東山-粟ヶ岳-倉真温泉(2005.10.13-14) |
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☆期日/山行形式: 2005.10.13−14 単独、温泉泊、ツイデ登山。 ☆地形図(2万5千分1): 八高山(静岡15号-4)、掛川(静岡16号-3) ☆まえがき 同窓会を倉真(クラミ)温泉真砂館で行うと言う連絡がきた。 静岡掛川市の奥だというがいったい何処なの?、と思いながら地図を引っ張り出して見たら20万分1地形図 "静岡" の左端の下の方に "真砂" のふた文字が見つかった。 その東隣に "粟ヶ岳" という山名が記されている。 図の上端に見える池口岳から丸盆岳、黒法師山、蕎麦粒山を経て南下してきた尾根筋が、八高山の10Km 程南、夜泣石の伝説がある小夜の中山の先で牧の原に没しようとする所で、最後の力を振り絞るように盛り上がってできた、という感じの山だ。 以前から目をつけ、一度は行こうと思っていた八高山にも気を引かれたが、新発見の "粟ヶ岳" ってどんな山なの?、と手許のローカル出版書を引っ張り出してみた。 近在のハイカーに親しまれている山で、頂上には1350年程もの昔に建立された阿波々神社があり、展望も優れている事が分かった。 頂上直下の休憩所まで車で上がり、ほとんど足を使わずに登ることもできるようだが、東山麓の東山部落から登って裏側の倉真温泉へ下るハイキングルートが整備されていて、山越えで真砂館に行けそうだ。 温泉宴会に行く前の、軽い "ツイデ登山" にちょうど良いと思った。 2万5千分1地形図と、静岡新聞社刊 "静岡県日帰りハイキング" に記されている情報のほかに、阿波々神社が、ルート図はじめさまざまな情報を、インターネットに出しているのが見付かった。 入手した情報をつき合わせて組み立てた行程のあらましは次の通り。 東海道線金谷駅からタクシーで東山(150)まで行って歩き出し、粟ヶ岳(532)に登頂。 頂上直下にある展望台茶屋(515)で休憩したあと、倉真温泉分岐(410)から松葉の滝(320?)を経て下山。 時間の余裕があれば、真砂部落の北のツト山にある百観音(200)にも立ち寄って真砂館(65)に行き、同窓会の宴会に参加する。 2日目は、"昔の学生仲間" と連れ立って掛川で観光。 山之内一豊ゆかりのお城の天守閣、二の丸御殿と美術館を見学。 さらに、資生堂資料館とアートハウスを見て解散ということになっていた。 行程の起点を金谷にしたのは、最寄り駅だったからということのほか、もし天気が悪かったら、山登りの代わりに、千頭まで "大井川鉄道汽車ポッポ" の旅をして行こうと考えたからだった。 |
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粟ヶ岳頂上直下、休憩茶屋展望テラスからの眺め。 正面は島田の市街。 左端遠くに富士山が霞んでいた。 (クリックで拡大します) |
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☆行動記録とルートの状況 <タイムレコード> 10月13日 宮崎台[7:34]=あざみ野=新横浜[8:15]=(コダマ#533)=[9:22]静岡[9:36]=[10:07]金谷(10:10)=(Taxi \2290)=(10:25)東山(10:30)-南平園地(11:15/25)-阿波々神社(11:40/50)-展望台茶屋(12:00/45)-倉真分岐(12:50)-松葉の滝分岐(13:15)-茶畑下の溜池(13:35)-松葉の滝入り口(13:45)-松葉の滝(13:55/14:05)-百観音入口(14:45)-百観音(15:05/40)-(16:00)倉真温泉真砂館{宴会&宿泊} ◆静岡で新幹線から乗り継いだ東海道線ローカル列車が島田を過ぎると大井川を渡る。 鉄橋の上で視界が広がり、前方右側の牧の原台地の上に粟ヶ岳と思われる山が見えた。 頂上に数基のアンテナが立ち、その下に植林のパターンで "茶" の文字が見える。 金谷駅で下車するとすぐに駅前のタクシー乗場に行った。 客待ちをしている車の数は思っていたより多かった。 近くにある県立のお茶の博物館を訪れる人が多いためか? |
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車が走り出すとすぐに台地に上がった。 一面の茶畑だ。 高い木がないため、見晴らしがよい。 少し走ると左前方に粟ヶ岳が近付いてきた。 丸っこくこじんまりした山で、"可愛い" と表現してもよいくらいだが、快晴の空をバックに立つ姿には心を浮き立たせる物がある。 茶畑の中で車を停めてもらい、 "茶" の字も鮮やかな山の姿をデジカメに納めた。 |
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東山は谷の詰めの緩やかな斜面にある集落で、茶畑の中に散在している人家の風情が良かった。 車道が三又に分かれている所に道標が立っていた。 指示に従って山に向う。 右上の斜面に僅かに "茶" の字を見分ける事ができた。(左) |
