神武寺-鷹取山-追浜
(2004.1.30)
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☆期日/山行形式: 2004.1.29
単独日帰り
☆
地形図(2万5千分1): 横須賀(横須賀5号-1)、鎌倉(横須賀5号-3)
☆まえがき
三浦冨士から武山を歩いたのがきっかけとなって三浦半島の低山に目が向いた。
半島最高峰の大楠山や双子山などへの山行計画を組み立てているうちに鷹取山(125?) のことを思い出した。
若い頃、よく岩登りの練習に行っていた所だ。
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鷹
取山頂上直下の岩壁
昔お世話になった壁だが今は岩登り禁止の看板が立っている |
三浦半島のふたつ
めは最高峰の大楠山にしたい思っていたのだが大寒の冷え込みで風邪気味になったのがなかなかスッキリしない。
数日の間、様子見をしながら一日延ばしを繰り返していたが、ただ家に篭っていても埒があかないような気がしてきたので、思い切って風邪薬を服みながら山を
歩いてみることにした。
冬晴れの日を狙って出かければ、身体が温まるだろうし、血行が良くなって薬の効きも良くなるのではないかと言う考えだ。
以前、毛無連山を縦走したときはこのやり方で風邪が治った。
僅か2時間あまりで終わってしまうミニハイクだから後で疲れが出てぶり返す事もあるまい。
昔、鷹巣山へはただ追浜駅から往復するだけだったが今では "湘南の妙義山"
と言われてハイキングルートの整備が行き届き、四方から登降できる。
今回は、山の裏側の神武寺駅から登って頂上に上がり、追浜に下山する計画とした。 |
☆概略の記録
ほとんど五十年振りに再訪した鷹巣山は、山麓にぎっしり住宅が建ち並び、天辺には大きな展望台が建てられていたが
"ロックガーデン" 一帯には昔の雰囲気が残されていた。
長年山行を重ねてきてこの頃は、"一度登った山は身内" と、思う様になっていたのだが、この山は格別で、久方振りにザラザラした砂岩の感触を確かめているうちに、なんともいえない懐かしい気分を味わった。
岩登りでカッカしていた昔は、まわりの景色にはろくに目が行かなかったが、あらためて見渡してみると大楠山や武山方面へ連なる三浦半島の緑濃い山並みの展
望はなかなかの物だった。
大気が澄んでいれば、丹沢や富士山が見えるということだから、日を選んで、カメラと双眼鏡だけを持って再訪するのも悪くなさそうだと思った。
<タイムレコー
ド>
宮崎台[9:19]=[9:26]あざみ野[9:32]=[9:59]横浜/京急横浜[10:08]=[10:23]金沢文庫[10:28]=[10:
39]神武寺駅(10:45)-神武寺(11:10/15)-薬師堂-鷹取山(11:45/12:20)-(12:55)追浜駅[13:04]=[13:
24]上大岡[14:20]=[15:05]あざみ野[15:13]=[15:22]宮崎台
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アプローチルートは十日前とほぼ同じなので大分要領がよくなった。
そのお蔭で、ひと電車出発が遅かったのに予定より早めに京急神武寺駅に着いた。
駅前から通りに出て左折、六浦の方に向って7、800m
程歩いた所が神武寺ルートの入口で、左のように野外ロッカーの脇に標柱が立つている。
右に折れて進んで行く道の右側は山、左側は学校の運動場になっている。
老人養護施設の前を通り過ぎると谷が狭まる。
盆栽センターの先は谷間の岩畳の道になる。
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駅から幾らも離れないのにすっかり山の中の雰囲気になった。
分け入ってゆく谷間に朝の日が射し込んでいる。
ザラザラした砂岩の谷だが深く抉れ、かなり奥まった所でも水が流れている。 |
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谷の詰めのやや急な所を上がると稜線だった。
東逗子から上がってきた道と合流し、左手の山門を潜ると寺の境内で、奈良時代に僧行基によって建立された由緒を記した看板が立っている。
表参道を見下ろして一段上がった所で読経の声が聞こえてきたので左下を見下ろすと本堂が建っていた。 |
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さらに石段を上がった所に立派な造りの "醫王門" があって、その中に古風な薬師堂が立っていた。
薬師堂に拝んだあとその左手にから鷹巣山へのルートに入る。
はじめは石畳のかなり急な坂道(下左) だがすぐに穏やかな土の道になる(下右)。
幅広の山道は大勢に踏み固められているが常緑樹の多い暖地性の密林の中を通っているため、市街地に囲まれている山とは思われない
落ち着きがある。
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時たま、老ハイカーと擦れ違う。
