富士見峠-富士見岳、大滝の頭-俵峰[1]
(2001.1.4-5)
☆ 期日:2001.1.4−5 ビジネスホテル利用 1泊2日
☆ 地図:駿河落合(静岡10号−3)、和田島(静岡10号−1)
☆ 行動計画
1/4: 宮崎台=川崎=静岡{駅前ビジネスホテル泊}
1/5: 静岡[7:15 有東木行]=[8:10]俵沢(1:00)俵峰(0:50)ワサビ田(0:35)富士見峠(0:20)駒引峠(0:40)富士見岳(0:25)大滝の頭(0:35)俵峰下降点(0:30)檜幼木の切り開き(0:15)大滝(0:30)引落峠(0:40)俵峰(0:50)俵沢[16:24]=[17:19]新静岡(0:10)静岡駅[17:40]=[18:53]新横浜=あざみ野=宮崎台
☆ 行動記録
ここ数年の間年に2、3回の割合で安倍川東山稜に出掛けている。
昨年の春、熊笹の密薮に阻まれて浅間原から退却したため手付かずで残った第二真富士山を除いてこの頂稜上に並んでいるピークのほとんどに登ったが、真富士山と竜爪山との間の長い山稜が空白区間になっていた。
地形図を見ても捗々しいピークが見当たらないので、このあたりのどこかを登りに行ったついでにでも歩いて見ればいいだろうと言う程度に考えていたところ、たまたま昨年の秋に出たハイキング誌に載った記事が目に入った。 この区間の中ほどに富士見岳というピークがあって俵峰から簡単に登れるという。
このあたりは十二月の下旬に行くと新雪の南アルプス連峰や富士山を眺めながら気持ちよく歩ける。 浅間原から第二真富士山までの稜線のトレースと合わせて、二泊三日の計画を立てたのだが年末に仕事から引退することになったらそれを待っていたかのように、IMSセンターから幾つかの仕事が舞い込んで来だためかえって忙しくなった。
ソウルでの英語のプレゼンの準備などで山どころでなくなってしまったが、年末から年初に掛けて頑張った結果、三が日が明ける頃にはあらかたの目処が立ち、1〜2日なら山に出掛けられる余裕ができた。 やりたかった事のせめて半分だけでもと、前夜静岡駅付近に泊まって富士見岳に登る一日半の計画を組み立てた。
これが21世紀の初山行だ。
俵峰集落の背後に穏やかな山容を見せている富士見岳
1月4日
今日は静岡バスターミナルの近くにあるビジネスホテルまで行って泊まるだけだから急ぐ旅ではない。 正月なのだから交通費の節約もかねて東海道の在来線でユックリ行って見る事にした。 出発時間を午後の中頃にしたため、ついノンビリしすぎて家を出るのが遅くなり、予定の電車を逃がす(15:19)。 溝の口で乗り換えて川崎駅に着いた時は計画よりも10分以上も遅かったのだが、僅か数分の待ち合わせで快速列車がやって来る幸運に恵まれ(15:52/57)、平塚駅で静岡行き普通列車に追い着けた(16:34/36)。 静岡までの各駅停車の旅はずいぶん時間が掛かったが、その分ユックリ沿線の正月風景を眺めることができた(18:44)。
短い冬の日がとっぷり暮れた頃静岡駅に着いたが、寒い冬の夜に町の中をウロツクのは止めにし、駅ビルの中で明朝の食べ物を漁りながら良さそうな食事場所を物色する。 うまい具合に食品売り場の横手に地物の魚が売り物の和食堂が見つかった。 大勢の客が新年の祝いの杯を交わしている賑やかな店の片隅で刺身定食を食べたが、なかなか美味しい刺身で小さな胃袋が超満腹になった。 何時ものホテルへの行き掛けにバスターミナルに立ち寄り、明朝のバスの時刻を確認する。 このホテルはこじんまりしたビジネスホテルだが通りから引っ込んだ静かな所にあってダブルベッドでユックリ寝られるのがありがたい。 早い時間に風呂に入り、時間を掛けて身体中を丁寧に洗う。 暖房を良く利かせ、眠り薬を飲んで寝床に入ったらすぐに寝つき、朝方まで熟睡した。
1月5日