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クネクネと曲り登って行く車道と、茶畑の中のショートカットを交互に歩いて行くのだが、地形図と照合しても現在位置が分かりにくい。 ただ、要所に必ず道標があるので間違う恐れはない。 左のような石灯篭もあって、もともとは神社の参道だったことが分かる。 ひと登りした車道の角から東山を見下ろすと穏やかな谷と尾根を覆っている茶畑の一面の緑が綺麗だった。(下) |
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30分ほど歩いた所からは、いくらか山道らしくなり、左のような笹原の中の丸太階段を登る。 |
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繁茂した自然林に入って左手に巻き登り、樫の大木の脇を過ぎると間もなく頂上下の遊歩道に出た。 右手に古びて朽ちかけた社殿が見えたが三又路の角に立っている手書き地図の案内にしたがって左手の南平に行ってみた。 |
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東屋、水飲み場とトイレのある小奇麗な広場で、東端の柵に近付くと牧の原、金谷方面への展望が広がる。 |
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もとに戻って左に折れ、旧社殿の裏手を回って行くと "磐座" (イワクラ)に着く。 大岩が積み重なっている所で、古代の祭祀場跡だと言われている。 磐座左脇を上がった所は阿波々神社本殿の脇だった。 天平8年(西暦736年)建立と伝えられる由緒ある神社だが、社殿は新しい。 社殿の左後には遠州七不思議の "無間の鐘" を埋めたと言われる井戸がある。 粟ヶ岳の最高点はそのすぐ横手の高みだった。 |
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神殿に賽銭を上げて拝み、ひと休みしたあと、一段下の休憩所に行った。 林立するアンテナを背にした、大きな二階建てビルで、一階は土産物売場をかねた軽食堂になっている。 名物と言う阿波々ウドンを食べてみた。 近くの山でとれた葛粉を混ぜたウドンは、ツルツルして腰が強く、とても美味しかった。 |
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ゆっくりウドンを食べ、展望台になっている屋上テラスから富士山、大井川、牧の原から遠くに霞む駿河湾の展望(→冒頭パノラマ写真)を楽しんだあと下山に掛かった。 今度は車道歩きだ。 折り返しながら高度を下げて行くのだが、折り返しの振幅が大きく、こんな所まで来てしまったら倉真に行けないのでは、と心配になるほどだ。 かなり下った所に三又路があって、 "倉真温泉" と記した道標が立っていたので安心する。(左) |
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左に分かれている舗装林道は、千石林道と呼ばれ、中間に桜並木がある。 北側の尾根に乗ったところに左に分岐する林道があった。 それを下れば松葉の滝に行けそうだったが、草生して先が不安だったのでそのまま直進。 緩やかに下りながら北隣の山の中腹へ移り、しばらく歩いた所から見ると粟ヶ岳が高くなっていた。 表側は穏やかな表情だったが裏側は結構険しい。 もうすぐ尾根の鼻、と言う所に "松葉の滝" と記した道標があった。 |
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分岐点で鋭角に折り返して谷に下る。 途中、樹木の間から谷間が見えた。 この下の方に倉真温泉がある筈だ。 何時もそうだが、山を越して行って、裏側の谷間の景色が見えてくる時には、不安と安心が入混じった独特の感覚がある。 山歩きをする者だけが知るロマンの情緒だ。 谷底には茶畑があった。 秋には木の形を整えるため剪定を行うようで、それに使った自走バリカンが、道端に置いてあった。 |
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畑の下に回りこんでゆくと溜池があった。 細い沢溝にかかっている橋の向かい側の藪の中に "松葉の滝/倉真温泉" と記した道標が隠れていた。 細まった砂利道を進んで行くと右下の沢音が徐々に高くなってくる。 しばらく進んだ所で急に谷が深くなった。 多分滝はこの下にあるのだろうと思いながら進んで行くと、"松葉の滝へ300m" と記した道標が立っていた。 分岐に入ると幅1m あまりのコンクリート舗装の遊歩道になっていた。 足場の悪い谷の中を誰でも安全に歩けるよう、整備されている。 200m ほど行った所に架かっている橋で右岸に渡り、杉の大木の間を進んで行くと滝があった。 高度差約20m。 水量豊な滝だった。 流れ落ちてきた水で喉を潤しながらしばらく休憩した。 |
