野反池-秋山郷切明(悪天退却) [2004.10.3-4]


☆期日/山行形式
:2004.10.3-5[10/4 太陽=5:38-17:21; 月=19.5]


☆地形図(2万5千分1) 野反湖(高田8号-2)、岩菅山(高田8号-4)、
                                         佐武流山(高田8号-1)、切明(高田8号-3)

☆あらまし
    久し振りに旧友から声が掛かった。
どこかうんと楽な山に連れてってくれ、というご要望だ。
聖岳かどこか、家族と一緒に登りに行ったら、熱中症のようになったのに懲りたとかで、もう山には行かない言っていたのだがそれから数年経ち、また催してきたらしい。
"うんと楽" と言ったって二十年程前に登山を再開したときに笛吹川東沢を登って奥秩父主脈縦走をした相棒だ。
相応の格のある所へ案内せねばご不満だろう。
思い悩んだ末、紅葉の時期に野反湖から秋山郷切明へ歩いてみるのはどうかなぁ、と思いついた。
お伺いを立ててみたら、いいねぇ、という返事だ。
野反湖ロッジと、切明の旅館に電話をかけて適期を探り、紅葉の谷を下って秘境の温泉に入る年相応のユッタリ山行計画を組み立てた。

  計画のあらましは、シーズン中の休校日に、長野原草津口駅から運行されるバスで野反峠(1561)に上がり、エビ山(1744)を越して野反湖ロッジ(1525)まで歩いて宿泊。
二日目の朝はソコソコの時間にロッジを出発。 地蔵峠(1685)を越して千沢谷に入り、北沢(1560)、佐京横手(1808)、イタドリ沢(1700)を経て西大倉山(1748)へ。 百二十曲りの急坂から大倉坂を下り、渋沢を渡って谷底の東電避難小屋(1085)/渋沢ダムへ下降。
沢沿いの東電巡視路を辿り、3箇所のトンネルを抜けて高橋の吊橋(875)へ。さらに林道を切明(850)まで歩いて雄川閣に宿泊。
三日目は10時過ぎの路線バスで津南に出て、越後湯沢行きに乗り継ぎ、午後の上越新幹線で帰る、というものだった。

  ところが不運にも、秋雨前線の真っ只中に飛び込む回り合わせとなってあえなくギブアップ。  霧ションの湖岸の遊歩道を歩いて野反峠へ戻り、花敷温泉へ車道を下っただけで終わった。


  長い間宿題にしていたルートを歩き損ねたのは残念だったが、丸二日の間、旧友と水入らずの時間を共有できたのは何よりで、もって瞑すべしという所か?

☆行動記録とルートの状況

10月3日
<タイムレコード>

宮崎台[7:36]=渋谷=赤羽[8:42]=[9:11]桶川[9:15]=(快速アーバン)=[10:15]高崎[10:41]=[12:04]長野原草津口[12:37]=(JRバス 5/15-10/31休(校)日運行 \1380)=[13:48]野反湖(0:10)野反湖ロッジ{\6500}

  相棒は最近あまり山に行っていなさそうだし、こちらも最近は捗々しく歩いていないので初日は足慣らしかたがた、野反峠(=富士見峠)からエビ山を越してロッジに入る計画にしていた。
ところが、朝から雨がバシャバシャ音をたてて降り続いている。
とても山を歩く気にはなれず、バスを終点まで乗って行き、ロッジまで10分程歩いただけで初日の行程を終わりにしてしまった。
日曜日ではあったが天気が悪すぎるせいか、ほかに泊まる者もなく、ロッジは閑散としていた。

  ここは地元の六合村が運営しているのだが、山小屋と言うより簡易旅館と言っても良いくらいの設備が整っている。
部屋にはテレビがあり寝具も清潔で、風呂にも入れる。
少々風邪気味だったせいもあって、部屋にあったコタツに電気を入れ、ゴロゴロしながら駄弁ったり、ウトウト昼寝をしたりして時間を過ごした。

  とにかく、天気の成り行きが最大の関心事だ。  夕食の前後、テレビの天気予報を見守る。
出発前夜には谷下りの当日は曇りという予報になっていたのだが一日の間に状況が悪化し、上信越一帯は全て雨という芳しくない予報に変わってしまった。


