会津朝日岳、御神楽岳[1]
(2001.6.9-13)
☆ 山行日/スタイル
2001.6.9-13 / 4泊5日 (旅館3泊、避難小屋1泊) 単独
☆はじめに
ここ数年六月になると会津の山に行くのが慣わしになった。 前年に登った浅草岳頂上から見た朝日岳には是非とも登りたかったのでこの山を第一の目標とし、あわせて会越国境の谷川岳と呼ばれている "御神楽岳"
を第二の目標として山行計画を組んだ。
朝日岳では "山開き" に参加する事にした。 "人が大勢居るような所は山ではない"
という考えでいつも混雑を避けて山を歩いてきたせいで何十年も山をやっていながら
"山開き" という行事には一度も参加した事がない。 去年只見の旅館に泊まったとき、毎年6月の第2日曜日に行なわれる朝日岳の山開きが済んだばかりだと教えられた。 そのような回り合わせになったは何かの縁なのだから次の機会には参加して、"山開き"
がどのようなものなのか、一度経験して見ようと考えた。 年が明けて春になるのを待って町役場に電話を掛けて開催日を確認し、それに合わせて山行期日を設定した。
山行期間の前半は雨に祟られて興をそがれ、さらに前年に比べて格段に残雪が少なかった点でも期待外れであったが、その代わりにそこここで雪融けの後に咲き出した春の山の花を見たり、鮮やかな新緑に彩られた樹木を眺めたりして春山の精気を満喫した。 またただひとり新緑の香りに包まれて過ごした御神楽岳の小屋での一夜は思い出に残るものとなった。
☆ 行動の概況
6月9日 アプローチ
<コースタイム> 宮崎台=浅草[10:20]=[13:51]会津田島[14:00]=[14:35]山口車庫[15:15]=[16:15]只見
会津田島から路線バスで山口車庫経由只見へ行き、町役場推薦の駅前旅館に宿泊した。
6月10日 会津朝日岳(山開きに参加)
<コースタイム> 只見駅前(6:00)=(6:30)いわなの里[山開き行事](6:45)-荒禿沢出合(7:20)-三吉ミチギ水場-叶ノ高手(9:05)-避難小屋(9:35/45)-会津朝日岳(10:20/30)-避難小屋(11:05/11:10)-叶ノ高手(11:30/40)-三吉ミチギ(11:20/35)-登山口(13:20/15:10)-(15:30)只見駅[17:50]=[18:35]会津川口駅{駅前旅館}
山開きの行事は朝日岳登山口になっている白沢出合いの "いわなの里"
で行われた。
只見町町長や山岳会長が挨拶したが、町長が挨拶の中で朝日岳から丸山岳への登山道整備を進めると言ったのは楽しみだ。 最後に神官のお祓いを受けて出発。
長蛇の行列の一員となったが適宜立ち止まって小休止をして行列の中の位置を変え、近くの人達と話をするよう心がけてみた。 単身大阪から来た熟年男、仙台から来た中年パーテイ、大部分が女性の郡山の山岳会、思ったよりはるかに広い範囲から色々な人が集まっているのはこの山の人気の高さを示していると思った。
いろいろな話をしてみて都会の者より地方に住んでいる人達の方が暮らしにゆとりがあり、心が穏やかだと感じた。
荒禿沢出合の先で尾根に取付き、しばらくの間急登を続けて叶ノ高手に着く。 緩やかに上下を繰り返して進んで行った先に避難小屋があった。 一服して進むとすぐ大きな雪渓に出た。 傾斜はそれほどなく、要所にステップが切られ問題なく登れるようにしてあったがキックステップをしているうちに靴底の爪先部分が千切れてきた。
四谷の "たかはし" に作ってもらってから10年以上も履いてほとんど身体の一部になっている代物だがどうやら勤続疲労が来たらしい。
雪渓が尽きた所で藪の隙間を抜けるとうなぎの寝床のように狭くて細長い朝日岳頂上の一角だった。
狭い所に大勢が詰め掛けて混雑している。 山でこんな人混みに遇うのは何年ぶりだろうか?
