西伊豆歩道 丸山、通り崎コース (2016.12.19) |
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☆期日/天気/山行形式: 2016年12月19日(晴) 日帰り単独ハイキング ☆地形図(2万5千分1): 土肥(静岡3号-4) ☆まえがき 10月に西伊豆歩道の土肥-戸田-大瀬崎-江梨を歩き、随所で富士山と駿河湾の展望を楽しみました。 歩道の方は、ルート明瞭ながら意外に歩きごたえがあり、里山歩きらしからぬ面白さがあることが分かりました。 もとはかなりの費用と手間をつぎ込んで整備されたようで道標は完備し、ルートは明瞭でしたが歩く者がごく僅かしかいないのと長年手入れされずに放置されているのとのため、草生して藪が被さっている部分があるだけでなく、土砂や枯れ枝の堆積に埋もれてしまった所もあって、かなりワイルドな状態になっていたからです。 |
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西伊豆歩道 丸山コース 里山頂上の展望 (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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今回は前回歩いた土肥-小土肥-舟山ルートの南に隣接している、丸山ルートと通り崎ルートとを繋ぐ日帰り計画としました。 事前の下調べでチェックした地形図では、このあたりはあまり山っぽくなさそうに見え、気楽な寒中のお散歩程度、と言うくらいの気分で出かけたのですが、実際は違っていて、上の斜面からずり落ちてきた土砂が堆積して道形がなくなっているところや、人が歩かず手入れもされていないまま藪に埋もれかかっているところがあったりで、意外な手応えがあり、面白く歩けました。 随所で目にした展望は絶景と形容しても誇張ではない程の粒ぞろいでした。 無風で温暖な晴れ日としては稀なほど大気が透んでいて、駿河湾の向こう側の富士山だけでなく、内陸深くに雪稜を連ねる南アルプスの全山まで見ることができたのは望外の幸運でした。 ☆行動時間 宮崎台[7:05]=あざみ野=[7:33]新横浜[7:46]=(コダマ635号)=[8:19]三島[8:31]=(伊豆箱根駿豆線)=[9:08]修善寺[9:25]=(新東海バス)=[10:26]駿豆学園(10:39)-里山園地入口(10:43)-里山園地周回路入口(10:48)-水槽(10:53)-里山園地頂上(11:00/11)-丸山城跡入口公衆トイレ(11:26)-熊野神社(11:30/35)-大守院富士見観音(11:39/41)-富士見園地入口(11:45)-富士見園地丸山城跡(11:54/57)-車道横断(12:06/08)-丸山園地出城跡(12:14/16)-丸山コース出口(12:23)-君沢橋(12:33)-浜橋(12:36)-八木沢丸山コース終点(12:40)-通り崎コース入口(12:49/13:10)-文政石碑の曲がり角(13:17/18)-文政石碑の東屋(13:23/25)-土肥港 0.8Km 道標(13:36)-通り崎コース終点(13:58/14:02)-セイジョー土肥店の歩道橋(14:06)-土肥マリンホテル裏の橋(14:10)-松原公園(14:18/21)-(14:24)土肥温泉バス停[14:52]=(新東海バス)=[15:42]修善寺駅[15:50]=(駿豆線)=[16:24]三島[16:50]=(コダマ662号)=[17:28]新横浜=あざみ野=宮崎台 ☆ルートの概況 西伊豆は日帰り山行が可能な範囲の限界に近い所にある山域です。 前回、雨でスキップした戸田-井田コースと組み合わせた一泊二日の行程とし、年相応のゆっくりペースで歩きたいと思っていたのですが年の暮れで予定が詰まり、山行日の設定がむずかしくなったので戸田コースを割愛し、日帰り計画に縮小しました。 このくらい遠くにある山へ日帰りをしようとすると、ルートファインディングか何かでちょっとトラブると、計画通り歩き切るのが難しくなりますが、その反面、狙い撃ちで好天日を選んで出かけ、きれいな景色を見ながら楽しく歩いて帰ることができる利点があります。 |
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新幹線三島駅から駿豆鉄道に乗り継いで修善寺へ。 駅舎の中にコンビニや寿司屋があって行動中の飲食に必要な物はすべて現地で調達できることを確かめた上でバスターミナルに行き、松崎・堂ヶ島行きバスに乗り継ぎました。 昔、土肥はとても不便な僻遠の町だったと記憶していますが、長いトンネルで船原峠の下を潜り抜けたあと少し山道を下るとすぐに土肥の町で、戸田と大して変わらない時間で行き着きました。 駿豆学園バス停は土肥の海沿いを走ったあと南側の山に上がってひと走りした所でしたが、まわりは山林ばかりで、校舎はおろか人影も見えません。 |
