![]() みちのくお山巡り[2-1] 和賀岳・角館・十文字(2007.8.21-23) ![]() |
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☆まえがき 7月末に真昼岳に登り、真近かに和賀岳を見た。 そのあと裏秋田駒にまわり、千沼ヶ原など歩いて帰ったが田沢湖駅からもその山の連なりが見え、俄かに、とても気に懸かる山になった。 あらためて手許の資料で調べてみたら、岩手側と秋田側、いずれからもルートが開かれているが双方とも距離が長く、これをこなさない限り頂上に立つことができないと分かった。 耐久力ガタ落ちの老体でこの難物にどう立ち向かうか? 色々考えたすえ、秋田側の真木渓谷奥の甘露水登山口から1時間ほど登った旧薬師小屋跡にテントを張り、そこから頂上に往復すれば割と楽なのではないかと言うアイデアに到達した。 テン場から薬師岳、小杉山を経て頂上まで、登り3時間半、下り2時間半、往復6時間の道のりだがサブザックならバテることもあるまい。 谷の出口近くに奥羽山荘という温泉保養所があるので登頂のあとそこに宿泊することしたら登山口まで迎えの車を出してくれるという。 宿まで車で運んでもらえれば、そのあと、ユックリ温泉に浸かって休息できる。 一応待ち合わせの時間を設定したが、頂稜部から携帯が繋がるということなので状況によって適宜調整することもできる。 ただひとつ心配だったのは天気だった。 単独行の幕営は、本降りの雨に遭うとかなり厳しくなる。 例によって、週間予想天気図のウオッチを始めたが、どうも状況が芳しくない。 下手をすると大雨に遭う可能性も見えてきた。 雨を想定した場合、最善の計画はどうか? この山域のルート整備を行い、山案内もしている地元の人に電話で相談してみたら、甘露水登山口の手前に新しい小屋ができているからそこを利用するとよい、と勧めてくれた。 小屋起点だと、登り降りあわせて2時間近く頂上が遠くなるが、雨が降っても快適に泊まれ、終始サブザックで歩ける。 急遽計画を変更し、装備の一部入れ換えを行った。 |
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![]() 2007年6月(?)、甘露水登山口下に新築された公衆トイレ兼休憩所。 少人数の仮泊所としても利用でき、和賀岳登頂の足場として利用価値が高い。 |
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☆行動記録とルートの状況 8月21日(曇のち雨) <タイム記録> 宮崎台[8:46]=大手町=東京[9:56]=(コマチ#13)=[13:17]角館[14:30]=(羽後交通バス六郷線)=[14:48]砂溜=[Taxi \4420]=休憩所小屋(15:30/35)-甘露水口(15:45)-(15:00)休憩所小屋{泊} ◆ 秋田新幹線、羽後交通の路線バス、地元のタクシーと乗り継いで行けば、山深い小屋まで歩かずに行き着ける。 前回と同様、朝のラッシュが過ぎる時間を見計らってユックリ出発した。 遠い角館も通い慣れ、もう見知らぬ町ではなくなった。 角館駅前の羽後交通バス乗り場は駅前右手の蔵造りの観光案内所の裏手にある。 待ち時間がタップリあったので、駅の脇のレトロなカフェテリアに入ってざる蕎麦を食べ、案内所で和賀山域の案内パンフレットを貰った。 |
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この山域一帯は "真木真昼県立自然公園" としてルート整備が行われおり、白岩岳(1177)から小杉山(1229.4)・和賀岳(1440.2)、風鞍(1023)、鹿ノ子山(937.7)を経て真昼岳(1059.9)、女神山(955.8)まで、縦走ルートが開かれているようだ。 山麓に数日の宿を取り、あちこち登り歩けば面白いかも、と思った。 バス停に行き、少し待って六郷行きに乗った。 仙北平野の田圃の中を15分ほど南下して砂溜(スナダメ)に着いた。 ここで地元のタクシーに乗り継ぎ、東の山脈にVの字に彫りこまれている真木渓谷に向かった。 |
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例によって走りだした車の中で地元情報の収集を行なった。 今日泊まりに行く小屋は今年の6月頃建てられたようだ。 仙北平野の田圃の中を横切って谷間に入ると砂利の林道になる。 もともとは林業のために開かれたのだが、山菜取りや紅葉見などで利用する人が多いため、地元の町が予算を取って定期的に補修していると言う。 谷の途中は狭隘で、そのあたりの急坂急カーブはかなり荒れ気味だ。 奥に入ると地形が緩み、小平地があったりする。 小路又(コジマタ)と呼ばれる広場の先の橋で右岸に渡るとすぐ、小平地の脇に新しい小屋があった。(→冒頭写真) |