前夜仕掛けておいたアラームで六時前に目を覚ます。 まず湯を沸かさなければならない。 ガスストーブを持ってきたが電気ポットが備え付けられていてこちらの方が沸かせる湯の量が多い。 即席味噌汁を作って昨夜買ったお菜のパックと握飯の朝食をする。 残った湯を使ってテルモスをレモンティーで満タンにしたがまだ幾らか余裕がある。 七時前に支度を整えて下に降り、チェックアウトしてバスターミナルに行く。 7:15の有東木行きはほんの二三人の客が乗っただけで発車。 どうやらこのバスは安倍川谷から静岡市内の高校などに通う生徒達を迎えに行くために運行されているようだ。 何度も通ってお馴染みになった静岡の街中を走り、安倍川沿いの道路に出る。 昨日は静岡でも初雪がちらついたと言うことだが、今朝はよく晴れて最高の天気だ。 8:00に俵沢に着く。 バスから降りた所は地元の小学校への入り口になっていて緑の旗を持った男が立っていた。 男に俵峰への道を聞き、山支度を整えて出発(8:00/10)。
殆ど無風状態で心配していたほど寒くはない。 静岡側へ少し戻った所にある橋の袂で左折して俵峰に向かう。 俵沢の集落にはなんとなく正月の安らいだ気分が漂っている。 谷の奥へ進んでゆくと両側の段々畑に茶畑が広がっている。 茶畑の中を縫うようなヘヤピンカーブが連続している車道を登ってゆくと次第に安倍川谷対岸への眺めが広がって来る。 身体が温まるとともに汗が出てきた。 道端にザックを下ろしてセーターを脱ぐ。 すぐ上に俵峰の家が覗いて来た所で車道が分岐していた。 大分右手に寄った所にある竜爪山側の富士見峠に上がるので余り考えずに右手の道に入ったのだがこれは失敗だった。 右手の尾根の背を乗り越して裏側から回りこむようにして尾根上の茶畑の間へ登っていったらやがて行き止まりになった(9:35)。 茶畑の奥手から谷を渡って俵峰に出られるのではないかと茶畑の縁まで登って行ってみたがその先の深い谷はビッシリ薮に覆われている。 このまま突っ込んでいって行き詰まるようなことがあれば日の短い今の時期には登頂をミスする心配もあると考えたので、もと来た道を戻ることにする。 分岐点から左に入りひと回りしながら台地に登ると俵峰の集落に入る。 集落の入り口には竜爪山方面へ通じている東海自然歩道の道標が立っている。 山の中腹にゆったり広がる緩傾斜地は一面茶畑になっていてその間を流れる沢に沿って五十軒余りの家が建ち並び、いかにも暮らし良さそうな感じだ。 集落の後ろには堂々とした山容の富士見岳が聳ている。 ところが山への入り口がどうもはっきり分からない。 集落の真中に建っている公民館の前でウロウロしていたら老人が通り掛った。 「竜爪山はどっちに行けばいいんですか」と尋ね、教えられた方に行くとようやく最奥の家の前を通り、ルート図を描いた看板と道標が立っている茶畑道の交差点に着いた。 久し振りにザックを下ろし、一息入れながら小キジを打って休憩する(9:55/10:00)。
富士見峠への道は茶畑の間から沢の詰めを渡り杉林の中に通じている。 谷を渡る所には下から上がって来た踏跡が合流していた。 さっき迷い込んだ所から通じている道のようだったが、こちらもか細くて少々心細い位の道だから、あそこからここへ上がって来たとしても正しいルートに突き当たったのかどうか判断は出来なかっただろう。 杉林に入ると間もなく道標が立っていた。 明記はされていないが左に折れて山に向かえば富士見峠と富士見岳との中間にある駒引峠に出られるようだ。 杉林の中を南に向かって斜上し続けて行くと、右下にワサビ田のある沢が見えてきた。 流れを渡る所から傾きかかった小屋が見える。 ここが今日最後の水場と思われたのでポカリスエットとレモンジュースの混合粉末を入れてきたペット瓶に水を満たす(10:30/35)。