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地図アプリで現在位置を確認した上で東の山に分け入ってゆく舗装路に入りました。 左側の擁壁の上に蜂の巣箱が並んでいるのを見て先に進むと左手に分岐している道の入口の角に丸山コースのイラストマップ看板が立っていました。 想定ルートを書き込んだ地形図と、看板の絵図と、Android 端末が表示している現在位置とを照合した上で先に進み、緩やかな坂を登ってゆくと "変則四叉路" に差し掛かりました。 左の山に上がってゆく道の入口に立っているイラストマップ看板の前を通って正面の舗装路を進みました。 |
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この道の入口の左側には、岐阜県根尾村から来た薄墨桜と、右側には三春から来た滝桜の、それぞれの二世樹が立っていてます。 道の両側は土肥桜の並木道になっています。 伊豆の春は早いでしょうから花期を逃さない時期を計って再訪すれば素晴らしい花見ができそうです。 ひと登りした所に土手があってその上に上水道の水槽がありました。 |
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水槽の左脇の山腹に設けられた手摺り付き歩道を登って行った所で左折して尾根の背に向かう所に立っている桜の根方には三春滝桜二世と記したプレートが立てられていました。 |
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尾根の背は防火帯のような切り開きになっていて、左側の林の縁に生えている椿の大木が満開になっていました。 近づいてみると八重よりもっと多くの花びらが房のように付いている珍しい花が咲いていました。 |
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椿の先をひと登りした高みに東屋がありました。 屋根の中心から突き出している赤塗りのトンガリ帽子が目立ちます。 |
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里山頂上東屋の展望 (画像をクリックすると拡大) |
東屋の軒下に立つと土肥湾の向こうに戸田との境の山の尾根が横たわり、その左奥に富士山が見えました。 前回、大瀬崎あたりから見た富士山は海の向こう側に高く聳えて迫力がありましたが、ここまで離れるとかなり小さく見えます。 そのかわり、まわりの海、山とよく馴染み、格段優美に見えます。 |
東屋の西側は以前園地として整備されていたようですが今はヤブに覆われた斜面になっています。 密藪の盛り上がりかと見えた生垣の中に、「土肥町-藤枝市大東町 友好の碑」 と刻んだ石碑がありました。 |
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友好碑の脇か南ア連峰 (画像をクリックすると拡大) |
石碑の左脇の尾根の背に立つと駿河湾対岸の山並みの奥の方に連なる南アルプスの雪稜が見えました。 山の形から荒川岳、赤石岳、聖岳あたりに違いありません。 |
西側の尾根を下ってゆくルートは、ほとんど人に踏まれていないようで、道形は残っていも路面が緩んでフカフカになっていました。 |
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里山南尾根から南ア連峰 (画像をクリックすると拡大) |
頂上から一段下ったところに視界が開けた所があり、 「南」の連山のほとんどすべてが見えました。 思いがけず出遭った雄大な山岳展望を前にして、しばし追憶に浸りました。 60年あまりもの昔からふた昔ほどまで前までは、年末から正月にかけての数日間、あの尾根筋の何処かにいるのが慣わしでした。 |
消えかかっている道形を拾いながら高度を下げて行くと足場パイプを組み合わせたトンネルがありました。 身をかがめないと進めないくらい低いトンネルですが、葉の大きな太い蔓が覆っていて、もしこのトンネルがなかったらとても通過するのが難しい状態になっていたに違いありません。 |
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トンネルを抜けると間もなく変則四差路のイラスト看板の脇に降り着きました。 先刻登ってきた道をブラブラ下ってゆくと、正面の駿河湾の海の向こう側に山並みが見えました。 南ア末端部の常光寺山上から秋葉山あたりの山並みでしょうか? それとも興津あたりの浜石岳から薩埵山の連なりでしょうか? |