挨拶を交わしながら進んで行くと鷹巣山頂上の展望台が見えてきた。
見覚えのある岩壁の上に大きな展望台が立っている。
昔、何度か登った頂上だがその時にはまだなかったように思う。
頂上の手前で左の尾根を上がる踏跡が分岐していた。
昔はここを登り降りしていたような気がしたので入ってみたが藪っぽく、どうもあまり踏まれていないようだ。
元の道に戻り、手摺沿いに急斜面を横切ってゆくとポンと頂上直下の岩壁の裾に出た。 |
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岩壁に沿って歩き始めるとなんともいえない懐かしい気分がこみ上げてきた。
この岩場は明るくて威圧感がないため、いつも遊び気分で楽しく岩登り練習ができた。
”垂直に這って登る" 岩登りは、歩いて登るのに比べて山との親密度が格段に高まる。
岩壁の裾を回りこみ、右手の尾根上の遊歩道から展望台に上がった。
足許に並んでいる小岩峰が昔の石切り場跡だということを示している。
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左手の追浜方面の景色にはも何となく見覚えがあるが、山のすぐ下に学校ができ、その周りにぎっしり家が立ち並んでいるのは初めて見るような気
がする。
山の裏側には高速道が通っていて切れ目なく車が走っている。
これも昔はなかった風景だ。
展望台の床には山名を刻んだ展望説明盤が埋め込まれ、富士山や丹沢の方向が分かるのだがこの日はほとんど風のない穏やかな天気のせいで大気が霞み、一面
白っぽいベールが掛かっていた。
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下に降りて先に進むと園地に大勢のウイークデイハイカーが来ていた。
すぐ横の小さな壁で赤いユニフォームの一団がクライミング練習をしていた。
興味があったので近付いて見るとユニフォームに "海上保安庁" と記してある。 "山岳救助隊" でないのが不思議だ。
練習場の直ぐ横にザックを下ろして登り降りする姿を眺めながら飲み食いをする。
上手でスイスイ登っている者もいるがヤッと登っている感じの下手な者もいる。
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暫くで練習が終わり、岩壁の上に登っていた者が皆降りて来た。
一番後から降りて来た青年が通りかかった。
「何で海上保安庁が岩登りを練習するんですか?」と、ユニフォームに "隊長"
と言う文字を記したその若者に無遠慮な質問をしたら、「船が崖の下に座礁すると上から降りていって救出しなければならないんですよ」、という答えだ。
なるほど、と納得する。
喉潤しと腹拵えが済んだのでそろそろ追浜に下ろうかと立ち上がったら、広場のあちこちに散らばっていたハイカーたちが集まり、一
列になって歩き出した。
全部で30人ほどもいる。
最後尾に随いていたリーダらしい年寄りに、「随分大勢で来ていたんですね」、とまた無遠慮な質問をしたら、「今日は偵察なんですよ」、という答えだった。
葉山の双子山の方から尾根伝いに縦走してくるロングルートがある。
今日はその "練習" なのかも知れない。
もしそうなら、こちらと似たような事を考えているという事になる。 |
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パーティの後に随いて歩いていたが、昭和40年に出来たという摩崖仏の前で立ち止まったので先に出て手早く山を下った。
山の下にはスーパーがあり、その先には閑静な住宅街が広がっていた。
通りがかりの女性に駅への道を確認して先に進む。
時々車が行き来する舗装路だが昔は所々に水溜りのある土の道だったような気がする。
かれこれ半世紀も昔のことだが、"三つ道具"
を収めたザックを背負い、トリコーニ鋲を打ったゴツイ山靴を履いて追浜駅の近くを歩くときに感じた妙な違和感を思い出した。
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踏切を渡って右に折れ、数分歩くと追浜駅だった。
時間が早かったので、途中の上大岡駅で降り、ショッピングセンターに立ち寄ってパソコンソフトを購入し、横浜市営地下鉄に乗り継いで家に帰った。
☆おわりに
数年前の残雪期に、毛無連山の縦走をした時、幾分拗れ気味になって良くならない風邪に業を煮やし、なかばヤケクソになって風邪薬と抗生剤を服みながら山に登ってみたら、体が温まるとともに血行が良くなって薬の効き目が現われ、ひと晩で風邪が治ってしまった事があった。
食べ物としては嫌いな物の代表なのだが、柳の下にドジョウを狙ったのは正解で、尾根に上がった頃には奇麗サッパリ治ってしまった。
神武寺のご本尊、薬師堂の中にいた薬師如来のご利益だったのかもしれない。
ミニ山行だったが、"山は健康の源" だと、あらためて確信した。
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