仙元山-大山-双子山 (2004.2.15)
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☆期日/山行形式: 2004.2.15 単独 日帰り
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地形図(2万5千分1): 横須
賀(横須賀5号-1)、鎌倉(横須賀5号-3)
☆まえがきと概況
三 浦半島への山行の四回目では、 仙元山と二子山を繋いで歩いて見る事にした。
行動計画の大要は、横須賀線逗子駅(15)から衣笠駅または大楠芦名口行きバスで風早橋(20)まで行ってまず仙元山(118)に登頂。
その東にある189m峰を越して大山集落(25)に下り、森戸川谷を遡って、車止め(25)、堰堤(40)、林道終点(70)から尾根分岐(135)に上がり、双子山の上ノ山(207.9)
に登頂。 西側の下ノ山をどうするかは行って見ての判断という事にするが、いずれにしても南郷上ノ山公園(90)
あたりに降りて長塚橋(13) からバスで逗子駅に戻り、家に帰ると言う物だった。
ところがである。
当日の朝、パッと目が覚めたときはもう8時半、そろそろ家を出掛けなければならない時間になっていた。
早朝の出発ではないからと油断
し、目覚まし時計のセットを忘れていた。
悪い事は重なる物で、前の夜は両国で会合があったため、パッキングもできていなかった。
充電した電池をデジカメに入れ、そのほかの物と一緒にザックに押し込んで用意を済ませてアタフタ家を出たのはもう9時近くだった。
もう少し遠くの真っ当な山だったら "遅刻" で一日を棒に振る所だったのに、何とか目論見通りに歩けるのではないかと高を括れたのは、近くて低い山のありがたい所だ。
前の夜に寒冷前線が通過して いったあと、低気圧が発達して西高東低に戻るにはまだ早く、ためらいがちな寒気の流入が始まろうとしている所で、ちょっと風はあるが澄み切った青空が広がり、最高の冬晴の一日だった。
仙元山は30分足らずで上れる "港の見える丘" だった。
相模湾越しの富士山が奇麗だった。
背後にある189m 峰を越して大山集落に降り、双子山へのアプローチでルートになっている森戸川谷を1時間あまり遡った。
小さいながら清流の谷で、市街地真近 かとは思えない雰囲気があった。
砲台跡の窪地が残っている双子山上ノ山(207.9) の頂上には高さ4m 程の展望台と牛奥の湯ノ沢峠にあるような大きなアンテナ塔がある。
南にゆったり大きな大楠山、東北方に鷹巣山の岩峰、丹沢などが良く見えた。
西側にあって2m 低い下ノ山にも登った。
山仕事の踏跡ががそのままルートとして利用されている感じで一部に急な登降があったりして少々山っぽい。 頂上は樹木に囲まれた小広場で展望はなく、静かな所だった。
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双子山 上ノ山から東方の展望。 追浜の鷹巣山の岩峰、横浜のみなとみらいの建物などがよく見えた。
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タイムレコード
宮崎台[9:22]=あざみ野=横浜=横須賀線逗子[10:54]=(バス)=[11:04]風早橋-仙元山(11:30/40)-
pk189(12:05)-大山集落(12:20)-車止め(12:35)-林道終点(13:05/15)-尾根分岐(13:30)-双子山上ノ山
(13:40/14:10)-下ノ山(14:20/25)-南郷上ノ山公園(14:35)-長塚橋バス停(15:10)-(15:25)東逗子駅=上大岡
=あざみ野=宮崎台
☆要所の写真と概況
朝寝坊のお蔭で、予定より1時間以上も遅く逗子駅に着いた。
バス停に行って時刻表を見ると次の便まで30分も待たなければならない。
"参ったなぁ"
とブツブツ言っているとベンチに座っていたオジさんに「どこに行くんかね」と聞かれた。
「風早橋なんですけど」と言うと、あっちのでも行けるよと、隣の乗り場にいるバスを指す。
行列の最後に随いて乗り込み、ドライバーに行き先を確認して空席に座った。
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逗子駅から10分足らず走った所にあるふたつ目のトンネルの手前が風早橋だった。
トンネルの手前の信号を右折して海の方へ、200m ほど歩くと左手に折り返すように山に上がってゆく車道があって、その入口にルートマップの看板が立っていた。
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朝寝坊のせいでまだ寝惚けているのと昨夜の宴会で座り疲れて腰が重く、車道登りが辛い。
頑張って登る山ではないのでボツボツ登って行ったら教会があった(左)。
