小幡 国峰城址・大日峠 (2016.3.21) |
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☆期日/天気/山行形式: 2016年3月21日(晴) ホテル泊2泊3日山巡りの1日目 ☆地形図(2万5千分1): 上野吉井(長野3号-2) ☆まえがき 春がきたので冬の間中断していた西上州吉井南山探訪を再開しました。 高崎駅前に二晩泊まって3日の山歩きをする計画にしましたが、初日は彼岸の墓参のあとに足慣らしをすることにして、吉井の西隣の甘楽町内にある小幡城山の国峰城址を訪ねました。 城の大手口にあたる御殿平から頂上の本丸跡まで登ったあと、南側へ下って西に回り、西尾根上の鞍部で城の搦手にもあたる大日峠を越えて帰る周回ルートを設定しました。 晴れやかな春分の好日に恵まれ、険阻な山城跡の要所で好展望を楽しみ、かつて多くの人馬が行き交ったと伝わる古い峠道の風情を味わいました。 |
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大日峠北麓 枇杷久保から妙義・浅間の展望 (画像をクリックすると拡大) |
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☆行動時間 宮崎台=溝の口=大手町=東京[8:12]=(ハクタカ#555)=[9:06]高崎[9:25]=(上信電鉄)=[9:49]吉井[10:39]=(上信電鉄)=[10:54]上州富岡[11:30]=(乗合タクシー額部線岡本回り 300円)=[11:52]東(11:57)-善慶寺原交差点(12:09)-中ッ沢長善寺(12:32/35)-城集落(12:56)-御殿平(13:15/45)-城山頂上428.4(14:11/30)-小平(14:55/15:00)-大日峠(15:06/10)-枇杷久保(15:30)-国峰三叉路(15:44)-中ツ沢長善寺(15:56)-善慶寺原交差点(16:27)-(16:35)東バス停[16:58]=(乗合タクシー額部線野上回り)=[17:05]宮元町-(17:15)上州富岡駅[17:49]=(上信電鉄)=[18:30]高崎{駅前ホテル泊} ☆ルートの概況 |
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この日の山行は彼岸の墓参を済ませたあとのため、昼前に墓参りをする時間を確保できるよう髙崎まで新幹線を利用しました。 墓参が予定していたより短い時間で済んだのでその分早い時間に上州富岡駅に着きました。 駅から登山口となる中ッ沢長善寺まではタクシーを利用してアプローチする予定にしていたのですが、富岡駅で様子を聞いたら 30分ほどあとに出る定期運行の乗合タクシーに乗って 2Km ほど手前の東バス停まで行ける事が分かりました。 |
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待ち時間を利用して駅近くの「お勝手市場」で行動食を調達。 乗合タクシーは隣の駅の近くにある病院などを回ったあとで町の外に走り出します。 東バス停に着くのに20分余りもかかりましたが、その分街の様子をよく見ることができました。 東バス停は上信道の高架橋の下をくぐった先で善慶寺から高瀬へ通じている県道に突き当たるT字路の角にありました。 |
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バス停から東へ 400m あまり進んだ所が善慶寺原の十字路です。 右折して南に向かう道の曲がり角に「国峰城址入口」と記した看板が立っています。 |
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角を曲がってから 10分ほどの田圃のあぜ道入口に左のような立て看板が立っていました。 この辺りに国峰城の外堀があって、その名残の水溜りが蓮田になっている、と記してありました 近くには紅葉山公園がありますから次に来た時には訪ねてみたいと思いました。 行く手には城山と思われる山が見え、その背後には甘楽町南山の稜線が連なっています。 |
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恩田の集落に入ると道が徐々に右手へ曲がって行き、川に沿うようになりました。 やがて山を背にした高台の上にある長善寺の石段の下に着きました。 石段を上がって様子を見たら、普通の民家のような建物がありましたが玄関先に墓参用の水桶が並べてあるので寺の本堂であることが分かりました。 寺の石段を下った所に架かっている橋の袂に「←国峰城址入口」と記した道標が立っていて、川をわたって南に進めば城山に行ける事が分かります。 |
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川を渡ると山裾の梅畑の脇を緩やかに登って行くようになり、行く手に城山らしい山影が近づいてきました。 国峰へ行く道が右手に分岐している所に道標が立っているのを見て先に進むと谷間に分け入ってゆくようになります。 |
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城の集落に差し掛かろうとするところで左側の山裾に公民館があり、その庭先に引き出されたホースから水が流れ出していました。 飲んでみたら山の水ならではのまろやかな甘味のある味でした。 |
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城集落の道が右手に曲がった先で左手に分かれている道があり、「国峰城跡」への道標が立っています。 |