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アメリカ西海岸風の、どこかの会社の保養所のような建物を通り過ぎた所から右手に分岐している道がありました。 分岐から入ってみると僅か先に左のような新しい公衆トイレがありました。 |
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トイレの先は数台の車が停められるくらいの広場になっています。 その先へ進む道の入口に左のような道標が立ち、腕木に「富士見園地 0.7Km」、「八木沢バス停 1.9Km」 などと記してありました。 道標の指示に従って山畑の中を下ってゆくところは、まわりが開けて海と山を見渡し、明るく爽快な雰囲気です。 |
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ひと下りした右手に神社がありました。 山を背に立っている小じんまりした社殿の下に学校の校庭のような広場があり、軒下には熊野神社の扁額がかけられてありました。 以前読んだ何かの本に、「クマノ」は僻遠の山野のことを言うと、書いてあったように憶えています。 西伊豆の片隅のこの辺りもまさに「クマノ」だった事に違いありません、 |
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神殿の袂でひと休みしたあと、広場を横切って鳥居の上まで来ると下の林の梢の上に富士山が見えました。 下の台地にある畑と村を守る神社が、海の向こうにそびえ立つ冨士の高嶺に棲まう神を遥拝できる場所に祀られているのを見て、昔の村人の思いに触れたような気がしました。 |
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神社の下に山畑が広がり、土手の草むらには黄色の可憐な花が咲いていました。 直径1.5cm、長さ4cm ほどの筒状の花はあまり見たことがありません。 家に帰ったあと、コンピュータで検索しても判然とせず。 ルエリア・マクロフィラ・ルテア【Ruellia macrophylla var. lutea】 というのがこれに近いのかなぁ、という程度までしか分かりませんでした。 |
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山畑の中の道を下って国道に出た所に大守院という弘法大師ゆかりのお寺がありました。 道路沿いの細長い境内には、失せ物が戻ってくる功徳があるという庚申塔や富士見観音が並んでいました。 |
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ひと息入れながら観音様にこの日の安全を祈ったあと県道に沿って僅か北上すると山に登ってゆく道の入口に道標がありました。 山に上がった所で後ろを振り返ると海に面した大久保の家並みが広がり、その奥にいま降りてきた山が見えました。 |
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斜面を斜めに横切って登ってゆく道は竹薮の中で、道形自体は至極明瞭でしたがあまり人が歩いていないようで路面が軟弱になり、枯れ枝や落ち葉が積もって歩き難くなっていました。 |
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竹藪のトンネルの中に立っている道標に八木沢バス停まで 1.3Km、富士見園地まで 0.1Km と記した腕木が取り付けてありました。 |
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富士見園地付近の展望 (画像をクリックすると拡大) |
道標から僅か進んでところで左手に視界が開け、土肥湾の水面の向こうに戸田境の山と富士山が並んで見えました。 西伊豆歩道は無名のむさ苦しい低山ながら、所々にこのような素晴らしい展望スポットがあり、とても贅沢な展望ウオークができるのが嬉しいです。 |
開けた場所に小綺麗な東屋がある富士見園地は、眺めの良い休み場になっていました。 このあたりはのちに北条の水軍になった海賊の根拠地だった丸山城の跡で、軒先に据えられた解説板に豊臣軍の小田原攻めで滅亡するまでの歴史が記されていました。 |
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広場の下手に残っている竪堀の跡を探ったりしながら山道を下って行くと、曲輪の跡と思われる回廊状の平坦地があり、その裾に大石を積んだ石垣が残っていました。 |
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やや急になった坂道を下ってゆくと下の方に舗装路が見えてきました。 降り立ったところは国道で、左右両側が急カーブになっているため、山のかげから飛び出してくる車に要注意です。 注意して道路を横断し、向かい側のルートの入口を探ったところ、「こころ」 と記した看板の後ろに隠れるような形で道標が立っていました。 |