  切明まで大登りはないとはいえ、なかなかのロングルートだ。
  雨が降り続くコンディションの中、昔ほどの脚力はなくなっているだろう相棒を連れ込むのは些か躊躇われた。

  暫く考えたあと、撤退を決心し、切明の旅館にキャンセルの連絡をした。

10月4日
<タイムレコード>

野反湖ロッジ(8:40)-入江(9:40/45)-野反峠レストハウス(10:10/40)-分岐(11:40/50)-矢倉部落上U字カーブ(12:45/55)-(13:50)花敷温泉[14:10]=(\800)=[14:40]長野原草津口[15:11]=(草津6号)=[17:41]上野=三越前=宮崎台

    山で寝たにしては珍しく、6時過ぎに目が覚めた。
昨日のようにバシャバシャ降ってはいないが霧ション状態だ。
行って行けないこともない程度の天気だが旅館はキャンセルしてしまったのだし、相棒もいることだからと、サッパリ諦める。

  ただし、ウイークデイはバスが来ないから花敷温泉まで歩いて下らなければならない
折角だから野反峠まで、湖岸の遊歩道を歩いて見ることにした。

  歩き出して間もなく、入り江を渡ると対岸にロッジとその周りの宿泊施設が見えた。
濶葉樹林の中に建物が散在していてなかなか良い雰囲気だ。

  遊歩道は丁寧に整備され、山靴でなくても楽に歩ける状態になっている。
色付き始めた林と緑の笹が良いムードを醸している。

  天気が良かったら切明に行ってしまい、この道を歩く事はなかっただろう。
山の景色は一期一会だと言うが、旧友とここを歩くことになったのもそのような縁の産物に違いない。


  笹原の疎林になった。
「こんな所は熊が好きなんだよな」、言いながら歩いていたら道端の木の枝にガスボンベで作った鐘がぶら下げてあった。
"熊避けに鳴らしてください" と記した板と金槌が添えてある。
「やっぱりな」、と言いながら何度か打ち鳴らして先に進む。


  エビ山と根広禿の間の鞍部の下は深く抉れ込んだ入り江になっていた。
風の通り道らしく、霧ションの吹き降りになっていた。

 入り江の奥から緩い登りになった。
この登りの途中にも熊避けの鐘があった。

  登りきった所に小屋があった。
中の様子を覗いてみたら、無人だったが掃除が行き届き、テーブルの上には奇麗に磨かれた石油ランプが置いてあった。
時期には管理人が入って人を泊めるらしい。

  野反峠の車道脇には山小屋風の小さなレストハウスがある
営業していたので中に入り、コーヒやミルクを飲みながら休憩。
藁細工のスリッパを買って出発した。

  花敷温泉までの車道歩きはあらかた雲の中を歩く事になった。
景色はろくに見えなかったが最後にちょっと傘を差したくらいで済んだのは助かった。

  途中に "小栗清水" と記した立札が立っているのを見つけた。
戊辰戦争のとき、幕府側の重臣として反逆罪に問われ、死罪になった小栗上野介の妻子を助けようとこの山越えの道を地元の人たちが案内したと言う。
そのときに一行がこの清水で喉を潤したのだそうだ。

  小栗上野介の本拠は、角落山・浅間隠山のある倉渕村だ。
昔の人は健脚だったから出発したその日のうちにこを通過しただろう。

  時どき思わぬ史跡に巡り会えるのは、徒歩旅行の恩恵で、たとえこのように、車道の脇に史跡があったとしても車で通過すれば気付くことは滅多にない。

  長い車道歩きの終わりが近付き、人里に入ろうとする所に夫婦地蔵が立っていた。
よく見ると妖しげな姿勢で抱き合っている。

  午後の長野原駅行きバスにちょうど良い時間に花敷温泉に着いた。
相棒は水泳で体を鍛えていたのだそうだが、水泳では足の裏の筋肉を強くできない事がよく分かったと言っていた。


☆おわりに
    8月下旬以来、出かけるたびに降られ、否応なしに "雨ジジイ" をやっている形になっている。
今年は盛夏を境に天気の様相が一変したような気がする。
野反湖周辺は、志賀の赤石山からの分水嶺縦走、秋山郷の佐武流山など、幾つか魅力的なロングルートがある。
天気が悪くてまわりの山のつながり方も良く分からなかったが、奇麗な湖岸の遊歩道を歩き、僅かながら上州側の土地勘ができたのは収穫だった。