沢の対岸の斜面を葛篭に登り、さらに杉林の中を進んで行くと、田野平への分岐を示す道標がある。 道標は立派だが道はあまり踏まれていないようで荒れ気味になっている。 さらにひと登りで "一本杉" と記した道標の前に出る。 左に折れ曲がってさらに右に折れて進むと次第に傾斜が緩み、最後は殆ど平坦になって富士見峠の道標の立つ平坦な鞍部に出る(11:05)。
峠を乗っ越して進むと竜爪山中腹にある穂積神社まで山腹を横切って行けるようだ。 距離から見て三十分もあれば行き着けそうな感じがする。 道の入り口にザックとウインドブレーカが三組置いてあったが、近くに人気がない。 三人は山仕事の人達で、神社に初詣をしに行っているのかも知れない。 五分ほど小休止しただけで出発。
杉林の中をやや急に登るがまたすぐに傾斜が緩む。 この尾根は一帯が杉に覆われて展望が利かないのだが送電線鉄塔の脇の切り開きを通り過ぎてまた杉林の中を進んで行った所で右側の展望が開け、上部に新雪を纏った富士山、ユッタリした吊尾根のスカイラインを描く天子山塊などを望む。 数駒の写真を撮ってまた杉の中に入り、暫く進んで行った所にある薄暗い窪地に首なしの地蔵と "駒引峠" と記した小さな道標が立っている。 地形図には俵峰への歩道が記されているがあまり明瞭ではない(11:30/35)。
峠からひと登りした955m ピークの先では樹木の間から前途が望まれ、富士見岳がなかなかすっきりした姿で前方に聳え立っているのが見える。
一端下り最低コルから約170m の標高差を登ると頂上だ。 一部を除けば穏やかな登りで、尾根を乗っ越すような感じで右に回って行くようになると間もなく頂上に着く(12:20)。
富士見岳の頂上
登り着いた頂上は薮っぽい瘤状の高まりで余りパッとしない所だが僅かに南側の樹木が疎らになっていて展望が得られる。 正面は竜爪山でその右手に安倍川谷、先の方が相模湾で海面が逆光に煌めいている。 木漏れ日の当たる所に腰を下ろしてバナナやクラッカーを食べる。 あたりには全く人気がないのだが時々金属板がぶつかり合う音が聞こえてくる。 誰かが山の中で仕事でもしているのかと思い、「オーイ」と呼びかけてみたが全く反応がない。 獣を追い払うためか何かのため、風吹くと音が出るような仕掛けでもしてあるのだろうか? 昼を回って幾らか風が出てきたようだが、空は良く晴れていて寒さは感じない。 食休みをしながらこれからどっちに行くか考える。 計画通りなら来た道を戻って駒引峠から俵峰へ下るのだが、また暗くて展望のない杉林の中をズゥーッと歩いて行くのと、最低鞍部から約50m 登って小ピークを越さないと駒引峠に行けないのとが気に入らない。 まだ時間は早いし、疲れも感じていないから真富士山の肩まで稜線を縦走し、俵峰から登って来ている一般ルートを下ってみたら面白いのではないかと考えた。 安倍川東山稜お得意の笹薮はあるだろうが地形は緩やかで登降差が小さいからそれほどシゴかれることもあるまい。
富士見峠から登ってきた尾根の先に竜爪山、背後に駿河湾が見えた
12:50に出発。 次第に風が出て来て両側の潅木の枝を揺らせている。 そこそこは歩かれているようで踏跡は明瞭だ。 ひと下りして最低鞍部から登り始めると間もなく笹薮に入った。 葉がちょうど顔の辺りに来る位なので身を屈めて踏跡を確認しながら進んで行く。 笹の間にちょうどひと一人がすり抜けられる幅の空き間が出来ているので歩くのに抵抗は少ないのだが視界が得られず、ひたすら獣の様に歩き続けて行くしかない。 登り上げた1112m のピークには興津川谷の寺社畑からの踏跡が登って来ていた。 緩く下って登った所が大滝の頭(1129m)でここだけは笹が切り開かれた小広場になっているものの道標などは見当たらない(13:10/15)。