脇を通り過ぎるときに窓の中を見たら、数十人が日曜礼拝に集まっていた。
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大木の立ち並ぶ尾根道を進み、階段を登り上げると大きな石碑の立つ仙元山頂上だ。
奥行きのある頂上広場は公園として整備され、トイレや野外ベンチがある。
石碑は戊辰戦争で亡くなった官軍の将兵達を追悼するために立てられた物のようだった。
登って来た方を振り返ると駿河湾の向かい側に富士山が立っていた。
その左手に尖がった形が目立つ金時山から始まる箱根連山が連なり、さらに伊豆半島の山並みへと延びている。 |
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簡単に登れて景色が良いので近所の人達に親しまれているようで、ちょっと休んでいる間に散歩の熟年夫婦や犬を連れた親子などが次々に通っていった。 |
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まだ先が長いのでひと息入れただけでザックを背負う。
頂上裏の短い階段道を下って行く所から次の目標の189m 峰が見えた。
頂上にアンテナの鉄柱が立っている。
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暫く 緩やかな尾根を進むと突然急な登りになった。
予想していなかった事なので、"こんな所でなんで?"、という感じがする。
階段は良く手入され、鎖の手摺もあるので誰でも安全に登降できるだろう。
ジワジワ登って傾斜が緩んだ所に骨休みのベンチが置いてあった。
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暖地性の林に被われた緩やかな尾根道を進んで行くと道が分岐している所があった。
立札の右脇から山腹に入って行く方がよく踏まれていた。
いったんそちらに入り、少し進んでいって見たがどうも189m 峰の頂上に登って行く気配がない。
分岐点まで後戻りし、立札の左から真っ直ぐ延びている細い道に入った。
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すぐに濃密な杉林の中に入ったがひと登りで金網の柵に囲まれたアンテナの脇に出た。
この辺りが頂上の筈なのだが杉の密林の中に切り開きもなく、まわりの展望もまったくない(左)。
道なりに進んで行くと北の方に向って延びている尾根上を歩くようになる。
林の隙間から人家の屋根らしい物が見えきた。
尾根の右側に入ると間もなく竹林の中に屋敷跡らしい平地があり、そこを過ぎるとすぐに道路に出た。
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右手は行き止まりらしいので左の方に進んで行くと大山集落のメインストリートに出た。
通りを歩き始めたところで双子山の方から来たらしい熟年ハイカーと出遭った。
山間の静かな集落だが、建って幾年も経たない新しい家が多い。
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家並が切れるとすぐに車止めがあってその左脇にルート図を描いた看板が立っていた。
描かれているのは遊歩道だけで双子山へのルートはない。 空白の部分には
"双子山登山コースとは関係ありません" とマジックで記さていた。
ゲートを抜けて中に入ると砂利の車道になった。
人家のある所から幾らも来ていないのに急に静かになって山間の雰囲気になった。
やがて人声が聞こえ、10人ほどの女性パーティが歩いて来るのに遭った。
数人が横に並んで歩きながらの話に夢中で道を明けようとしてくれない。
文字通り袖擦りあわせてすれ違った。
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日曜日だし、ポピュラーな山だから結構賑わっているみたいだなと思いながら進んで行くと前方にちらほら人影が見えてきた。
小さな谷で、常緑樹や杉が多くて日当たりはあまり良くないが、奇麗な水が流れている。
新しい大きな道路橋の下を潜ったすぐ先に一箇所、落葉樹と笹で明るく開けた場所があった。
この道は、はじめは林道として作られたようだが今は人しか通らなくなっているようだ。
大水のためだろうか、二、三箇所路肩が崩落した所で道幅が狭くなっていたが部分的に柵が立てられていた。
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30人ほどもの大熟年パーティに出会ってビックリしたがそのすぐあとに林道終点に着いた。
ちょっとした広場になっていて、大勢が休めるよう数基の丸太ベンチが設けられている。
手前左側の木の枝に、 "双子山順路" と記したプレートが掛けてある。
