吉井 八束山 (2020.9.19)

(β版)

 

☆期日/(天気)/山行形式: 2020年9月19日(曇) 単独日帰りハイキング

☆地形図(2万5千分1): 上野吉井(長野3号-2)

☆まえがき
  春以来の新型コロナウイルス感染リスクに加え、この夏は記録破りの炎暑続きとなりました。
夜中でもエヤコンを動かしていないと安眠できないほどとなり、冷房病と熱中症の狭間での家篭りを続けていました。
9月に入っても厳しい残暑が続いたものの、中旬にかかるとようやく、"暑さ寒さも彼岸まで" の言い伝えの通り涼しい風が吹くようになってきました。
秋の彼岸の墓参で吉井に行ったついでに吉井三山のひとつ、八束山に登って見ることにしました。


 夏の間人通りが途絶えていた低山の登山道は蜘蛛の巣だらけでいささか閉口したところはありましたが、誰もいない山は静寂に包まれ、木の間を吹き抜ける爽やかな風に当たりながらゆっくり歩けました。
 登り降りとも1時間あまりの小さな山は、ひと夏の間に衰弱した足腰の筋肉のリハビリの程よい加減の手始めとなりました。



八束山西尾根の鞍部から朝日岳、妙義山  (画像をクリックすると拡大スクロール) 

☆行動時間
    宮崎台[7:00]=大手町=[7:45]東京[8:04]=(Maxタニガワ403号)=[9:01]高崎[9:25]=(上信電鉄)=[9:49]吉井駅=(Taxi)=[9:57]八束山入口(10:05)-八束山西口(10:10)-炭焼窯跡(10:17)-固定ロープのトラバース(10:32)-朝日岳が見える小鞍部(10:38)-眺めの良い鞍部(10:41)-3連固定ロープの上段(10:50)-尾根の背(11:00)-外傾岩に固定ロープ(11:07)-頂稜肩の道標(11:21)-堀切1(11:24)-堀切2(11:27)-八束山(11:29/45)-固定ロープ(11:52)-羊の足跡(11:56/57)-牛伏山展望点(12:04)-小コブ(12:09)-浅間山(12:21/30)-虚空蔵様分岐(12:34)-蚕神社石標(12:36)-八束山北口(12:47/50)-八束林道入口(12:52)-乗越(13:06)-(13:24)牛臥ドリームセンター[15:10]=(吉井バス)=[15:12]吉井駅(15:15)-花屋・寺-(16:30)吉井駅[16:37]=(上信電鉄)=[16:59]高崎[17:30]=(Maxトキ372号)=[18:20]東京[18:31]=大手町=[19:24]宮崎台


☆ルートの概況
    7月のふたつの旅の経験で新幹線の指定席車はソーシャル・ディスタンスが確保されていて、安心な移動手段であることが分かりました。
今回は高崎までの短距離でしたがも、移動時の安全と時間の節約を図って、往復とも新幹線を利用しました。


 高崎で新幹線から上信電車に乗り継ぐときに吉井駅のタクシーに電話をかけて置いたので時間ロスゼロでタクシーに乗り継いで登山口へアプローチしました。

 駅から4Km あまり、神戸交差点の先にある八束山登山口は、割烹 "やじま" の入口の向かい側です。

 道路の下の畑に降りてゆく道の入口の角に小さな標識が立っています。

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 畑の間を僅か進んだところで大沢川に架かっている橋を渡り右岸に移りました。