また笹薮に入る。 檜の幼木と笹が同じくらいの背丈になっていてかなり歩きにくい。 緩く下って登り返して行った所で、向こうから来た中年登山者と出遭った。 自分が薮を漕ぐ音ですぐ近に来るまで気が付かなかった。 突然の予想外の出来事に度肝を抜かれた形となり、思わず「オイ、誰だ!」、と怒鳴ってしまったが、お互い正月の初めからこんな所を歩いている物好きに感心しつつ薮漕ぎの苦労をねぎらいあってすれ違った。 男は柴犬を連れていたが犬は見慣れぬ "獣の出現" にすっかり怯えてしまった様で、狭い笹のトンネルの向かい側の笹壁に身をこすり着けながら逃げるように摺り抜けて行った。 間もなくまた杉林に入って漸く笹薮から開放される。 やや尾根が痩せてきて小さな登り下りを繰り返すようになる。 潅木の梢越しに前方の真富士山が次第にせり上がってきた。 そろそろ俵峰への下降点があるはずだと思い、ルートの左側を注意しながら進んでいったが、1137m の小ピークを越した所で2m 位の間隔で立っている二本の潅木に赤ビニールテープが巻いてあったものの道標が見つからない。 そのまま進んでいったら真富士山への登りが始まってしまった。 最悪、真富士山の肩まで登り、一昨年の冬に登ったルートを通って平野へ下っても良いのではないかと思ったので暫くの間杉林の中を登りつづけたが、だんだん登りが急になって来るとともに疲れも出て来た。 地形図を良く見ると俵峰への下降点はさっき通り過ぎてきた1137m の小ピークの北側のコルで分岐した後、かなりの距離にわたって稜線のすぐ下を通っているように記されている。 これならば十分な距離を後に戻って、適当な所で稜線の西側に降りればすぐに一般ルートに出られる筈だ。 せっかく苦労してここまで来たのは真富士から俵峰へのルートを歩いて見たかったからなのだと考え直して回れ右をした。 ふたたび下降点の目印に注意しながら戻って行ったがそれらしい物が見えないままに1137m の小ピークを越し、その南にこんもり盛り上がった杉林のピークに上がった。 ここまで来ると前方に大滝の頭が見えて来る。 稜線のすぐ下を道が通っているに違いないと考えられる地点だ。 念のための安全策として、あらためて杉のピークの頂上に戻り、そこから西に派生している尾根を下った。 杉の中木の下のため薮もなく、傾斜も特に急という訳でもないので楽に歩けたが、100m あまり下ったか下らないかの所に尾根上に盛り上がった小ピークとの間のコルがあり、そこを道が横切っていた。 コルには営林署の山火事防止看板と、"真富士山" と記した小さな木片の道標が立っている(14:25)。
風が強まって気温も下がり、あたりに冬山の厳しい雰囲気が漂ってきたが "山勘" が的中して間違いなしの下山ルートに乗れたので、大いにホッとする。 俵峰に向かって進んで行くと地形図に記されている通り、大滝の頭の近くまでは稜線のすぐ下を道が通っていて、これならば大滝の頭と1137m ピークの間のどこで降りてもこの道に出られる状態である事が分かった。 大滝の頭の下で沢の詰めの溝を横切って右に折れ曲がり、笹混じりの檜の幼木林の中に入ると小さな切り開きに出た(14:50)。
はるか下の方に安倍川の谷底、先の方に "深南部" の山々が望まれた
笹薮が風を防いでくれて陽だまりになっているので久し振りの休憩を取る。 遥か下の方に八重沢と安倍川谷が望まれる。 あそこまで降りて行かなければならないのかと思うとがっくりする所もあるが、展望は最高だ。 先の方に井川の富士見峠とその周りの山々、さらにその先の方には大無限山、小無限山など南ア深南部の山々が立ち並んでいる。 道迷いの疲れが取れてきた所で腰をあげる(15:00)。
古くて小さいながら要所に道標が出ているので迷うようなことはないのだが、色々な案内書に記されている割には踏まれていない感じの道で、心細い位まで崩れて来ている所もある。 平野からと河内からの林道が中腹より高い所まで通じてからは、多くの人達がそちらを登降するようになったせいで最近はあまり使われなくなっているのだろうか?