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入口の階段の横に立つ標柱には "薬師岳登山口公衆トイレ、甘露水口→0.7Km、小路又→0.3Km" と記してある。 "トイレ" というので臭いかもと思ったが奥手に四つ並んでいるトイレは水洗式で綺麗で匂わない。 左の写真のように入口寄りに3×4m の床が張ってあり、その上に2×4m ほどの中二階がある。 虫除けの網を張った大きなガラス窓で明るい。 大型のテーブル、屋内用物干し台、箒とモップ、殺虫スプレー缶まで置いてあった。 |
水は入口の横に引いてあった。 "飲めません" という断り書きが貼ってあったが煮沸すれば問題ないだろう。 落ち着いた所で甘露水口まで足慣らしを兼ねた偵察に行ってみた。 小屋のすぐ先にあるヘヤピンカーブで高度を上げ、いくらか草生した砂利道を進むと10分あまりで甘露水口に着く。 小広場の左手から山に入る道が薬師岳・和賀岳への登路で、その数m 先に甘露水の清水がある。 広場の先を直進すると甲山の方に行け、大甲から薬師岳をまわって降りてくることもできるらしい。 水場の水を飲んで小屋に引き返したがヘヤピンの上あたりまで戻って来たところで大粒の雨が降り出した。 西の方から生暖かい風が吹き込み、雲行きが剣呑だ。 小屋に戻って夕食を食べた。 良くやる手で、車中で調達した幕の内弁当と即席味噌汁の組み合わせ。 簡単でバラエティーがあって美味く、山中の最初の夕食として最適だ。 ほかに誰も居ないので広々した床にマットを敷き、ゆったり寝た。 遅くなるにつれて間歇的に激しい雨が降るようになり、夜中には屋根に当たる雨の音で目が覚める程となった。 |
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8月22日 (雨のち曇) <タイム記録> 休憩所小屋(7:40)-小路又(7:45)-七滝沢林道分岐の下(7:55)=[Taxi \3600]=(8:30)奥羽山荘{泊} ◆朝方になっても雨はますます降り募った。 切れ切れに入信しているラジオは仙北地方に大雨洪水注意報が発令され、過去20年ほどでもっとも山崩れの危険性が高くなっていると知らせている。 せめて薬師岳まで、それも駄目だったら滝倉小屋跡まで、と思っていたがどうもそれどころではない状況になった。 道でも崩れて不案内な山中に孤立すれば、あとの旅程にまで影響がおよび、この山旅全体がポシャッてしまう、と思ったので朝のうちに脱出することにした。 雨衣を着けて小屋を出発。 小路又の広場に差し掛かると向こうからタクシーが走ってきたので目を疑った。 角館の車で女性が二人乗っている。 こんな大雨で洪水警報まで出ているのに態々山に入ってくるのは勇敢というべきか、無謀と言うべきか? 七滝への林道の分岐点を過ぎた所へさっきの車が戻ってきたのでこれ幸いと乗り込んだ。 小屋の前で下ろした女性二人は午後3時に迎えに来る約束になっていると言う。 |
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谷の下手では降りが弱かったが、田圃の中に出て南向きに走りだした頃から篠突く強烈な雨になった。 8時半前に奥羽山荘に着いた。 非常に大きな建物で、日帰り入浴と、集会と、宿泊ができる。 朝早すぎてどうかと思ったが開いていて受付をしてくれた。 しばらくの間、日帰り入浴用の大部屋休憩室で休んだが、昼近くに部屋の準備ができ、そちらに移った。 山は登り損ねたが、そのかわりに甲子園の決勝戦を見られた。 |
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午後の後半に雨が止んできて所々に雲の切れ間ができた。 一日遅いスケジュールにしていたらこの時間に入山し、明日は登頂に成功、と言うことになったかも、と残念に思った。 夕方外に出てみた。 建物のすぐ先の道路から山間に入れば川口渓谷だ。 真木渓谷より穏やかながら綺麗な谷で、谷奥から県境稜線に上がるルートも開かれているようだ。 |
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建物の裏手は広大な芝生で、グラウンドゴルフ場になっている。 奥手の高みに東屋があり、仙北平野とまわりの低山の眺めがよかった。 |