人混みを摺り抜けて頂上の三角点を確認に行く。 切り立った頂上は晴れていれば高度感とともに素晴らしい展望があるに違いないのだが今日はすぐ下の岩稜やルンゼの上部がボンヤリ見えているだけだ。
三角点標石の横に立っている標柱には "東京東雲山岳会 昭和47年8月"
と記されていた。 かつて名を馳せたグループがこの頂上への集中登山でもした名残りでもあるのだろうか?
ザックを降ろす間もなくパラパラッと雨が来た。 どうも空模様の先行きが芳しくないような気がしたので、頂稜を伝わって雪渓に戻り、まだ登ってくる人達をかわしながら避難小屋まで下る。
小屋には "面倒見" の地元山岳会員が2、3人いたが後々のため内部をひと通り見させてもらう。 昔風の造りのこじんまりした小屋で、真中に土間のある凹形の板敷になっている。 水場も近いようで良い泊まり場になるに違いない。
小屋を出た後、下山の先頭グループに混じり、叶の高手と三吉ミチギとで小休止をして下ったが、あと少しという所で雨が降って来た。 "いわなの里"
には何張りかのテントが張られていて地元のご婦人達が甘酒や山菜料理などを振舞ってくれた。 飲み食いしているうちに雨はさらに強くなった。 だんだん人が増えてテントの下が満員になったので停めてあるバスに入って遅い人達を待つ。 最後に降りてきた人達は皆ずぶぬれになっていた。 2時間近く待った所でバスが出発した。 バスが開けた所に出た頃雨が上がってきて正面に浅草岳が見えた。 一年前に比べて格段に残雪が少なく、年によってこんなにも違うのかと思うほどだった。 駅前広場に戻ったあと荷物を預けていた旅館でコーヒを飲みながら休憩。 夕方近くの只見線列車で次の泊まり場のある会津川口へ行った。
6月11日 沼沢湖
<コースタイム> 会津川口駅=沼沢湖自然休養村センター-福沢登山口(9:25/10:00)-大栗山(11:00/15)-会津中川こぶし館(12:
20/13:40)-(14:20)会津川口
少々のアルバイトを覚悟しなければならない朝日岳と御神楽岳の間の中日にあたるので息抜きをかねて近くの沼沢湖外輪山ハイキングコースを歩いてみることにしていた。 駅前から村営バスに乗り、スキー場を通って沼沢湖畔に上がる。 前日より一層空模様が不安定で、湖畔を登山口に向って歩いているうちに降りだした。 福沢登山口近くまで行った時には篠突く雨となり、傘をさしていても足許がドンドン濡れて来るようになった。 仕方なく道端の建物の軒下に入って雨宿りをする。 こんなに降られたのではどうしようもないが辺鄙なせいか俗化を免れている山中のカルデラ湖は静かで最高の保養地だと思った。 三十分ほどで雨脚は細くなってきたが2日続きの雨に気勢をそがれ山に登る意欲を失った。
登山口を見送って車道を歩きつづけ、大栗山部落を通過。 妖精のブロンズ像がある橋を渡って只見川沿いの平地へ下る。 川口に向って車道を歩いていたら道端に
"こぶし館" と記した看板を掲げている建物があった。 中に入ってみたらこぎれいなレストランがあったので蕎麦を食べることにした。 特産の辛い大根おろしを添えた蕎麦はなかなか美味しかった。
食休みをかねて裏の公園をブラブラ歩いてみる。 近くの山間部落から移築した茅葺民家と所々にベンチのある遊歩道が設けてあった。 昔、ここで只見川がゴルジュを形成して天然の要害となっていて、通行税を取る関所や敵を防ぐ砦があったと立て看板に記してある。 午後の早い時間に宿に戻り、本を読んだりハンドヘルドPCにコースタイムなどを入力したりして時間を過ごした。
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