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分岐を入ると道は一段と狭くなりました。 |
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路肩が崩れかかったり竹藪が倒れかかったりしている超悪路で普通車ではとても無理で、オフロードバイクか軽トラックでそろそろ進むことしかできそうもありません。 |
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薄暗い森の中に林道の交差点あり、どちらに進むか迷いましたが右手が明るいのでそちらに行ってみたら開けた所に出ました。 大雨で出来たと思われる溝を渡って先に進むと山畑の上に広がっている台地に出ました。 3段に分かれていると言われる御殿平の中段のようでした。 園地として整備はされていず農作業の廃材と思われるものが置いてあったりしましたがまわりが開けて眺めがよく、遠くに赤城山などが見えましした。 |
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国峰城跡 御殿平中段 (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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上毛の山並み (クリックすると拡大) |
台地の奥手の縁まで行ってみると足元の段差の下に墓石があり、その先の山畑の先に視界が広がりました。 畑の下の人家の屋根の先に平野が広がり、遠くに榛名山、大峰山、武尊山などが見えました。 |
広場の奥から山の方へ行く道があったので様子見がてら踏み込んでみました。 |
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竹やぶが倒れかかったりして車は通れないものの歩くには差し支えなく、グルっと回りこむとパッとまわりが開け御殿平の一角に出ました。 綺麗に整備された園地になっていて、「小幡国峰城偲碑」と刻まれた石碑が立ち、野外ベンチも置かれています。 |
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御殿平が確認できたのでタブレットで表示する地形図を大縮尺にし、GPS 座標を参照しながら頂上に向かいました。 広場奥手の左手から西に延びている道に入ると頂上は右上にある筈です。 |
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右上を見上げながら進んでゆくと尾根の背の左側に沿って頂上の方へ向かう竪堀が明瞭に認められました。 山腹を登り降りしている踏み跡が幾筋か見られ、結構な数の人が踏んでいるような雰囲気があったのでそのひとつに入ってみたら僅か登った所で正規の歩道に出合いました。 こちらは急な所が丸太階段になっていて誰でも歩けるようになっています。 |
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ひと登りした所に「段」がありました。 幅3、4m の帯状の平地が横に延びていて、塀を巡らせた防御線のような設備の跡地のように思われました。 |
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(クリックすると拡大) |
歩道に戻ってわずか登ると尾根の背で、北の方の富岡方面への視界が開けていました。 |
折り返してもうひと登りすると細い土橋を渡った先に鳥居が立っているのが見えました。 |
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上毛の山並み (クリックすると拡大) |
鳥居をくぐった所からもうひと登りして細尾根の背を登り上げると、頂上にあった本丸跡の祠の前に登り着きました。 直径が精々 10 から 15m ほどの丸い広場で、それほど大きな建物があったとは思えません。 戦国時代初期の城は、山上の砦だったと思った方があたっているようです。 |
妙技と浅間 (クリックすると拡大) |
北側の林の向こうに榛名山が見えました。 |
登ってきた道を戻って見たら下の方も歩き易い良い道でした。 |
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僅かな時間で下の幅広の道に降り立ちました。 出口には本丸跡入口を示す道標が立っていました。」 |
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折り返すように右折して西に向かってゆく所には大きな切通しがありました。 これも城構えの一部だったのかも知れません。 |
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幅広の道を進んでゆくと両側から倒木が被さっている所がありました。 軽トラックぐらいは通れそうな道ですが、徒歩でも枝を手で押し分けなければ通過できないくらいの状態になっていました。 |
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坂を下ってゆくと鉄砲を持った猟師が立っていて、動物はいませんでしたかと聞かれました。 最前から麓の方で犬が鳴いていたので人家があるのかなぁと思っていましたが、そうではなくて鹿か猪を追う猟犬の声だったのでした。 左手が開けた所に出ると谷の向かい側に秋畑の奥に連なる尾根筋が見えました。 |