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8月23日 (曇ときどき晴) <タイム記録> 奥羽山荘[9:40]=[無料送迎車]=[10:00]角館駅(10:10)-古城山入口(10:46)-古城山(10:55/11:05)-平福記念美術館-樺細工技術保存館-ショッピングセンター-蕎麦屋-(13:25)角館駅[13:46]=(奥羽本線普通列車)=[14:05]大曲[14:34]=[15:20]十文字=[送迎車]=(15:50)ジュネス栗駒スキー場 ホテルブラン < |
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◆もとの計画では和賀岳に登ったあとの休養日で、角館あたりをブラブラしたあと、焼石・栗駒山域への移動で、十文字まで南下するだけの予定だったが和賀岳に登り損ねて幾分欲求不満だった。 山荘の無料送迎車で角館に出たが、武家屋敷は前回見ているのでまた見ても面白くない。 桧木内川の土手に出て川沿いの遊歩道を古城山に向かった。 この土手は武家屋敷の枝垂桜とともに桜の名所で毎年4月下旬の花見時期には遠方からも見に来るという。 |
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古城山は思ったより町から離れていて、小さいなりに急峻な山だった。 入口は田沢湖方面へ通じている国道の脇に立っている石柱だった。 山に向かって車道を進むと稲荷神社の先に山道があった。 結構な坂の山道で、ひと汗かかされた。 中段に上がった所で後を振り返ると角館の町が目の下で、その背後の平野の彼方に山が見えた。 |
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もう一段、やや急に登り上げて頂上の広場に出た。 大木に囲まれた広い芝生の真ん中に石碑が立っていた。 碑文によれば、1424年に戸沢氏が小松山城を築いたと言う。 芝生の裏側に車道が上がってきていたので帰りはそれを下った。 雨のあと大気が交代して涼しい風が吹き、気持ちが良かった。 |
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武士屋敷の北端にある平福(ひらふく)記念美術館に入った。 江戸時代から明治時代にかけ、京都・江戸に出て学芸を修める者が多かったらしい。 平福もそのひとりで、明治の文学史に名を残す多くの人々と交流があり、さまざまな文化的な貢献をした。 同じ入場券で武家屋敷の中ほどにある樺細工技術保存館にも入れた。 "樺" と言うが実際は山桜の一種の皮を利用するもので、茶筒や小箱などでよく見る。 下駄が綺麗だったが、革靴より高かった。 |
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駅に戻りがてら、後半の山の行動食として、武家屋敷の店で干柿菓子、街中のスーパーでグレープジュースを調達した。 街角の蕎麦屋で食べた笊蕎麦は無骨な手打ちでソコソコの味だった。 横手を経て十文字まで、今はローカル線になってしまった奥羽本線の普通列車の旅は、平野の向こうに起伏する奥羽山脈の山並みを眺めながらノンビリした移動だった。 十文字駅からは宿の迎えの車に乗って焼石岳西麓のジュネス栗駒スキー場にあるジュネスホテルに行った。 |
このホテルは秋田県南東端にある東成瀬村の第三セクターが経営しているスキー場の宿泊施設だ。 もともとは、各地で西武が手がけていたリゾートのひとつだったらしい。 従業員の教育は行き届き、食事も手に余すほど豪華で居心地は悪くなかったが、辺鄙な山中で大きなアーバンホテル並みの大型施設を経営しても季節変動が大きく不安定だろう。 ちょっとやそっとの宿料を取ってもやって行くのが大変だろうなぁ、と思った。 |
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☆おわりに この山旅の目玉だった和賀岳に登り損ねたのは残念だった。 しかし、夏バテ気味だった身体をユックリ休めたし、角館の古城山に登れ、甲子園決勝戦のテレビも見られた。 奥羽山荘とその付近の山域の "土地勘" ができた。 将来これを役に立てる山旅をしたい。 |
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