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南会津、荒海山(2003.8.12-14)
☆期日/山行形式: 2003.8.12-14 旅館利用 2泊3日 単独
☆地形図(2万5千分1): 糸沢(日光6号-1)、荒海山(日光6号-2)
☆まえがき
夏山は飯豊の次ぎに南会津に行く事にしていた。
目的は野岩国境の荒海山の登頂と三岩岳から窓明山へのルートのトレースだ。
会津駒ヶ岳、七ヶ岳、田代山/帝釈山など、この山域を代表する山々に比肩すると思うのだが地味であまり知られていないためこの時季でも登りに来る人が少なく、静かに歩けるのではないかと期待した。
計画のあらましは一日目に野岩鉄道線会津高原駅(720)まで行って駅近くの三滝温泉に宿泊。
二日目の朝、八総鉱山跡(810)まで車で入って歩き出し、登山口(950)から町界尾根の鞍部(1350)、pk1380を経て荒海山(1580)に登頂。
往路を戻って三滝温泉で連泊。
三日目は朝のバスで小豆温泉(780)まで行って三岩岳避難小屋(1840)まで登り、三ッ岩岳(2065)をピストンしたあと避難小屋に宿泊。
四日目に湿原を見ながら窓明山(1842.3)へ。 さらに家向山分岐(1525)、巽沢山(1162.1)へと稜線を辿って保太橋(765)に下山。
小豆温泉で入浴したあとバスで会津高原(720)に戻り、野岩、東部、半蔵門、田園都市線を順次乗り継いで帰ろうと言う物だった。
残念ながら今夏の異常気象で荒海山に登ったあとの三日目の朝から
"梅雨戻り" をしてしまったため、三岩岳/窓明山を中止して帰宅して終わり、今後に宿題が残った。
荒海山ルートの状況は、台風の大雨でルート前半の谷道の随所に流出土砂が堆積したり、倒木が積み重なっていたりしていた。 沢の水量が多くて渡渉しにくい所も一、二あったが、尾根に上がってから頂上までは問題なかった。
ただし、フィックスドロープがないと登降が難しい難場があったり、頂上付近の痩せ尾根の登山道に藪が被っていたりしていた上に歩行距離も長く、1500m そこそこの山にしては登り応えがあった。
☆行動記録
8月12日
<タイムレコード>: 宮崎台=表参道=浅草[13:20]=[16: 37]会津高原 三滝温泉
今年の春に半蔵門線が延長され、東急と東武の相互乗り入れが始まった。 田園都市線から南栗橋まで直通電車が走るようになったのでこのルートを使って見たかったのだが車中の昼食の調達の都合など考え、従来通り浅草を回って行く事にした。
お盆休みの最中だったが時間が中途半端だったため、かなりの空席を残して発車した。 途中の駅で行楽客が乗って来て一時は通路に立つほどとなったがその大部分は鬼怒川温泉、川治温泉あたりで降り、国境のトンネルを抜けて会津に入る頃にはガラ空きとなっていた。
会津高原駅で下車。 尾瀬から帰りの客で混んでいるかと思ったが閑散としている。
駅の下の道の駅に立ち寄り、コーヒーを一杯飲んだあと川向うの三滝温泉に行った。
8月13日
<タイムレコード>: 会津高原三滝温泉(7:30)=[宿の車]=八総鉱山跡(7:50)-登山口(8:20/30)-尾根の鞍部(9:05/15)-アスナロの大木(10:15/20)-荒海山山頂(11:20/55)-アスナロの大木(12:40/50)-尾根の鞍部(13:45/50)-登山口(14:25)-八総鉱山跡(14:55/15:00)-キャンプ場(15:30/45)-会津高原駅(16:30/40)-(16:45)三滝温泉
宿から全行程を歩くと8時間半ほども掛かってしまうので八総鉱山跡までのアプローチは宿の車で送ってもらう事にした。
