形の岩塔の袂が園地になっていて西に広々した外洋が、東には波静かな奈摩湾と対岸の山並みを見渡すことができました。
ページ冒頭のパノラマ画像はこの様子を伝えようとしたものです。

  矢堅目崎から少し戻った所に矢堅目の塩工場がありました。
モトは藻塩を焼いてほそぼそと塩を作っていたようですが今は左のようなチタン合金製の釜を使って海水を煮詰めています。
  この日の最後は奈摩湾の奥手にあるカトリック青砂ヶ浦教会でした。
この日に見たうちでは大きい建物で聖パウロ女子修道会のウエブには下のような説明があります。

 1878(明治11)年ごろには初代教会堂があったといわれますが現聖堂は3代目で 1910(明治43)年に献堂され国重要文化財にも指定されています。

 鉄川与助氏によって設計施工されたこの聖堂の内部は、三廊式で主廊部、側廊部とも漆喰仕上げで、四分割リブ・ヴォールト(コウモリ)天井、尖塔アーチのゴシック様式です。
 煉瓦を積み上げて造られた外壁の煉瓦は、信徒が総出で煉瓦を運びあげたものです。

(画像をクリックすると拡大)

  駐車場になっている教会堂の前庭の縁は花壇になっていてその先に奈摩湾の海、遠くには矢堅目崎へ繋がっている山並みを見渡すことができました。

  ツアー二日目の盛り沢山な教会堂巡りのあとの宿りは中通島北部番岳(443m)の袂にあるマルゲリータホテルでした。

 モダンな建物の前庭は白花マーガレットの花壇で飾られていて、とても良い感じの泊まり場でした。


(画像をクリックすると拡大)

  ホテルの裏山 番岳は、Mont Bell の "しま山100選" にも載っていて、かつて遠見番所が置かれていた展望峰であると紹介されています。

 ホテルの前庭からは広大な外洋を望み、裏側に面した客室からは佐世保・青海市の方に連なっている小島の列と遠くに霞む九州の陸地を見ることができました。

 海を見渡す展望レストランで夕食をしている間に西の海に太陽が沈んで行きました。
水平線の上にたなびく雲の蔭に入りかかるとき、まわりの薄雲が茜に染まりました。


<補足情報>

 行動GPS軌跡・地点マークのダウンロード

 ★上のルート図の GPS 軌跡と地点マーク情報で作成した Google MyMap から
    地図全体をダウンロードした kml 形式のファイルを ZIP 形式のアーカイブにしたものです。
    要すればルート図の復元にご利用下さい。


Googleフォトアルバム
 ★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。

☆おわりに
  この日はいくつもの教会堂を回りました。
現役時代には欧州各地で訪ねた教会堂と違って威圧感がなく、どこか愛らしく親しみやすい雰囲気が漂っている所が共通していると感じました。

 親しみやすい雰囲気のお堂を見て回っているうちに、子供の頃、戦争が激しくなるまではクリスチャンだった親に、キリスト教の精神は "愛" だと教えられたことを思い出しました。


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