 川の向こう側は果樹畑でその周りを囲んでいる柵に沿って右手へ回り込んでゆくと八束山西コース入口の標識が立っている尾根の裾に着きました。

 短い丸太階段を登って杉林に入るとすぐ短い丸太橋を渡ります。

 僅か進んだ所に炭焼窯跡があり、昔炭焼きが行われていた時の状態がよく保存されています。

 窯跡の少し先から右下がりの急な斜面を折れ登ってゆくようになりましたが、たくさんの蜘蛛の巣があって次から次に引っかかりました。

 道端に落ちていた木の枝を拾って、顔の前で振り回しながら進むことで顔や頭に蜘蛛の巣がかかるのを防ぎました。


 斜面が急になると、灌木の間に太いロープが張り巡らされ、それを頼りに折れ登ってゆくこととなりました。

 足腰の筋肉が弱っているので腕力も動員できるのはありがたいことでした。
 
 ロープの急登を抜けると平らな尾根の背に乗りましたがすぐ先で細尾根の背を占領している岩の左側をすり抜ける所がありました。

 灌木が生え、固定ロープも設置されているのですが、足場が良くないので雨で濡れていたり、雪が着いてたりする時は注意が必要と思いました。
 
 難場を過ぎると穏やかな鞍部に着きました。
このルート上で唯一の展望所で谷向いに多胡美人の愛称を持つ朝日岳、その先の方に表妙義の山並みが見えました。

 鞍部の先から頂上へ向かう急登が始まるとまもなく大岩に突き当たりました。
左側に回って固定ロープ伝いに登るのですが左側に外傾しその下の方が落ちこんでいるので少々緊張します。

 年取って股関節や膝関節の可動範囲も狭まり、バランスも悪くなっているのも具合の悪いことで、慎重に足場を選んで乗り越しました。
 
 
 大岩を乗り越えた先で3連の固定ロープを登りあげるとようやく急登が終わり、穏やかな尾根の背に乗りました。

頂上間近な雰囲気が漂う尾根の背の道を、急登で乱れた呼吸を整えながら進みました。

 行く手の林の向こうが明るくなり、やがて右下から上がってきた道とT字に出合うと、突き当りに "←八束山頂上" と記した案内標識が立っていました。 

 左折して頂上に向かう道は平坦で穏やかでした。
 
 少し行ったところに尾根の背を堀切った溝がありました。
戦国時代中期までの山城によく見られる防御施設の遺構です。
 伝説によれば、この山は古墳時代にこの地方(多胡郡)にいた渡来人集団の頭領だった "羊太夫" の城の跡ということです。
2万5千分1地形図に書き込まれている山名も "八束山" ではなく、"城山" になっています。
 
 さらに30m ほど進んだところに第2の堀切跡がありました。

 岩場の多い急峻な尾根の上の頂稜にふたつの堀切があるのはなかなかの要害です。

 ふたつ目の堀切の先は本丸郭の跡のようで、平坦な地面が広がり、30m ほど行ってところに石祠がありました。

 祠の先10m ほどで台地が削り落とされ、北側を防御する崖になっていました。

 崖の縁の左手には案内標識が立っていました。
右脇から下ってゆくと北コースに入り、羊の足跡、浅間山を経て下山。

左に向かい、今登ってきた方に進むと西コース(岩尾根)になる記されています。

 頂上広場の北側は僅かながら視界が得られ、高崎市の南橋部となった吉井の市街を見ることができます。
 
  久し振りだった割には順調に登れた山の頂上なのでゆっくり休憩を楽しみましたがこのあと牛伏ドリームセンターまで行ってお昼を食べ、風呂にも入った上で墓参をするのでほどほどにしなければなりません。

 道標の脇をまわり下って北コースの尾根に乗ると、真っ直ぐ延びている尾根の背の道は見通しがよくかなり先の方まで覗くことができました。

 樹木が刈払われていれば飛び道具で防御するのにとても都合が良かったのではないかと思いました。
 
 北コースは、途中にロープが取り付けられているやや急な所はありましたが西コースに比べれば格段平穏な下降路でした。

 ひと下りすると右側が開け、谷向こう牛伏山が見えるようになりました。
牛伏山は東西に横長く南北に薄べったい形をしているので横から見ると尖った三角形に見えます。

 
   