滝ノ原集落の外れで看板の立つ角(下左)で尾瀬方面への道から分かれて荒海川谷に入る。 4Km あまり進むと八総鉱山跡に着いた(下右)。 しばらくは車道を歩く。 週末に本州を縦断した大形台風が降らせた大雨のせいで所々に土砂が押し出していたり倒木が被さっていたりする。
登山届のポストがあった。 カードに記入をして進んで行くと間もなく右手の川原に降り、対岸に道標のある登山口に着く。 まだ水量の多い沢を際どく飛び越して左岸に移る。
枝沢の入口に堆積した砂利の上で支度をしていると初老のカップルがやって来た。
渡渉の足の置き場に困っている様子で流れの中に次々に石を放り込んでいる。 すぐ近くなのだがなかなか渡って来ないのでお先に失礼する。
枝沢に入って尾根上の鞍部に向う。
下部には大水が運んだ倒木や岩石が積もって通り難い所があった(左)。
途中で小尾根に移ってしばらく高度を稼ぎ、また沢窪に戻ってゴーロを登って行くとふたたび水流が現われた。
フィックスドロープが取り付けられた滑滝(下左)を登り、さらにその上のスラブ状のザラザラした所にあるフィックスドロープを上がると間もなく尾根上の鞍部に出る(下右)。
尾根道は密生した樹木の間(下左)を通っているため遠くは見えず、時たま八総側の谷がチラリと覗ける位だ。 尾根上の最初のフィックスドロープのある場所はこれがないとちょっと登るのが大変かな、と思われる泥崖だった(下右)。
ここを登り上げると1250m 台の小ピークに着く。 樹木の隙間から荒海山の頂上部が見えるがまだかなり遠い。
アスナロ、黒松、ブナ岳樺などが混じった深い森が続く。
さらに進んで1350m 台の小ピークまで行くと大分近付いてきた頂上が見えた。
深い森に被われ、所々に岩壁を擁しているボリュームのあるピークで貫禄がある(下左)。
またロープをよじって小ピークに上がると左手に高原山が見える所がある(下右)。 この山は頂上のすぐ下の高い所を車道が通っているので分かりやすい。
道端の笹の間で男が休んでいた。 車の中で、一時間ほど前に身体がちょっと不自由なお客さんが行きましたよ、と宿の若主人が言っていた。 「こんにちは。 昨日風呂場で会いましたね」と、声をかけて先行する。
行く手に巨大な岩塊が現われた(左)。
その右脇を擦り抜けて進むと、長いフィックスドロープがある。
登ってきた尾根と頂稜のジャンクションの急登に掛けられているロープで、登り切った所は頂稜の一角だ。
頂稜は急な痩せ尾根で左側が切れ落ち、少々高度感があるがそのかわりに西から北へ掛けて広大な展望が広がっている。
目の下に今登って来た尾根が延び、その先の方に七ヶ岳がギザギザしたスカイラインを描いている。
空はほとんど雲に被われて日差しが弱い上に大気の湿り気が多くて霞が濃く、眺めがもうひとつスッキリとしていないのが残念だ(下)。
会津から只見に掛けての山によくあるパターンだがルートが崖縁を通っていて左側が切れ落ち、緩斜面の右側に繁茂している藪が道の上に被さっている。
藪を避けて歩こうとすると崖の方に押し出されそうで気持ちが悪い。 右半身は藪の中を進む感じで登り続けて行くと避難小屋の横に出た(左)。
小さな小屋だが痩せ尾根上の僅かな平坦地を目一杯利用して建てられていて、良くこんな所に建てたものだと感心する。
小屋から僅かで頂上広場に着いた。 尾根の途中から先行していた老カップルとほとんど同着だった。
狭い切り開きだが360度の展望がある。
栃木からだと言う老夫婦と駄弁りながら山を眺める。 こちらより年上だと思うがなかなか元気で仲が良い。
東隣の日留賀岳は雲の中だが、南の方に日光連山が大きい(下)。 日光連山の右手にやや遠く、皇海山と思われる特徴のある尖ったピークが雲間に見え隠れしている。 その右手は田代山/帝釈山で、先の方は尾瀬の筈なのだが目印になる燧岳が雲に隠れてはっきり分からない。 さらにその右手では苗場山の平頂が目立ち、そのあたりから七ヶ岳の周りまで、越後から会津一帯にある数え切れない山々が立ち並んでいる。