久し振りの本格的な山登りだった上に、アプローチと下山口と二回も迷い歩いたアルバイトも重なって足腰の筋肉が辛くなって来た。 長いことトラブルフリーになっていた左膝もちょっとした加減で引っ掛かりそうになる。 標高が下がり、回りの杉が大木になったが裏腹に風が一段と強くなって来て、所々で木が軋み合う音や枝が折れて落下する音が聞こえて来たりするようになって来た。 849m の小ピークのある尾根を乗っ越した所ではコルの下に引落峠と記した道標が立っている。 大分俵峰に近づいて来ている事が確認できたのだがそこからが長かった(15:35)。
アキレス腱や向こう脛の筋肉が張ってきて変に力を入れると頚痙しそうになる。 時間が遅くなってきてはいるのだが歩行のペースはやや遅めに抑えて休まず続ける。 露岩のある所のトラバースに妙に厳重にロープが張られていた。 どう言う事かと訝ったら、95年の11月17日に下山中に滑落死亡する事故があったから注意するようにと記した看板が立っていた。 ここを過ぎて小尾根を乗っ越すと急に道幅が広がる。 何度かのジグザグの繰り返しで高度を下げ、さらに進んで行くと漸く茶畑の縁に出た。 舗装された車道に出る所にはかなりしっかりした道標が立っている。 沢を渡る所に老朽化したバンガローが建っていて、そのすぐ下が水月院だった。 黒猫が何匹も道に出ていたので声を掛けながら近づいて行くとその横の物置で住職と思われる老人が片付けをしていた(16:00)。
集落の中に入るとすぐに今朝来た公民館の十字路に出た。 近くの家から出てきたオバサンに聞き、右手の道を通って俵沢に向かう。 台地の端の最後のカーブで振り返ると富士見岳が高い。 今日最後の写真を写して坂を下り始めたところへ白黒ツートーンの小型車が走ってきた。 横に止まった車はお巡りさんが運転していて、「乗りませんか?」と誘う。 かなり疲れてもいた所だったし、時間も遅くなっていたのでありがたくご親切に応じる事にした。 若い警官が「私も山が好きでよく南アルプスに出掛けているんですよ」と言う。 深南部を除いて南の山は大体全部登ったが歳を取ったので最近は安倍川東山稜によく来ている事や、今日真富士山からの下降点が見つからなくて苦労した事などを話す。 流石に車は早い。 10分ほどで俵沢のバス通りに下り着いてしまい、道迷いの時間ロスを全部取り返してしまった(16:15)。
お巡りさんに丁寧に御礼を言って車から降りる。 バス停ポストには年末年始の特別ダイヤの時刻表が貼り付けてあって、10分足らずで次の静岡行きが来ると記されている。 俵峰への入り口の角にある農協事務所の車庫の蛇口で家に持ち帰る山の水を汲ませてもらう。 ほぼ定刻(16:24)にやってきたバスはガラ空き状態で1、2人しか客がいなかった。 最前部の席に座ってまわりの景色を眺めていたら身体が冷えて来て足の筋肉が頚痙し始めた。 このようなことは昔は全くなかったのだが歳のせいで致し方ない。 たまたま常用薬の小袋に "ボルタレン" が入っていたのでこれを服んだら10分も経たないうちに効き目が現れてうその様に直った。 静岡市街に近づくにつれて休み明けで都会に戻る人達や地元の中高生などが乗り込んできて、かなりの混雑となった。 静岡駅近くの伝馬町まで行った所で下車(17:10)。
駅前デパートの地下食料品売り場や駅ビルの中のみやげ物店で何種類かの菓子類を買って正月山行の土産にする。 新幹線は関が原付近の雪の影響で幾らか遅れ気味になっていて、17:40のコダマも10分近く延発したが、途中で取り返しが出来たようでほぼ定刻に新横浜に着いた(18:55)。 駅の中で蕎麦を食べ、あざみ野経由、8時頃帰宅。
山行一覧表に戻る