 牛伏山展望点のすぐ下に "羊の足跡" がありました。
長径2m ほどの大石の真ん中に40✕15cm くらいの窪みがあるのが足跡でした。

 本人か、従者か、大和に日帰りできる超能力があったのがふとした "事故" で失われたあと謀反の疑いをかけられて、攻め滅ぼされた、と言われています。

 ひと下りしたところから穏やかに下って行き、小さなコブを越えたさきを緩やかに上下していったところにあるこじんまりした鞍部からひと登りすると浅間山でした。

 目立たない山名標識があるだけの、至って地味な頂上でしたが、出城の郭のあとなのかも知れないと思いました。
 
 普通、浅間山と言う名の山は富士山が見えるものですがこの浅間山見えないみたいで、何故この名がついたか不思議です。

 

   これは以前浅間山の目印だった大杉の残骸です。 

写浅間山から吉井方面  (画像をクリックすると拡大)

 広場の端近くに横たえてあった枯れ枝に腰を下ろしてこの山歩き最後の休憩をしました。

 山林の隙間から吉井の市街地が見え、涼しい風も吹いてきて、結構な休憩でした。

 休憩を終わって先に進むとひと下りしたところに "蚕神社" と刻んだ石標が立てられた大石がありました。

 かつてこの地方で盛んに行われた養蚕に関わる祭祀の跡ですが何故こんな中途半端なところにあるのか分かりません。

  "蚕神社"のすぐ下に "虚空蔵様" への分岐がありました。
前に来たときに見に行ったら谷窪の奥に祭祀がありましたが、今回はスキップして先に進みました。

野草の秋  (画像をクリックすると拡大)

 竹藪が出てきて人里の雰囲気にになった所に生えていた野草が秋の実りの穂先を揺らせていました。
 

 右折して尾根の背を外れて竹藪の中を下り、谷底に降り着いたところで左折するとまもなく舗装路に飛び出しました。

道路に出た所から返って見た八束山北口は左の写真のようでした。
 
 登山口のすぐ近くに人家があり、庭先に咲いているコスモスがきれいでした。
 
 100m あまり進んだ所で十字路を右折するとすぐに橋を渡り、谷合い分け入ってゆく舗装車道を進みました。

大きなカーブを曲がる登って行くと先の方に切り通しになっている乗越が見えてきました。
 
 乗越に上がって見たら山の裏側の様子がすっかり変わっていたので驚きました。
元は杉の多い山林だったのが大規模な太陽発電所になっています。

 裏側の谷へ下りて沢沿いの道を通って牛伏ドリームセンターに行くつもりでしたが気分が良くないので中止し、左手の尾根筋を通っている牛伏山登山道を通って行くことにしました。
 
 こちらは以前より人通りが増えたようで道が格段良くなっていました。
木立の間をゆく殆んど平らな道を気持ちよく進みました。

狂い咲きの桜  (画像をクリックすると拡大)

 ドリームセンタへの道路に出た所で右折。
ゆるい坂を登り切るとすぐ先の右下に牛伏ドリームセンターが見えてきます。

 古い施設ですが少年時代に親しんだ上州の田舎の雰囲気が残っていて、食堂で食べる料理も懐かしい田舎の味です。
不便なところにあるせいか浴場がいつも空いていてゆっくり入れるのも嬉しいところです。

 構内に入ってゆく所に植えてある桜が狂い咲いていました。
鬼石の桜山あたりの冬桜を移植したのだと思うのですが、こんな時期に咲き出ししまったのは記録的な酷暑で "発狂" したのでしょうか?



☆ルートの詳細



ルートマップ

(Android アプリの山旅ロガー
と地図ロイドで作成した地点
マーカーと GPS軌跡とを国土
地理院地形図を表示している
カシミール3Dにインポートし、
重畳表示させて作成)



 行動軌跡 ダウンロード



 原画フォトアルバム



ヤマレコの山行報告

☆おわりに
    コロナと酷暑の家篭りの後のリハビリとしてふるさとの街の小さな山に登りました。
岩場の多い急峻な西尾根から古代山城の跡が残る頂上に上がり、穏やかな北尾根を下って夏の終りの静かな山を楽しみました。

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