この数年の間、何度かこの山域に通い、通算三十日ほどを費やして目ぼしい山々のあらかたを登ったと思っていたのだがこうして見ているとまだほんの一部分をつまみ食いしただけだと言う事を実感する。
日本は本当に山国だ。
この国の山の全ての頂を訪ねるには人の命は短かすぎる。
チーズと林檎を食べ、周りの山の写真を撮って下山に掛かる。 帰り際に小屋の中を覗いてみた。 せいぜい3、4人位で一杯と思われる狭さだが内部は外見よりずっと奇麗で、手入れも行き届いているようだった。 小屋のすぐ下で登ってきた若者二人と擦れ違った。
登ってきた道を忠実に辿って山を下る。
尾根上の最後のフィックスドロープのすぐ上で同宿の男に再会した。
登頂は諦めて下りている所だと言う。
手足に軽い障害があるから最後の長いフィックスドロープや頂稜の痩せ藪尾根は少々危険で登頂を諦めたのは正しい判断だと思った。
ロープを無事に下り切ったのを見届けて後に続いたがここを無事に通過できればあとは大丈夫だと思ったので、ロープの下からは先行した。
枝沢の途中で水を汲んで、林道に戻り、ポストのカードに下山時刻を記入したあと旧八総鉱山の遺跡を見ながら林道を歩いた。
ここは足尾から程遠くはないのだがゲートに掛けられた看板の記載で住友系の鉱山だったという事を知った。 かなりの出鉱量があったらしく道端に大きなボタ山がある。 道沿いの平地の林の中には使われなくなった排水溝や草に埋もれた道形なども認められた。 谷の下手に旧八総小学校の建物と校庭が残っていてキャンプ場として利用されている(上)。
宿に戻る前に会津高原道の駅に立ち寄り、名物の山葡萄ソフトクリームを買って舐めた。
甘味が少なくて少し酸っぱく、美味しいアイスクリームだった。
8月14日
<タイムレコード>: 会津高原駅[9:50]=[12:24]東武動物公園[12:30]=[14:35]宮崎台
夜になってテレビの天気予報が急に悪くなった。 南会津の雨の確率は午前30%、午後70%だと言う。 せめて昼まで降らずにいてくれれば、三岩岳の小屋まで上がれると思ったのだがどうも難しいかもと、半ば諦めて寝た。
明るくなって目が覚めてみるとバシャバシャ音を立てて降っている。 このありさまではとても山に行く気になれない。
派手に降られてかえってサッパリ諦めがつき、ゆっくり朝食を食べる。
とても美味しく、ご飯は軽めにしたがお菜は全部片付けた。
着いた日の夜の夕食のあとひどい下痢をした。 腸に入っていたものが全て出てしまうほどだったが昨日山を歩いているうちに完全に回復した。
尾瀬を通って沼田、高崎経由で帰る事も考えたがあまり欲張ってもと中止。 東急田園都市線への直通電車の実地確認をしながら帰る事にした。
会津からの快速は南栗橋に停まらないので東武動物公園まで行って東急電車に乗り継ぐ。
乗り換えは同じホームから6分待ちだったのだが区間準急というほとんど各駅停車に近い列車だったため、思った以上に時間が掛かった。
☆おわりに
荒海山はルートが一本しかない山だからこの日に入山したのは全部で6人だけだった事はほぼ確実だ。
夏山の最盛期だと言うのに、こんなに良い山がこのように空いていたのは驚きだ。
中高年登山ブームだと言われているが、百名山など極く限られた山ばかりに人が集中し、それから外れた
"ノーブランド系名山" はほとんど省みられていないのが実態だという事をあらためて実感した。
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