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もとの道に戻って進むとすぐに中松葉の部落が見えてきた。 ここも茶畑が多く、刈り込まれた茶の木の畝が綺麗な幾何学模様を描いていた。 下松葉の集落を過ぎ、廃業した温泉宿の前からトンネルを抜けると、左に分岐する道路があった。 道端に新しい石の観音像が置いてあり、そちらに入れば百観音に行けそうだったが、バスの停留場まで行けば、百観音の由来を記した看板があると言うのでそのまま直進した。 |
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倉真の集落に入った所で橋を渡ると百観音入口を示す標柱が立っていた。 バス停はもう少し先のようだったが行ったり来たりするのは面倒だったので右に折れ、谷沿いの道に入った。 行き止まりの手前で左の山に上がる道があった。 コンクリート擬似木の手摺と階段の遊歩道で、かなりの金がかかった筈だが、手入れが行われていないのと、歩く人が少ないのとで "藪ルート" になっていた。 右上では第二東名高速道を建設中で、ダムかと思うような高い土手になっている。 |
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杉林の中に、沢山の観音像が並んでいた。 最近作られた新しい石像ばかりで "新百観音" と言われているようだ。 もともとの百観音は、日露戦争で召集されていった兵士達の無事を祈願して作られたと聞いていた。 "旧百観音" はどこだろうか、とあたりを見て回ったら、藪の中に立っている標柱に "百観音" と消えかかった文字が見えた。 草薮の間の、踏跡を登って行くとあちこちに古い石碑が散在し、脇の大石に文字が刻み込まれ、"これより西国三十三観音" と記した布切れなどが見えた。 いい加減登った所から戻り、入口に立つ観音像脇の東屋で休憩した |
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また藪漕ぎはしたくなかったので車道を下った。 途中、倉真の谷を見渡せる所があった。 温和で綺麗な谷だ。 谷向いの山裾で白壁の塀を巡らせている建物が今夜泊ることになっている真砂館らしい。 宿の玄関に入ろうとする所にちょうど隣町から車で来た今回の幹事が着いた。 玄関ホール脇の茶室で幹事とともに抹茶の接待にあづかり、宿泊室や宴会場の下見に随いて歩いたあと、出迎えのバスに同乗して掛川駅に行った。 |
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同級生全員、13人が一年振りに再会した。 3人亡くなった。 生き残っている連中も、腹が出たり、頭が禿げたり、顔に皺が寄ったりしているが、その割には皆元気だった。 半世紀も昔と大して違わない書生談義をして、楽しい一夜を過ごした。 10月14日 倉真温泉真砂館=掛川城-二の丸御殿-美術館=資生堂資料館/アートハウス=掛川駅[14:05]=(コダマ#576)=[15:33]新横浜=あざみ野=宮崎台 |
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◆朝風呂に入り、ユックリ朝食を食べたあと、大部分は女将の奨めで百観音まで朝の散歩に行った。 2日続けて行っても詮無いので宿に止まり、ゆっくり食休みをしながらパッキングをした。 昨日、掛川駅に迎えに行ったレトロなボンネットバスと、車2台とに分乗して掛川観光に出発。 |
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掛川城は駅のすぐ近くだった。 掛川は何度も通っている所なのだがお城を見るのは初めてだ。 大きい城ではないが、川を見下ろす高台の上にあってなかなか格好がよい。 山之内一豊が建てたものだそうだ。 来年のNHK大河ドラマの舞台だそうだ。 おばさん達がどっと押し寄せるに違いない。 |
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本丸に上がると周囲への広大な展望が得られた。 東北の方角には昨日登ったばかりの粟ヶ岳が顕著な独立峰として格好良く立っていた。 |
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☆おわりに 久し振りのミニ山行だったが大展望にめぐり合い、期待以上に楽しい山歩きができた。 山も、高低・大小いろいろだが、それぞれ他をもって換えがたい個性と魅力がある点では、人と同じだ。 |
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