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道標の脇から急降下して国道の法面を下り、左手に人家を見てその背後から丸太階段の道を登りました。 |
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ひと登りした所にある三叉路の角に立っている道標に従って鋭角に右折して巻き登ると小さな山の天辺が平らに均された広場に登り着きました。 こじんまりした広場の奥手に左のように「丸山城址 (出城)」 と記した標柱とイラストマップ付きの解説板が並び立っています。 |
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ひと息入れたあと、標柱の後ろにある祠を拝み、登ってきた道を戻って分岐の先に進み、笹薮の間の急な坂を降りてゆくと波音が近づいてきました。 間もなく海辺の舗装路が見えてきて、道路に出る所に丸山コースの終点を示す標柱が2本、ゲート状に立っていました。 |
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八木沢海岸の展望 (画像をクリックすると拡大) |
防波堤沿い道路を進んでゆく所からは海側の景色が見えないので途中にあった階段を登ってみたら左のような景色が見えました。 穏やかな晴れ日で、いとも穏やかな眺めになっていましたが風が強く海が荒れている時に来たら全く違った景色が見られるに違いありません。 |
道の右手は山裾が凹んでポケット状の平地ができていて、地図には丸山スポーツ公園と書き込まれています。 昔は浅い湾入になっていて、丸山城の出城の懐の船溜まりになっていたそうです。 家並みに入るとすぐに川を渡りました。 川口の大きな水門を見て、前の年に歩いたみちのく潮風トレイルで見た巨大な水門とその内側の草原の中に立っている津波被害者慰霊碑を思い出しました。 道端に立っている津波標識は海抜1m とか2m とかでしたが、三陸海岸のような津波被害の遺跡が見当たらないのは地形の違いによるのでしょうか? |
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八木沢の集落の中を進んでゆくと、棕櫚並木の庭のホテルがあって、まるで南カリフォルニアのような雰囲気になっている一角がありました。 |
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大小の民宿がある集落を通り抜けて国道に出ると道路の向かい側から山に入ってゆく道がありました。 入口の石垣にイラストマップ看板が取り付けてあり、ここが通り崎ルートの始点であることを示していました。 好天に恵まれて計画ルートの前半を順調に消化でき、時間的な余裕がたっぷりあるのでルート入口の橋の袂にある小屋の前庭にザックを下ろしました。 小屋の軒下に腰を下ろし、あたりを眺めながら飲み食いをしていたら近くの地面をアリが歩いています。 温暖な伊豆では、冬でもアリが活動しているようです。 |
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長い休憩のあとルートに戻り、イラストマップ看板の前から始まる舗装農道を登ってゆくと道端に道標が立っていました。 鋭角に折り返して山に上って行く道の曲がり角に 「右 やまみち」、「左 といみち」と刻んだ青石の石標が立っています。 |
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左折して折れ登ってゆくと先刻歩いてきた丸山城の山と八木沢の村が見えました。 |
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ひと登りして尾根の背に上がったところに東屋があり、その脇に人の背丈ほどの石標が立っていました。 石標の前にある解説板には、文政の頃、このあたりで道に迷う旅人が多く、中には追い剥ぎに遭う者もあったりしたので八木沢の村長が道標の石標を立てた、と記してありました。 |
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道標の先のルートはかなり急な斜面を横切ってゆく形になっていました。 上の斜面からずり落ちてきた土砂が積もって道形がなくなり、ウッカリすると道迷いをやらかしそうな状態になっています。 ルートは大体分かるものの、注意していないと左下に滑落するおそれがあります。 雨季で足許が軟弱になっているときは危険かも、と思いました。 |
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通り崎の急斜面を通り過ぎると道形が明瞭になって歩きやすくなり、やがて 「土肥港 1.8Km」 と記した道標が現れました。 |