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小平集落の最奥の家の横手から西に上がってゆくと山畑の先に小幡天狗山の尾根筋が見えました。 下の方にごく浅い鞍部の左側の僅かな盛り上がりが天狗山のようです。 綺麗な形の尾根筋で、ぜひ早い時期に登ってみたいと思いました。 |
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西向きに登って行った先で鋭角に折り返すと竹藪の中に入りました。 路面が柔らかくなっているのは、人があまり歩かなくなっているためです。 |
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やがて大日峠の頂上に着きました。 大きな庚申塚碑をはじめ、数基の石碑が立っていて昔日の繁忙を偲ばせます。 東に登ってゆく尾根の背に入ってみるとかなり明瞭な踏み跡があり、この尾根の背を伝わって行けば国峰城の搦手に到達ができそうです。 |
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峠の切通しの西側の台地の上にお堂が立っていました。 破れた格子戸の中を覗いてみると棚の上に神仏像がいくつか並んでいました。 峠の名が大日峠ですから、真ん中の像は大日如来ではないでしょうか? |
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峠に北側へ下ってゆく道は軽トラックぐらいなら十分通れそうな幅でしたが、枯れ枝が積み重なり、ところどころに倒木が被さっていて徒歩でも通り難いくらいになっていました。 |
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左側が明るくなってきてもうすぐ人里か、と思い出した所に左のような竹藪の倒木帯があり、下手な藪山より通り難くなっていました。 |
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枇杷久保の眺め (クリックすると拡大、スクロール) |
藪を抜けた所が枇杷久保で、パット視界が開け、山中にひっそり広がっている山畑の先に妙義、浅間から上信国境の山並みが連なっているのが見えました。 |
集落の下手に下ってゆくと立派な門構えの家がありました。 |
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枇杷久保の眺め (クリックすると拡大) |
右手に回りこんで行くと谷向いの斜面で紅梅が咲いていました。 |
国峰の集落のT字路を右折。 東に向かって進むと大光寺がありました。 来るときに見た長善寺と違って入口に立派な門柱が立っていて長い参道の奥に本土の屋根が見えました。 |
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枇杷久保の眺め (クリックすると拡大、スクロール) |
人家が断続する道路を進んでゆくと右手に城山が見えました。 小さな山ですが、いかにもお城を置きたくなるような形をした山でした。 この城に拠った小幡氏は武田、北条、上杉、豊臣のせめぎあいに翻弄された末に滅びたのですが、僅か先の山向こうにいた真田と違って、居場所が悪かったなぁ、と思いました。 |
長善寺の前から恩田を通過したあと川に左岸を進んだら行止り先に進めず。 行ったり来たりで少々時間と体力を消費しましたが、善慶寺に差し掛かる所では今どき珍しくなった桑畑を見ました。、 |
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善慶寺原の交差点には左の写真のように大きな民宿の看板がでています。 車でアプローチするときには良い目標になるでしょう。 朝方歩き出した東バス停に戻り、来たときとは逆周りの乗合タクシーで富岡に戻りました。 中心街の宮元町で下車して駅まで歩きました。 世界遺産に登録された製糸場を見に来る人が増えたおかげで通りがメキメキ綺麗になりました。 大したものを食べずに行動して空腹だったので駅前の馴染みの食堂に入り、早い夕食を食べたあと電車に乗って高崎の宿に戻りました。 |
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<ルートの詳細> ヤマレコの山行報告 |
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ルートマップ GPX 軌跡ダウンロード |
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☆おわりに 西上州は、武田、上杉、北条の三つ巴の争いが行われた地域で、その中心に拠った小幡氏は、北の方の榛名山麓箕輪上に寄った長野氏ともども、近隣の巨大勢力のせめぎあいに翻弄されました。 はじめ、武田騎馬隊の中核としておそれられた赤備えは、真田を経て、伊井に受け継がれたのだそうです。 上州人の気質のひとつとされている反骨精神は、この時代の過酷な歴史の痕跡なのだ、と言う人も居るようです。 この冬から春にかけて、滝山城、浄福寺城、鉢形城、国峰城をまわり、山城探訪の面白さが分かっ来たような気がします。 大きな山に登れなくなった老いぼれ山屋の行き先設定メニューのひとつに加えたいと思っています。 |
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