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広場の右奥の隅に目立たない標柱が立っていた。
墨書きで "仙元山" と "畠山" を結ぶ連絡尾根への入口だと記してあった。
いずれここから入って連絡尾根ルートをトレースしてみようと思ったがそのためにも今日は双子山に登ってこの一帯の尾根の連なり具合を頭に入れておかなければなら
ない。
谷の右股の方から三々五々人が出てくる。
そちらはどうやら下山ルートとして利用されているようだ。
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ベンチに腰を下ろし、少量のパンで軽い腹拵えをしたあと "順路"
に入る。
スラブの上を奇麗な細流が流れている小谷を遡って行くと所所にヘツリがある。
狭いので降りてくる人と出遭ったら間合いを見て道を譲らなければならない。
二俣を左に入ると沢幅が狭まる。
西丹沢 雨山峠の近くの樋状の沢の傾斜を緩くしたような感じの所だ。
間もなく詰めになり、二三回ジグザグを描いて上がると尾根上の分岐点に出た。
左手に行けば双子山で、右手の方に進むと田浦に行けると記した道標が立っている。 |
左に進むとすぐに砂利の車道に出た。
昔あった砲台への補給路として開かれた道路のようだ。
二、三度ヘヤピンカーブを過ぎると短い階段があって頂上に出た。
砲台跡の窪みの横にあった高さ3mあまりの展望台に登った。
見晴らしのよい所で、南にゆったりした姿の大楠山と海の向こう側の鋸山が見え(左)、東から北へ、鷹巣山の岩峰と横浜みなとみらいの特長のある建物群が見えて いる。
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窪みの底は風が当たらず、枯草でクッションが効いて座り心地が良い。
朝の "遅刻" にも関わらずまともな時間にここまで登って来られ、ホッとした気分で長休みをする。
下山はここから尾根分岐まで戻って上ノ山運動公園へという計画だったがアンテナ塔の脇から下ノ山へ行く道が良く踏まれている事に気がついた。
計画時に参照した本には、下ノ山へはルートが荒れていると素っ気なく記されているだけだったので藪だらけと思っていたがそんな事はなさそうだ。
暫く緩やかに下って行った先に裸地の急な斜面があって少々下り難かったがその先の鞍部から短い急登を抜けると下ノ山頂上だった(左)。
樹木に囲まれてヒッソリした頂上だ。
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下ノ山からの下降路もかなり急でハイキングルートと言うより、山仕事の道そのままという感じだ。
ひとしきり急降下して傾斜が緩むと樹木が切れた所があった。
阿部倉山の方に繋がっている稜線の小鞍部にあたる場所で、尾根上を直進して行く踏跡の入口の木の枝にコースサインのテープが捲きつけてあった。
朝は遅刻だったのにひと山余計に稼げた事で満足したのでこれ以上欲張るのは止め、右側の斜面をジグザグに下っている踏跡に入った。
途中やや急な斜面を横切る所からは近付いてきた学校の運動場が良く見えた。
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幾分藪っぽい所を通って道路に飛び出す。
学校のグランドではサッカーの練習をしていた。
なかなか上手で、強烈なシュートを打っている子がいる。
逗葉新道を歩道橋で渡って歩いてゆくと左前方に昼前に登った189m
峰が見えてきた。
小さいながら貫禄のある山だ。
長塚橋バス停には何人かのハイカーが居たが京急新逗子駅まで精精2Km の近さなので運動ついでに歩いてしまうことにした。
良いタイミングで始発電車に乗れ、上大岡でいくつか店を見たあと横浜市営地下鉄に乗り継いで帰った。
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☆おわりに
四週続けた三浦半島への山行が一段落した。
宅地開発が進んで平地のあらかたは人家で埋め尽くされてしまった観があるが、僅かに残された低山達はかつての山地の雰囲気の名残りを留め、都会の縁辺とは思われない自然が残っていた。
初めて登った三浦富士山、大楠山、仙元山と双子山もそれぞれ個性があって面白く、海と山の展望を楽しむ事ができた。
若かった頃に何度か行き、半世紀ぶり再訪した鷹巣山は格別で、しばし郷愁に浸った。
日も伸びてきたのでそろそろもう少し山っぽいところへ行き先を切り替えるが、これで三浦半島一帯の土地勘ができたので来冬の低山シーズンには仙元山から乳頭山、鷹巣山を経て六浦に至る縦走ルートをはじめとする、ワンランク上の山行を行なってみたいと考えている。
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