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最前から左下に建物が見えるようになっていましたが、少し開けた所に出ると左のような大きな廃墟の裏手に出ました。 外壁が全て取り外された建物の中の壁に様々な落書きが描かれているのが見え、まわりのきれいな景色と近くの荒廃が日本離れした風景になっています。 |
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廃墟の裏側を通り過ぎると左下に土肥港の海岸が見えてきました。 港の向こうに延びている弓なりの砂浜は西伊豆随一の観光地の美景です。 |
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コンクリート階段を折れ下って国道に出たところに大きなルートマップ看板があり、その横に立っている銀杏の大木が黄葉の盛りになっていました。 道路を渡った所にコンビニがありました。 店に入ってみたものの、特段必要な物もなかったので何も買わずに外に出ました。 |
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土肥碑港の展望 (画像をクリックすると拡大) |
コンビニの隣はドラッグストアーで建物の背後に回り込むと土肥港が一望になる岸壁がありました。 ここまで来ると戸田との境の山が高くなって富士山はその陰に隠れ、見えません。 |
土肥海岸から南アの展望 (画像をクリックすると拡大) |
歩道橋を渡った先から始まっている砂浜に出て波打ち際を歩きました。 昼を過ぎて大気が濁ってきましたが、海の彼方を見つめると、うっすら見えている駿河湾対岸の奥に連なっている二重の山並みのその奥の中空に、午後の日に煌めく赤石の山並みが幻のように浮かんでいました。 |
打ち寄せる波で締まって歩きやすい水際を歩きました。 土肥マリンホテルを通り過ぎた陸側は松原公園と呼ばれる所で松の大木が林立しています。 林の中に遊歩道があり、浜との境には半円形のステージが設けられていました。 |
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松原公園を抜けた所に観光案内所があり、その前に土肥温泉バス停のポストが立っていました。 好天に助けられ、とても順調に歩いてこの日の行程を終わりました。 予定より1時間早いバスにも30分超の待ち時間がありました。 少し先の高みに立っている銅像が見えたので行ってみたら若山牧水の銅像でした。 「花の頃に来慣れてよしと思えりし、土肥に来てみつその梅の実を」 という歌碑が並んでいました。 |
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銅像の前に立って歩いてきた方を眺めると、この日に歩いた山がなかなか格好の良い山に見えたのは手前味噌でしょうか? |
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<ルートの詳細> ヤマレコの山行報告 |
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ルートマップ GPX ダウンロード |
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☆おわりに 年の暮れの好天日を選んで出かけた日帰り山行は、稀な快晴に恵まれ、とても楽しい展望ウオークとなりました。 ルート上に藪や土砂のため、かなり通り難くなっている部分があったのは前回と同様でしたが、想定外だったのは大気の透明度でした。 駿河湾対岸の山並みの奥深くに連なる新雪の南アルプス連峰を眺めることができ、60年あまりもの昔に親しんだ "南" の雪稜と再会、胸を熱くする機会に恵まれたのは、望外の幸せでした。 西伊豆歩道は大瀬崎から松崎までのようですが、その先は半島先端の石廊崎まで、南伊豆歩道と名前を変えた歩道が断続しているようです。 みちのく潮風トレイル、信越トレイルを並ぶ山巡りテーマとして、西伊豆から南伊豆の海沿いウオークに取り組むこととし、順次トレースして行きたいと思っています。 <参考> 前回の西伊豆歩道ウオークの記録: 1回目: http://www.geocities.jp/y_saidajp/16Mt/NisiIzuTrail1_16A/NisiIzuTrail1.html 2回目: http://www.geocities.jp/y_saidajp/16Mt/NisiIzuTrail2_16B/NisiIzuTrail2.html |
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